日本の農業土木教育の変遷とは? わかりやすく解説

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日本の農業土木教育の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 03:31 UTC 版)

農業工学」の記事における「日本の農業土木教育の変遷」の解説

日本の農業土木教育は、明治近代化課程近代的学制施行が行われ、近代農業土木これまでの水田農業体系踏まえて成長する制度的基盤与えられて、欧米科学技術輸入しつつ、公的に教育研究する学制築き上げていく。 前期農業土木は独自の水田農業体系をつくり上げたが、その知識体系なかでも水利技術などが役人世襲的な行知識のなかに閉じ込められていて、近代的公教育のなかで一般化される必要があった。 欧米科学技術輸入に基づく近代学制創出期においては日本的水田農業体系視野の外に置かれていて、前期水利知識体系継承については、武士の解体に伴い制度的に断絶することになる。ただしこの部分実際のところ、農村指導層あるいは水利組織等によって受け継がれていった札幌農学校設立時マサチューセッツ農科大学モデルにして基礎的学理教授しつつ、極めて実践的な開拓指導者養成志向していた。当時科目には、農業土木学あるいは土地改良学という名前は見出せないが、基礎的科学加えて測量学土工学、経済学農業・園芸学等もあげられ全体として性格基礎科学重視したアメリカ的開拓学の体系であり、いわば今日農業土木性格に近い面を持っていたのである札幌農学校より2年後開設される駒場農学校初期授業科目では、農業土木あるいは土地改良についての授業科目はほとんどなく、わずかに測量土木工学一年次にあげられるとどまった札幌農学校は、その後東北帝国大学農科大学1907年)、北海道帝国大学1918年)と拡充されていくが、アメリカ的開拓学の体系日本独持の水田農業体系と結びつけて、開拓科学体系拡充していくことにはならず次第分化進めて一般分化科学並列させる高等教育機関変わっていく。札幌農学校持っていた農業土木性格は、一方には土木工学吸収され他方には農業物理学継承されている。そのため、近代農業土木学を創り出す主流はならず終わった1886年駒場農学校東京山林学校合流して東京農林学校となる。このときには農業土木土地改良論が科目として上げられた。 1890年文部省憩い要請により、東京農林学校帝国大学農科大学(後の東京大学農学部)となる。これは農学単科大学としては認めても、総合大学属するものではないとしてきたヨーロッパ流の伝統超えたものであり、日本政府農学建設への意欲を示すものである1893年農科大学講座制敷かれるが、農業土木学農学講座属す授業科目にとどまる。 ところで当時田区改正気運盛り上がっており、1887年から4年ドイツ留学した農務官吏酒匂恒明は、1892年に「米作新論」を著し外国日本土地整理比較行い、翌1893年には「土地整理論」を公刊している。この情勢の中で学生時代過ごし1895年帝国大学農科大学卒業した上野英三郎は、大学院耕地整理研究続け耕地整理法制定の翌1900年に、農学第二講座分担講師任命され農業工学関係の講義担当することになった農業土木大学教育への登場である。 このころヨーロッパ土地整理モデルにすることについて議論起こり横井時敬などによる日本水田農業体系照合する耕地整理土地改良論説現れた。農商務省1905年耕地整理法改正機に耕地整理奨励、そして耕地整理技術者養成のための耕地整理講習制度定め東京高等農学校東京農業大学前身)に依頼して中学校卒業者対象講習開始した。 翌1906年には、帝国大学農科大学にも依頼第一種としては在学生または学士第二種としては高等農林学校卒または高等工業学校土木科卒を対象とし、本格的な講習を行うようになった。これにより、耕地整理受講者という形で、農業土木技術者集団形成されるようになった。これを基盤にして、1907年には耕地整理研究会発足した。