蔵前国技館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 04:31 UTC 版)
エピソード
- 蔵前国技館では1階観客通路に面して支度部屋が設けられていた。従って観客は支度部屋の様子を窓越しに見ることができ、支度部屋と土俵を行き来する力士たちを通路で直に見ることもできた。現在の両国国技館では保安などの関係から観客通路は支度部屋から分離されている。
- 1967年に公開された映画『007は二度死ぬ』では、主要な東京ロケ地のひとつとして使用された。
- 1971年の改修前は館内にすきま風が吹き、初場所では寒さに震えながら観客が相撲を観戦するような状態だった。大相撲担当記者からそのことを問われた、相撲協会理事長の時津風が「そこは土俵の熱戦で暖まっていただいて……」と苦しい答弁をする程だったが、時津風の没後3年して改修が完了した。
- 両国国技館は地下に焼き鳥の仕込や調理を一括しておこなう「焼き鳥工場」があることで有名だが、この焼き鳥事業は国技館サービス株式会社の前身・相撲サービス株式会社が蔵前国技館時代から行なっていた事業。当時は地上にあった調理場で一つひとつ炭火焼きにしていた。そのため午前中は国技館から鶏肉を焼く煙と香匂が広がり、これも蔵前界隈の風情を代表する光景のひとつだった。
- 大相撲や格闘技以外のイベントでは、日本将棋連盟が行うイベント『将棋の日』で使用されたことがあり、将棋の対局が土俵上で行われた。1975年にはイベントの一環として『将棋の日』開催当時に行われていた第14期十段戦七番勝負の中原誠対大山康晴の対局の一部が蔵前国技館での公開対局として行われたが、これは将棋史上初のタイトル戦の公開対局だった。
関連項目
- ^ “蔵前国技館”. 大林組. 2021年4月6日閲覧。
- ^ “第26回 国技館―伝統と技術が融合した相撲の殿堂”. 鹿島の軌跡 ~歴史の中から見えてくるものがある~. 鹿島建設. 2021年4月6日閲覧。
- ^ “1954年の大林組”. 大林組. 2021年4月6日閲覧。
- ^ ベースボール・マガジン社『日本プロレス事件史 Vol.10』P22-P31より。
- ^ 竹内宏介『プロレス醜聞100連発!!』P160-P161より。
- ^ 世界が八角理事長にNO! 女人禁制問題、米・英・仏でも報道 「日本でどのように女性が扱われているかを物語った」(3/3ページ)『zakzak』2018年4月7日
- ^ 朝日新聞1966年5月18日付朝刊スポーツ面
- ^ 『大相撲ジャーナル』2014年2月号98頁から99頁
- 1 蔵前国技館とは
- 2 蔵前国技館の概要
- 3 エピソード
固有名詞の分類
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