最初の殺人から逮捕までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 06:30 UTC 版)
「西口彰事件」の記事における「最初の殺人から逮捕までの経緯」の解説
福岡県での2人殺害 1963年10月18日、福岡県京都郡苅田町堤の国鉄(現在の九州旅客鉄道)日豊本線苅田駅西側の山道で専売公社職員が殺害されているのが発見された。同日、みやこ町の旧仲哀峠では運転手が殺害されているのが発見される。 目撃者の証言などから詐欺や窃盗で前科4犯だった西口(当時37歳)が浮上。福岡県警は全国指名手配にする。 逃走 西口は佐賀で自分が指名手配されているのを知る。瀬戸内海の連絡船で靴をおいて書置きを残して投身自殺を偽装するが、警察は偽装と判断。西口は神戸・大阪・京都・名古屋と逃亡する。 静岡県浜松市で2人殺害 11月、静岡県浜松市で旅館の経営者親子を殺害。 弁護士を騙り逃走 12月頃から弁護士を騙るようになる。その後も、千葉県・北海道・東京都・栃木県で金を詐取。 東京都豊島区で弁護士を殺害 同年12月29日、弁護士を殺害。 熊本県で逮捕 1964年1月2日、西口は東京の弁護士を騙って熊本県玉名市の冤罪事件防止に取り組む教戒師・古川泰龍宅を訪問する。その時西口はあらかじめ奪ってあった弁護士バッチを着けていた。しかし、古川の11歳の娘が、同級生の名前と似ていたため、西口のことを覚えておりすぐに西口に気づく。古川宅で西口は偽名を使い弁護士と名乗っていたが、弁護士団体の名前や自身が卒業したとする東京大学の著名な法学部教授の名前を知らないなど、次第に弁護士としての基礎知識に欠けていることが露見し警察に通報され、1月3日に逮捕された。
※この「最初の殺人から逮捕までの経緯」の解説は、「西口彰事件」の解説の一部です。
「最初の殺人から逮捕までの経緯」を含む「西口彰事件」の記事については、「西口彰事件」の概要を参照ください。
- 最初の殺人から逮捕までの経緯のページへのリンク