安重根 安重根の概要

安重根

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/03/16 17:14 UTC 版)

安重根
生誕 1879年9月2日
Flag of Korea (1882-1910).svg 大朝鮮国 黄海道 海州
死没 1910年3月26日(満30歳没)[注 1]
日本の旗 日本 旅順
別名 安應七アン・ウンチル, 安多黙アン・トマ
宗教 キリスト教
罪名 殺人罪伊藤博文の暗殺)
有罪判決 死刑(絞首刑)
配偶者 金亜麗(金亚丽、キム・アリョ)
子供 安賢生(長女、1902年—1960年)
安文生[注 2](長男、1905-1917年)
安俊生(次男、1907年—1951年)
父:安泰勲アン・テフン
母:白川趙氏[注 3] / 趙瑪麗亜チョ・マリア[注 4]
安重根
各種表記
ハングル 안중근
漢字 安重根
発音: アン・ジュングン
日本語読み: あん じゅうこん
ローマ字 An Jung-geun
M-R式: An Chung-gun
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伊藤の死により韓国併合の流れは加速され[注 8]、暗殺は大韓帝国の消失という皮肉な結果をもたらしたという見方もある[2]が、当時の朝鮮族、ならびに今日の韓国では、後の朝鮮独立運動にもつながる抗日義士であったとして安重根は英雄視されている。一方、北朝鮮においては、神話的に喧伝される金日成抗日パルチザンに比して、まず安重根には両班という出身に矛盾があり愛国的ではあったものの解決策を持たず手段も目標も誤った人物であったという評価に留まり、金日成の引き立て役に位置づけられている。

他方、事件当時に限れば明治日本の右翼人士や知識人[注 9]は、安重根は単身で要人暗殺テロを完遂した汎アジア主義者の志士であるとして共感する傾向があり、看守には助命嘆願をした者もいたほどだった。




