安重根 安重根の概要

安重根

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/08/26 21:19 UTC 版)

安 重根
生誕 1879年9月2日
Flag of Korea 1882.svg 大朝鮮国 黄海道 海州
死没 1910年3月26日(満30歳没)
日本の旗 日本 旅順
別名 安應七, トマス・アン
罪名 殺人罪伊藤博文の暗殺)
有罪判決 有罪
刑罰 死刑
配偶者 キム・アリョ(Kim Aryeo
両親 安泰勳, 白川趙
安賢生(長女), 安俊生, 男児(夭折)
安重根
各種表記
ハングル 안중근
漢字 安重根
発音: アン・ジュングン
日本語読み: あん じゅうこん
ローマ字 An Jung-geun
M-R式: An Chung-gun
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伊藤の死により韓国併合の流れ[5]は加速され、暗殺は大韓帝国の消失という皮肉な結果をもたらしたという見方もある[6]が、当時の朝鮮族、ならびに今日の韓国では、後の朝鮮独立運動にもつながる抗日義士であったとして安重根は英雄視されている。一方、北朝鮮においては、神話的に喧伝される金日成抗日パルチザンに比して、まず安重根には両班という出身に矛盾があり愛国的ではあったものの解決策を持たず手段も目標も誤った人物であったという評価に留まり、金日成の引き立て役に位置づけられている。

他方、事件当時、明治日本の右翼人士や知識人[7]は、安重根は単身で要人暗殺テロを完遂した汎アジア主義者の志士であるとして、動機と犠牲精神の純粋性に共感する傾向があり、助命嘆願をする者もいたほどだった。

生い立ち

現在は北朝鮮にある黄海道の道都海州府首陽山の両班の家に生まれ、平安南道鎮南浦に移った。性格が軽急に近いので名を重根、胸腹に黒子が7箇所あったのでは應七と名づけられた[8]

1894年、16歳の時に金氏(キム・アリョ)を妻に娶ったが[9]、この年に甲午農民戦争があり、父の進士泰勲に従って政府側で従軍して、農民軍と戦った。

東学党に反対していた安は追われて、カトリック教会パリ外国宣教会から派遣されていたジョゼフ・ウィレム(Nicolas Joseph Marie Wilhelm, 빌렘, 韓国名: 洪錫九)[10]司祭に匿われた際に、洗礼を受けて[11]17歳でキリスト教に改宗し、洗礼名を「トマス」とした[12]

教育関係の仕事を経た後、1907年高宗の強制退位と軍隊解散、それに伴う義兵闘争の高まりのなかで危機感を募らせウラジオストクへ亡命した。そこで「大韓義軍」を組織し[13]、抗日闘争活動に身を投じた、と韓国では言われているが、論拠には乏しい[14]

自伝によると、1909年、同志12名と共に「断指同盟」を結成して薬指を切り(指詰め)、その血で大極旗の前面に「大韓獨立」の文字を書き染めて決起し[15]、国内外に同志を派して情勢を探り、同年9月頃、伊藤博文を暗殺することになった[16]

彼は熱心な信者で、死ぬまでカトリック信仰を持ち続け、妻への最後の手紙では、自分の息子は聖職者になるようにと書いたという[6]

伊藤博文暗殺事件

事件直前の伊藤とココツェフ

1909年10月26日伊藤博文(暗殺当時枢密院議長で、同年6月に韓国統監を退任)は満州朝鮮問題に関してロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフと会談するためハルビン市(哈爾浜)に赴いた。

午前9時、哈爾浜駅に到着し、伊藤は車内でココツェフの挨拶を受けた後、駅ホームでロシア兵の閲兵を受けていた。そこに群衆を装って近づいた安重根が拳銃を発砲した。彼は全弾7発を乱射した。(本人が書いた自伝によれば)安は伊藤の顔を知らず、顔が黄ばんだ白髭の背の低い老人を伊藤博文と思い、その人物に向けて4発を発砲した。しかし人違いで失敗したとあっては一大事と考えて、この人物の後ろにいた威厳のある人物にもさらに3発連射した[17]

