摘発から逮捕まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/26 18:06 UTC 版)
平成11年(1999年)11月19日、栃木県警が信者らを摘発した。同年12月1日、強制捜査に着手。12月7日には関東在住の被害者5人が教祖である福永をはじめ13人を告訴した。平成12年(2000年)4月28日、福岡で法の華に対し初めての損害賠償判決が下る。そして5月9日に福永法源は逮捕された。5月29日の起訴後9月1日に刑事裁判が開始され、12月25日に東京法の華第1次訴訟で被害者らが全面勝訴した。教団は足裏診断と称する個人面談において、「前世の悪い因縁を放っておくとガンになる」「このままでは2001年に人類は滅亡する」等マニュアル化された脅し文句で信者の不安を煽り、仏舎利と称する物や福永の手形色紙等を売りつけていた。また「法納料」の名目で多額の金銭を巻き上げた行為が詐欺罪に問われ、教組の福永と実質的経営者だった福永の実母の井本房子、教団ナンバー2の星山康天こと李康天を含む幹部のほぼ全員にあたる12名が摘発された。被害総額は600億円以上に達し、事件発生当時の平成12年(2000年)では豊田商事事件に次ぐ大型詐欺事件であった。翌平成13年(2001年)3月29日に教団は破産宣告を受け、宗教法人としても解散処分を受けた。平成15年(2003年)4月23日に破産手続終結の決定をもって解散した。
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