脚注
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注釈

  1. ^ 死刑執行命令記録原本では年齢は33歳となっている。
  2. ^ 字は芬道ブンド
  3. ^ a b 当時の朝鮮では女子名を記録する習慣がなかったので、一般には姓のみを記した。
  4. ^ マリアは洗礼名と思われる。
  5. ^ 旧暦では1879年7月16日。
  6. ^ 民族主義者または汎アジア主義者とも言う。自著『東洋平和論(序文)』では後者の主張を展開しようとしたと考えられている。安は開化派の流れを汲む天主教徒であり、華夷秩序を主張した旧守派および東学党、その後継たる天道教および一進会とは終生敵対したために、民族主義者としての立場は不明確で、生前に本人が明確に主張していたのは「韓国の独立」である。親露派との関係性は不明。韓国の民族主義で象徴的な位置づけとなったのは、大韓民国の建国以後。
    Shin, Gi-Wook (2006). Ethnic Nationalism in Korea. Stanford University Press. ISBN 0-8047-5408-X. 
  7. ^ 伊藤博文は、明治維新元勲の1人で、日本の初代内閣総理大臣、同じく初代の枢密院議長、初代の韓国統監であるが、韓国統監はすでに退任しており、当時の地位は元老および3代目(2回目)の枢密院議長で、ロシア外相との外務折衝に向かった先で暗殺された。
    Ito, Hirobumi”. Portrait of Modern japanese Historical Figures. 2008年1月29日閲覧。
  8. ^ 韓国併合の方針は、すでに暗殺前に日本で閣議決定していた。(適当ノ時期ニ於テ韓国ノ併合ヲ断行スル事 1909年7月6日)。伊藤には朝鮮は保護国に留めるべきという日露戦争以前からの腹案があったが、決定に至る過程で主張を取り下げており、閣議決定にも反対しなかった。このため併合と伊藤の死には直接の因果関係はないが、一進会が安の裁判中の1909年12月6日に日韓合併運動を起しており、併合をより早く実現するために事件を政治的に利用する動きがあった。
  9. ^ 夏目漱石も元首相の暗殺には驚愕しつつも、安は独立活動家であるとその動機を判断していた。ただし被害者の1人である中村是公は漱石の親友でもあり、漱石は植民地民に対して同情は示さずに、事件も批判的にとらえていた。(「韓満所感」、「満韓ところどころ」も参照)
  10. ^ 上から重根・定根・恭根。女子名は不詳。
  11. ^ 兄弟は六男三女。上から泰鎮・泰鉉・泰勲・泰健・泰敏・泰純。三人の姉妹は女子名は不詳。
  12. ^ 朝鮮を清国の属国から脱しさせて、日本の力で近代化しようとした派閥。現在の韓国では親日派と見なされているが、安泰勲もこれに属していた。
  13. ^ 民包軍は守城軍とも言うが、朝鮮の官側に立った富裕層が主導とする民間の部隊で、乱の鎮圧にあたった官兵や日本兵を助けて、主に農民からなる民族主義的な東学軍の勢力を孤立させた。
  14. ^ 李氏朝鮮末期の政治家。当時は度支部大臣だった。
  15. ^ Nicolas Joseph Marie Wilhelm
  16. ^ 自伝には具体的には書かれていないが”日本人の妨害”により失敗したとされ、日本政府の調査によれば、安秉雲と仲たがいしてこれ以上の出資を拒まれたため、安は秉雲を殴打し、さらに抜刀して脅迫で損害金を奪ったとされている。( 伊藤公遭難事件調査報告書
  17. ^ 自伝には、少なくともこの頃に国内で義兵闘争に加わっていたとは一言も書かれてない。
  18. ^ 崔才亨の女婿という。
  19. ^ 自伝では金起龍。日本政府の調査書によると字は燦淵。同調査および安の供述によると泰勳とも称したとされる。元は平壤警察総巡 (警部) から平安北道警務官 (警視)となった人物。
  20. ^ a b 本多熊太郎のいう金某と同一人物らしい。自伝では「金斗星」の漢字で書かれている。
  21. ^ 自伝にははっきりとは書いてないが、これが後に安が主張する「大韓義軍」である。自伝を読む限りにおいても、咸鏡北道からの退却ですでに解散状態であり、事件時にはすでに軍隊どころか武装勢力としての体裁もなしていない。
  22. ^ 日本の新聞では14名。
  23. ^ 安應七、金基龍、姜起順、鄭元柱、朴鳳錫、柳致弘、曹順応、黄吉秉、白南奎、金伯春、金天化、姜計讚。
  24. ^ 李珍玉とハン・ソンキン(漢字不明)という人物と言う。ただし安は後述の尋問において、李珍玉は日本語通訳だが無関係で、ハン・ソンキンなる人物は名前も聞いたことがないと答えている。
  25. ^ 崔鳳俊が創刊した新聞。明治40年に創刊したが直後に廃刊となったために、義兄弟の崔才亨が大東共報と名前を変えて創刊した。
  26. ^ 元極東憲兵隊長で予備役大佐、弁護士。暗殺事件への関与も疑われていたロシア人で、極東総督府の仲介者という説もあり。
  27. ^ 1909年当時の100円は、2013年時点換算で12万円ぐらいの価値。
  28. ^ FN ブローニングM1900とする説もあるが、証拠物件とは長さが異なり、コルト・ブローニングM1908とする説もある。安重根と禹徳淳が持っていたものは同型の色違いで、共に禹が用意したもの。逮捕時に曹道先が所持していたものは別の型。
  29. ^ 劉東夏の妹が金成白の弟の嫁という。
  30. ^ 長州閥の1人で伊藤の旧友。釜山領事やメキシコ公使も務めた外務官僚ながら、井上馨の口添えで1900年に第百十国立銀行の頭取に就任。1909年には随行員として伊藤に同行していた。1934年に貴族院議員
  31. ^ a b 最初に4発、次にに3発は、安本人の自伝による。ロシア当局の報告書では、最初に2発、次に1発、最後に3、4発を連射とされていて、妨害を受けずに冷静に発砲できた最初の3発がすべて伊藤に命中して、あとは全部外れたようである。