伊藤には3発が命中した。近くにいて最も多くの弾丸を受けた外交官の室田義文[18]は、伊藤に間違えられた可能性があるが、奇跡的に軽傷であった。しかし哈爾濱総領事の川上俊彦[19]が腹部に重傷、流れ弾が秘書官森泰二郎満鉄総裁の中村是公、同理事の田中清次郎の衣類を貫通した。襲撃では何発が発砲されたか、狙撃手は1人か複数かには異説がある。

伊藤は胸・腹部に被弾して「三発貰った、誰だ」と言って倒れ、しばらく意識があったが、約30分後に死亡した。狙撃後、安重根はロシア語で「コレヤ! ウラー!(Корея! Ура!)」(韓国万歳)と大声で叫び、逃げもせずにその場でロシア官憲に逮捕された。

身柄引き渡し

満州鉄道関連施設で捜索権を持っていたロシア官憲は、背後関係を調べて20名余を尋問し、8名を新たに拘束。安重根はロシア公館に2日間拘留された後、彼らと共に日本領事館に移送され、そこからさらに旅順の日本の司法当局に引き渡された。

2年前の1907年、金才童(キム・ジェドン)がハルビンで日本人を殺害した事件では、ロシアは裁判を主管する権利を主張したが、日本の外相小村壽太郎は、第二次日韓協約(1905年)によって在外韓国人の保護は日本の管轄になったこと、同じく同条約により日本を介する以外で対外交渉できない韓国政府とは協議する必要はないことを、川上総領事に訓令して対処させ、金を引き渡させたことがあった[20]。安の場合も同じ事案であり、ロシアとの連係は前回よりもスムーズであった。

留置中

留置中に伊藤の死亡を知った際、安は暗殺成功を神に感謝して十字を切り「私は敢えて重大な犯罪を犯すことにしました。私は自分の人生を我が祖国に捧げました。これは気高き愛国者としての行動です」と述べたという[6]

大韓帝国のカトリック教会の司教からは大罪を犯した安重根にサクラメントを施してはならないという命令が出されたにもかかわらず、懇意であった洪司祭は彼のもとを訪れ支えとなった。彼も収監中は官吏に対し自分を洗礼名で呼ぶよう主張したといわれる。

裁判

1910年2月14日、安重根は旅順関東都督府地方法院で裁判を受けた。

動機

伊藤博文を暗殺した動機として、安重根は検察官の溝渕孝雄に尋ねられた際、15の理由を挙げた[21]。この内の5つは第三次日韓協約に関するものである。しかし伊藤との関連については、少しも関係がないか関係性がよくわからない風説の類も散見され、「大韓独立主権侵奪の元凶」[22]として、伊藤を朝鮮支配の象徴とし偶像化していたことがわかる。

