蔵前以外の札差
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 09:19 UTC 版)
江戸の札差株仲間が成立した享保9年(1724年)、甲州が新たに幕府領に編入され、9月には270名の甲府勤番支配が主に小普請組の旗本御家人によって編成され、甲府に派遣された。勤番士のうち40名が軽輩ながら蔵米取であり、その禄高合計は1万石であった。少人数かつ少額であるが、これまで江戸札差に蔵宿を依頼してきた勤番士もおり、甲府出立前に支度金を用立てた者もいた。そのため8月中より甲府在勤者への札差業を開きたい旨、江戸札差から願い出ていた。12月に提出された江戸札差5人の願書には、甲府商人8人が札差業を希望していたとあり、同年末に甲府商人7人による甲府札差仲間が認許された。 札差料・売側ともに100俵につき金2分ずつ、貸付利子は年利1割5分から2割と決められた。ただし、札差業を彼等が独占できたわけではなく、人数の変動は江戸の札差以上に大きかった。
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