蔵前国技館に関する記録とは? わかりやすく解説

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蔵前国技館に関する記録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 11:33 UTC 版)

蔵前国技館」の記事における「蔵前国技館に関する記録」の解説

蔵前仮設国技館最初の場所(1950年1月場所)で幕内最高優勝をしたのは千代の山大関当時は「千代ノ山」)、蔵前国技館となってから(1954年9月場所最初錦で、最後の場所(1984年9月場所)では平幕多賀竜(最高位関脇)だった。多賀竜蔵前国技館での優勝経験者として最後に現役残った力士でもあった。 蔵前での優勝最多大鵬北の湖でともに16回。また、ともに蔵前場所連続優勝記録でも最多(5場所連続)である。北の湖最初の6回の優勝全て蔵前での本場所達成(しかも1月場所5月場所のみ)している。 旧両国国技館蔵前国技館両方優勝したのは、羽黒山だけ(旧両国3回蔵前1回蔵前での唯一の優勝37歳2か月時に全勝記録し同時に最年長全勝優勝記録となっている。)。戦後すぐの流浪時期含めれば、東富士照國、それに千代の山らも、ふたつの「仮設国技館」で優勝したことになる。増位山2度優勝は、ともに大阪福島公園浜町公園での本場所で、蔵前での優勝はなかったが、やはりふたつの「仮設国技館」で優勝している。 蔵前国技館と新両国国技館優勝した力士千代の富士だけ(蔵前で2回、新両国11回。千代の富士初優勝以降蔵前での本場所10経験しているが優勝は2回だけである。)。国技館移転またいで優勝した者には、他に北天佑がいるが、2度目優勝地方場所(名古屋)でだった。 蔵前幕内務め現役最後に残ったのは水戸泉2011年平成23年5月技量審査場所序二段(元十両)の栃天晃引退し蔵前国技館経験した力士全て引退した蔵前土俵上がった最古参幕内経験者は元大関名寄岩仮設開館当時35歳3か月1954年9月場所まで土俵務めた

※この「蔵前国技館に関する記録」の解説は、「蔵前国技館」の解説の一部です。
「蔵前国技館に関する記録」を含む「蔵前国技館」の記事については、「蔵前国技館」の概要を参照ください。

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