  • 一、今ヨリ十年バカリ前、伊藤サンノ指揮ニテ韓国王妃ヲ殺害シマシタ。
  • 二、今ヨリ五年前、伊藤サンハ兵力ヲ以ッテ五カ条ノ条約ヲ締結セラレマシタガ、ソレハミナ韓国ニトリテハ非常ナル不利益ノ箇条デアリマス。
  • 三、今ヨリ三年前、伊藤サンガ締結セラレマシタ十二ケ条ノ条約[23]ハ、イズレモ韓国ニトリ軍隊上非常ナル不利益ノ事柄デアリマシタ。
  • 四、伊藤サンハ強イテ韓国皇帝ノ廃位ヲ図リマシタ。
  • 五、韓国ノ兵隊ハ伊藤サンノタメニ解散セシメラレマシタ。
  • 六、条約締結ニツキ、韓国民ガイキドオリ義兵ガ起リマシタガ、ソノ関係上、伊藤サンハ韓国ノ良民ヲ多数殺サセマシタ。
  • 七、韓国ノ政治、ソノ他ノ権利ヲ奪イマシタ。
  • 八、韓国ノ学校ニ用イタル良好ナル教科書ヲ伊藤サンノ指示ノモトニ焼却シマシタ。
  • 九、 韓国人民ニ新聞ノ購読ヲ禁ジマシタ。
  • 十、 ナンラアテルベキ金ナキニモカカワラズ、性質ノヨロシカラザル韓国官吏ニ金ヲ与ヘ、韓国民ニナンラノ事モ知ラシメズシテ終ニ第一銀行券ヲ発行シテオリマス。
  • 十一、韓国民ノ負担ニ帰スベキ国債二千三百万円ヲ募リ、コレヲ韓国民ニ知ラシメズシテ、ソノ金ハ官吏間ニオイテ勝手ニ処分シタリトモ聞き、マタ土地ヲ奪リシタメナリトスト聞キマシタ。コレ韓国民ニトリテハ非常ナル不利益ノ事デアリマス。
  • 十二、伊藤サンハ東洋ノ平和ヲ攪乱シマシタ。ソノ訳ト申スハ、日露戦争当時ヨリ、東洋平和維持ナリト言イツツ、韓皇帝ヲ廃シ、当初ノ宣言トハコトゴトク反対ノ結果ヲ見ルニ至リ、韓国民二千万ミナ憤慨シテオリマス。
  • 十三、韓国ノ欲セザルニモカカワラズ、伊藤サンハ韓国保護ニ名ヲ借リ、韓国政府ノ一部ノ者ト意思ヲ通ジ、韓国ニ不利益ナル施設ヲ致シテオリマス。
  • 十四、今ヲ去ル四十二年前、現日本皇帝ノ御父君ニ当ラセラル御方ヲ伊藤サンガ失イマシタ。ソノ事ハミナ韓国民ガ知ッテオリマス。
  • 十五、伊藤サンハ、韓国民ガ憤慨シオルニモカカワラズ、日本皇帝ヤ、ソノ他世界各国ニ対シ、韓国ハ無事ナリト言ウテ欺イテオリマス。

弁護

安の主任官選弁護士水野吉太郎は、まず、韓国人に対して裁判権が及ばないこと、韓清通商条約を理由に清国領土内における韓国人の犯罪には韓国刑法を適用すべきことなどを指摘し、本法廷の管轄外であると主張したが、退けられた。彼は次に安の行動と幕末の志士とを比較して、安は朝鮮の志士であるという弁論を展開して、殺人罪としては最も軽い懲役3年が妥当であると主張した[24]。しかし判決ではこれは考慮されず、共犯3名と共に有罪判決を受け[25]、実行犯の安は死刑を宣告された。安は自分は捕虜であり裁判そのものが不当であると憤慨した[6]。(下記も参照

投獄と最期

「一日不讀書口中生荊棘」安重根が獄中で書いた遺墨の一つ。(韓国の国宝)

裁判を統轄した判事は、死刑執行までに少なくとも判決後2、3か月の猶予が与えられるとしていたが、日本政府中央は事件の重大性から死刑の速やかな執行を命じた。安は上訴を行ったが、水野弁護士が「朝鮮の志士が死を恐れるために控訴」したと思われると諭したため[26]、上訴を取り下げて刑が確定した。安は、担当検察官であった溝渕孝雄へ、自分が「東洋平和論」を書き終えるまでの時間的な猶予と、死刑の時に身に纏う白い絹の衣装を一組与えてくれるよう願い出て、概ねその通りになった。

3月26日午前10時、伊藤の月命日と絶命した時刻に合わせて、死刑が執行された。安の死から更に5か月後の8月29日に、日韓併合により大韓帝国は消滅した。なお、この元総理殺人犯の死刑を執行した関東都督府の当時の都督大島義昌は、安倍晋三の高祖父にあたる。

獄中における日本人との関わり

投獄された旅順監獄看守で、安重根の監視を任ぜられた千葉十七は、当初は伊藤を暗殺した安を憎んでいた。ところが、話を重ねるごとに千葉は安の思想に共感を覚えるようになっていった[27]。安は処刑の直前、千葉に向かって「先日あなたから頼まれた一筆を書きましょう」と告げ、「為国献身軍人本分」と書いて、署名し薬指を切断した左手の墨形を刻印した。そして彼は、「東洋に平和が訪れ、韓日の友好がよみがえったとき、生まれ変わってまたお会いしたいものです」と語ったという。千葉は終生、安の供養を欠かさなかった。

また旅順監獄の典獄(刑務所長)であった栗原貞吉も、安の願いを聞き入れ、煙草などの差し入れをしたり、法院長や裁判長に掛け合い、助命嘆願をするなど便宜を図っていた。処刑前日には、絹の白装束を安に贈った[28]。死刑執行後、栗原は安の死を惜しんで故郷の広島に帰った。

