公開捜査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 05:26 UTC 版)
「名護市女子中学生拉致殺害事件」の記事における「公開捜査」の解説
名護署は事件当時、目撃証言から、「身代金目的誘拐の可能性もある」として捜査していたが、被害者Aの自宅には何の連絡もなかったため、拉致事件と断定。同署や県警捜査一課は、翌22日7時から、警察官180人、学校関係者や住民200人が、本格的な捜索活動を開始。被害者Aの保護を第一に、車両検問や、現場周辺での聞き込み捜査を行った。 また、県警は機動捜査隊や自動車警ら隊を投入したほか、本島中・南部でも検問・検索を実施し、県内のモーテル・車が入れる山道などを重点的に捜索した。しかし、Aの発見・保護には至らず、事件2日後(6月23日)の21時、名護署に「女子中学生ら致事件捜査本部」を設置し、県警本部や各所から動員した150人を専従捜査員として配置。24日には、鹿児島県警察から応援のヘリコプターが駆けつけ、本島全域や離島(伊江島・伊是名島・伊平屋島など)の上空から捜索を行った。 周辺道路で実施された検問に犯行車両が引っかからなかったことから、県警は事件後、しばらくは「犯人は沖縄本島北部の捜査網の中にいる」として、本島北部に重点を置いて捜索した。しかし、県警が参考人として多数の若者を事情聴取し、地元住民を含めた捜索を行っても、手掛かりは得られなかったため、6月25日には捜索範囲を本島中部にも拡大した。 事件6日後(6月27日)、県警は全県を捜索対象とした。そして同日、捜査体制を強化するため、捜査本部を、先島(宮古島署・八重山署)を除く本島11の警察署や、県警本部の捜査員らによって構成される特別捜査本部(以下「特捜本部」、本部長:久高常良)に格上げした上で、専従捜査員も150人から650人(県警職員の4分の1)に増員した。県警は同時に、各警察署にも「女子中学生ら致事件対策室」を設置し、特捜本部と連携を図りながら、本島全域でAの保護や、犯行車両の発見に全力を挙げた。また、被害者Aの名前・顔写真・特徴などについては、Aの人権や、犯人を刺激する危険性に配慮し、当初は非公開で捜査を続けていたが、捜査に進展が見られないまま1週間以上が経過したことから、特捜本部はAの家族から同意を得た上で、同月28日(事件発生から8日目)の15時、公開捜査に踏み切った。当時、県警が刑事事件で、600人規模の特捜本部を設置したことや、被害者の顔写真や氏名を公表する公開捜査を行ったことは、いずれも極めて異例のことで、翌29日にはAの顔写真や、犯行車両の特徴などを記したポスター10,000枚が、人が集まる場所(商店街・給油所・病院・銀行など)に貼り出された。さらに7月1日には、Aの所持品の類似品(制服や体操着など)を公開した。公開捜査開始後、特捜本部には7月11日8時までに、県内外から328件の情報(主に犯行車両に関する情報)が提供されたが、これでも決定的な手掛かりは得られず、県警内部からは「情報量そのものが少ない」という指摘もされていた。 名護市消防本部も名護漁港近海や、A宅付近の「内原ダム」でダイバーによる水中での捜索活動や、名護市内(天仁屋・辺野古・為又など)にある農業用ダム15か所などでゴムボートを用いた捜索活動を行ったり、本部町今帰仁村消防組合との合同で、運天港・湧川マリーナ近海の捜索を実施したりした。遺体発見現場となった国頭村の林道沿いの山中も、県警の機動隊・白バイ隊や、地元住民、市民対策本部が何度も捜索を行っていたが、林道沿いの崖に密生するススキや、広大な森林に阻まれ、車両からの捜索が中心となっていた。この林道について、同現場に近い国頭村奥の地区長は「普段から人が通らない場所だから、地元住民が何度も重点的に捜索していたが、(捜索した当時は)ススキと藪に阻まれて何も発見できなかった」と、『週刊文春』から取材を受けた社会部記者も「(遺体は)生い茂ったススキに埋もれて道からは見えなかった」と、それぞれ述べている。
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「公開捜査」の例文・使い方・用例・文例
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