  32. ^ 新潟県出身。旧村上藩士の子。東京外国語学校ロシア語科卒でロシア語に堪能で、外務省のロシア関係担当。旅順開城の際には乃木大将とステッセル中将との通訳も務めた。伊藤に同行した際も通訳兼務で、事件では銃弾の破片が体内に残り、後日手術を受けたが回復した。
  33. ^ ただしほとんどは衣類に穴を開けただけで、室田自身は小指に怪我をしたのみだった。
  34. ^ 森槐南は、官僚や政治家ではなく、漢詩人であり、漢詩の好きな伊藤の相手をするために秘書官となっていた。このハルビンへの道中でも伊藤と二人で作詩している。
  35. ^ 後に間島総領事館警察部長。「博文寺での和解劇」でも主導的役割を果たす。
  36. ^ 回顧では、統監となっているが、前述のようにすでに四か月前に伊藤はこの職を退任していた。
  37. ^ 日本の新聞紙面では何人かの漢字が間違っていた。出典の新聞にある氏名は、曹道元→曹道先、禹連俊→禹徳淳、卓公套→卓公圭、金盛玉→金成玉、柳江露→劉東夏が正しい。
  38. ^ 陸軍中将真鍋斌の養子、実父は磯村応。両名とも元長州藩士で長州閥に属す。男爵。当時、関東都督府地方法院判官。
  39. ^ 七カ条ノ条約のことで、一般的にはこのような呼び方はしないが、前項の五カ条を合わせて十二カ条と考えていたようである。
  40. ^ 儒教思想によるもので文字通りの意味は「正義のために起こす兵」のこと。13世紀のモンゴル軍侵攻や16世紀の豊臣秀吉の文禄慶長の役など、特に外敵に対して民衆が非正規軍として蜂起することを朝鮮では義兵と呼ぶことが多い。
  41. ^ しばしば”正義の兵士”の意味で使われるために、単にテロ行為の正当性を述べているだけか、実在する組織をさしているのか解し難いところで、彼の論説のなかでもその部分は極めて曖昧である。
  42. ^ これは日本人の社会主義者等の裁判でも同じであり、当時の法廷の一般的な慣行。特に安だからというわけではない。
  43. ^ 曹道先も通訳であり計画は知らなかったと劉東夏と同じ供述したが、実際には彼は大東共報での議論の場に参加しており、計画は知っていたし、逮捕時には武器も所持していた。
  44. ^ 参考文献に記した自伝と同じもの。日本では「獄中記」、韓国では「安応七歴史」と呼ばれている。
  45. ^ 処刑日前の2、3日は何も書かなかったと伝えられる。
  46. ^ 父と面識がなかった俊生ではなく、長男の芬道のことで、彼は数年後に12歳でロシアで没している。
  47. ^ 朝鮮の独立運動家で歴史学者。大韓民国臨時政府の一員だったが、路線対立で後に脱退。より過激なテロ組織の義烈団に加わり、朝鮮革命宣言を書いた。日本では完全に無名だが、韓国では高名。
  48. ^ 『父のいた日々』などの著作がある。
  49. ^ ハーグ条約では単に非戦闘員だが、後のジュネーヴ条約にはさらに厳しい規定と禁止事項がある。
  50. ^ 安が拳銃を隠し持って群衆にまぎれて接近したのならそれも違反で、戦闘員と認めるのは難しい。
  51. ^ 当時は大韓帝国の少尉。キリスト教徒で、箕明学校の教師でもあった。後に大韓民国臨時政府の軍務次長。
  52. ^ ハーグ密使事件の3人の密使の1人。
  53. ^ a b 義兵運動(当時の日本政府の表現では排日運動)の代表的な活動家で、最年長であったためにロシア当局が在留韓国人の総取締とし、排日思想を論調とする大東共報の創刊者だったことから、日本政府は運動の指導者と見なしていたが、実態は李東輝が指導者と言い、その片腕だった。シベリア出兵をしていた日本軍が、1920年4月4日にウラジオストクの新韓村を襲撃した際、ニコリスクで多数の同志らと共に射殺された。(四月惨変)
  54. ^ 日本が1人の朝鮮人を殺せば10人の義兵が決起する、10人の朝鮮人を殺せば100人の義兵が決起するという意味で、自分を含めた自己犠牲によってさらに同胞が決起しするだろうという趣旨の発言。
  55. ^ 1人が自らの命を捨てて1人の要人を暗殺すれば、万民が救われる。一つの殺人で、一切を救わんとする一殺多生という教え。
  56. ^ 大韓帝国総理李完用の暗殺未遂犯。
  57. ^ 山本権兵衛が反対したという時期や経緯は詳しく書かれていない。
  58. ^ 伊藤博文の同郷の河野道友という人物の娘で、事件直前に伊藤からもらった、李皇太子と伊藤が写った写真を持参。
  59. ^ 金九の長男の金仁は、安重根の姪の安美生と結婚しており、姻戚関係にあった。このために安俊生が内鮮一体に賛同したことは、彼とっては(金九の家長的権威の無視であって面子を潰されたことになるので)家族的な大問題であり、許されざる行為であった。
  60. ^ 満州事変時に陸軍大臣。後に関東軍司令官。戦後、A級戦犯として終身刑になった。内鮮一体、創氏改名は彼の代で提唱されたもの。個人的には穏和で誰にでも人当たりの良い人で、安俊生らとの面会でも気さくに振る舞ったことが記されている。

出典

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    新聞記事の後半に「不当性自認」とあるが、実際にはそのようなことはなかった。第二次日韓協約があるので、韓国側にできることはなく、実行上の支障とは韓国側の法整備がなかったことをさす。
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  39. ^ 以下は「安重根と伊藤博文(著・中野泰雄)」の67頁-69頁から引用。原文のまま。
  40. ^ 1909年当時のシンガポールの英字新聞で報じられた15条。(韓国語・英語)
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