主任弁護士だった高知の水野吉太郎も手帳に安重根の親筆を得ていた[29]。彼は安の処刑に立ち会い、執行後「東洋平和のため万歳三唱」することを願い出たが、刑務官に許されなかった[26]

また別の看守の八木氏も安の墨書[30]を記念に書いてもらって持ち帰り、2004年、孫の八木正澄氏が韓国に無償で寄贈した[31]

それより前の1970年代に、日本から韓国大統領府(朴正煕時代)に寄贈された安の遺墨宝物第569-4号[32]は、現在所在不明である。2012年の韓国大統領選挙では、投票日の9日前に、安度眩(詩人)がこの墨書は「(娘である)朴槿恵が盗んだのではないか」と示唆する内容の記述をTwitter上に書き、物議を醸した。その後、彼は中傷で有罪判決を受けた[33]


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  1. ^ 旧暦では1879年7月16日。
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  5. ^ なお韓国併合の方針は、すでに暗殺前に日本で閣議決定していた。(適当ノ時期ニ於テ韓国ノ併合ヲ断行スル事 1909年7月6日)
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  7. ^ 夏目漱石も元首相の暗殺には驚愕しつつも、安は独立活動家であるとその動機を判断していた。被害者の1人である中村是公は漱石の親友でもあった。
  8. ^ 安 1910, p.3
  9. ^ 安 1910, p.6
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  11. ^ 안중근, 천주교서울대교구,가톨릭인터넷 굿뉴스(天主教ソウル大教区、カトリックインターネットGoodnews), 2010年2月8日閲覧。
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  13. ^ a b c “陸軍本部に「安重根将軍室」設置”. 中央日報. (2010年3月26日). http://japanese.joins.com/article/566/127566.html?servcode=400&sectcode=400 2013年11月22日閲覧。 
  14. ^ 軍人であるという主張は極めて疑わしいが、韓国では公に信じられている。後述のテロリストではないという韓国側の主張のベースとなっており、非合法戦闘員ではなかったことにしたいようだ。
  15. ^ 安 1910, p.69
  16. ^ 安 1910, p.70
  17. ^ 安 1910, p.76
  18. ^ 長州閥の1人。釜山領事やメキシコ公使も務めた外務官僚ながら、井上馨の口添えで1900年に第百十国立銀行の頭取に就任。1909年には随行員として伊藤に同行していた。1934年に貴族院議員
  19. ^ 新潟県出身。旧村上藩士の子。東京外国語学校ロシア語科卒でロシア語に堪能で、外務省のロシア関係担当。旅順開城の際には乃木大将とステッセル中将との通訳も務めた。伊藤に同行した際も通訳兼務で、事件で銃弾を受けたが後に回復した。
  20. ^ “日本も安重根裁判の不当性自認、伊藤博文らの記録発見”. 総合ニュース. (2009年10月19日). http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2009/10/19/0400000000AJP20091019000900882.HTML 2013年11月28日閲覧。 
    新聞記事の後半に「不当性自認」とあるが、実際は第二次日韓協約があるので、韓国側にできることはなく、「実行上の支障」とは手続きなどが決まってないことをさす。
  21. ^ 以下は「安重根と伊藤博文(著・中野泰雄)」の67頁~69頁から引用。原文のまま。
  22. ^ “安重根”. 時事ドットコム. (2013年11月22日). http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013112200636 2013年11月22日閲覧。 
  23. ^ 七カ条ノ条約のことで、一般的にはこのような呼び方はしないが、前項の五カ条を合わせて十二カ条と考えていたようである。
  24. ^ 牧野英二 (2010年3月10日). “東洋平和と永遠平和 ─安重根とイマヌエル・カントの理想─ (PDF)”. 法政大学学術機関リポジトリ. 2013年11月28日閲覧。
  25. ^ 共犯者として同様に逮捕された禹徳淳には懲役2年、曹道先及び劉東夏には懲役1年6ヶ月の判決が下された
  26. ^ a b 『南国夜話』小島徳治(著)昭和23年
  27. ^ 「わが心の安重根―千葉十七・合掌の生涯」-斉藤泰彦著。
  28. ^ 財団法人日韓仏教福祉協会 安重根義士と千葉十七夫妻の日韓合同法要 財団法人「日韓仏教福祉協会」より。
  29. ^ “「日本のために伊藤博文を撃った」…安重根義士の親筆発見(1)”. 中央日報. (2011年7月7日). http://japanese.joins.com/article/562/141562.html 2013年11月22日閲覧。 
  30. ^ この獄中遺墨は宝物第569-25号。
  31. ^ “「安重根義士の遺墨を寄贈 安義士崇慕会に無償で(04.2.25)”. 民団新聞. (2011年7月7日). http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=2&newsid=2561l 2013年11月22日閲覧。 
  32. ^ 宝物は韓国の国宝の意味。「第569号」はすべて安重根の墨書関連で、何十点もある。
  33. ^ 安重根の遺墨盗難で朴槿恵氏にぬれぎぬ、大学教授の書き込みとは(元は朝鮮日報の記事だが消滅により)
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  79. ^ a b “中韓が“反日結託”! ハルビン駅に「安重根碑」建立か 実際には困難?”. Zakzak. (2013年11月19日). http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20131119/frn1311191142000-n1.htm 2013年11月22日閲覧。 
  80. ^ “日韓、安重根巡り応酬 中国が韓国に加勢”. 日本経済新聞. (2013年11月20日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1903H_Z11C13A1PP8000/ 2013年11月22日閲覧。 
  81. ^ “外務省、安重根記念館をめぐる日本の抗議は受け入れない”. CRI(中国国際放送局). (2014年1月20日). http://japanese.cri.cn/881/2014/01/20/161s216922.htm 2014年1月21日閲覧。 
  82. ^ 中川孝之; 五十嵐文 (2014年3月24日). “安重根記念館「私が指示」習主席、日本をけん制”. 読売新聞. http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20140324-OYT1T00318.htm?from=ylist 2014年3月24日閲覧。 
  83. ^ 豊田穣 「初代総理 伊藤博文」『豊田穣文学・戦記全集』14巻、光人社、1993年ISBN 4769805241
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  85. ^ a b c 水野直樹 (2011年3月1日). “「博文寺の和解劇」と後日談 : 伊藤博文,安重根の息子たちの「和解劇」・覚え書き (pdf)”. JAIRO - 国立情報学研究所. 2014年2月24日閲覧。
  86. ^ 京城日報」1939年10月16日付より。
  87. ^ 毎日新報」1939年10月18日付より。
  88. ^ 金九の長男の金仁は、安重根の姪の安美生と結婚しており、姻戚関係にあった。このために安俊生が内鮮一体に賛同したことは、彼とっては(金九の家長的権威の無視であって面子を潰されたことになるので)家族的な大問題であり、許されざる行為であった。
  89. ^ 満州事変時に陸軍大臣。後に関東軍司令官。戦後、A級戦犯として終身刑になった。内鮮一体、創氏改名は彼の代で提唱されたもの。個人的には穏和で誰にでも人当たりの良い人で、安俊生らとの面会でも気さくに振る舞ったことが記されている。
  90. ^ “安重根義士の娘、曉星女子大の仏文学教授だった”. 中央日報. (2010年3月26日). http://japanese.joins.com/article/563/127563.html?servcode=400&sectcode=400 2014年2月24日閲覧。 
  91. ^ 財団法人日韓仏教福祉協会」公式サイトより
  92. ^ “安重根を愛する日本人、「安重根東洋平和祈願碑」除幕式”. 中央日報. (2011年3月26日). http://japanese.joins.com/article/524/138524.html?servcode=A00&sectcode=A10 2013年11月22日閲覧。 
  93. ^ a b ハルビン駅に安重根記念館、開館…伊藤博文暗殺”. 読売新聞 (2014年1月19日). 2014年1月20日閲覧。
  94. ^ “【跡形もなくなったウラジオストクの安重根記念碑”. 朝鮮日報. (2013年7月15日). http://megalodon.jp/2013-0716-0845-03/www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/07/15/2013071501340.html 2013年11月22日閲覧。 (キャッシュ)


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