これは農業土木技術者集団ソサエティとなり、後の農業土木学会生む母体となった耕地整理新法成立翌々年1911年)、東京帝大農科大学農業工学講座認められ農業土木近代的学制中に正式に位置占める。ただし耕地整理事業そのもの地主による土地投資中心であった。したがって大規模に展開するものではなかったのである。そのため1914年耕地整理法またまた改正され湖海埋立ておよび干拓加えて耕地整理とはいいながら戦後土地改良範囲にほぼ近いものになった1914年から始まった第一次世界大戦は,工業の一層の成長都市拡大促し新たな需要増大もたらした米騒動1918年)を契機として、政府積極的な食糧増産政策乗出し1919年開墾助成法を発布し開墾事業利子補給を行うことを決めた。さらに1920年には、これまで控えていた朝鮮産米増殖計画打ち出す1921年には、臨時治水調査会設けられ農地防災重要性強調され1923年には用排水幹線改良補助要項打ち出された。これにより、灌漑排水事業は、国の補助を受けつつ、県営事業として、中小河川改修含めて大々的行われるようになったこのころ文部省特色のある高等農林学校高農)の建設めざしていたが、このような背景の中で農業土木注目され1921年新設三重高等農林学校農業土木学科が初め設けられた。1922年には九州帝国大学農学部農業工学講座設置され、さらに1923年京都帝国大学農学部新設する際には,新しく農林工学科設けられることになり、1924年農業工学第一第二講座設置された。東京帝大には1925年に、農業土木学専修設置される。 この時までの農業土木成長に常にかかわってきた上野英三郎は、1925年5月職務中に倒れ急逝上野愛犬の話は忠犬ハチ公として知られる)。新し体制農業土木教育スタート後進委ねる上野偉業記念して農業土木学会は、1971年農業土木学会賞のなかに上野賞を設けた昭和に入ると、一連の国庫補助のほか、1929年には開墾助成法が改正され事業費そのもの補助出されるようになった同年には、耕地整理研究会発展的に解消して農業土木学会設立され2007年農業農村工学会へ名称変更)、農業土木学体制大学学会両面において整う。翌5年には、国営農業土木事業始まり巨椋池干拓事業着手された。時の蔵相高橋是清積極的な公共投資政策打ち出し諸々諸政とともに1932年には救農土木事業大々的実施する農業土木役割情勢のなかで大きな変化遂げ、単に作物生育の場を整備する技術とどまらず農村振興そのものにかかわる事業となり、また地主土地利水条件整備必要な技術とどまらず国民経済発展向けて財政政策が必要とする事業へと変わる。 1935年東京帝大農業土木専修正式に学科として認められ1938年には九州帝大農業土木学専修認められた。1941年に、農地開発法制定農地の開発改良強力に進められることが決まるとともに実施機関として農地開発営団設立する農業土木技術者養成急務となり、同年宇都宮高等農林学校東京農業大学専門部農業土木学科が設けられ、翌1942年には岐阜高等農林学校にも設立された。 現代農業土木母体および発展基礎条件は、戦前昭和期形成されのであるが、戦争へ突入という事態のために、その開花戦後委ねられた。 戦後農地開発営団解散させられ、緊急開拓事業これまでの開墾干拓灌漑排水等に加えて集落計画公共施設計画も必要とした。この期農業土木は、1970年代以降本格的に現れる農村計画地域計画いち早く体験している。折から農地改革実施、その関連において1949年土地改良法制定土地改良事業主体地主から農業者移されるとともに土地改良事業への公共援助約束され国営土地改良事業実施定められた。 さらにこれまで事業耕地整理組合農林省所管)、施設の管理は普通水組合内務省所管)と分裂していたのを、土地改良区一本化された。これらは土地改良を国の施策として重視することを意味し土地改良発展制度的整備であったこのような動きは、農業土木技術者養成にも反映し終戦直前盛岡農林専門学校愛媛県農林専門学校農業土木科新設続いて終戦直後から学制改革期1949年)に向けて北海道大学農業物理学科(後の農業工学科)をはじめとして新たに4農専農業土木科誕生するが、戦後学制改革は、学制そのもの変革進め1947年教育基本法学校数育法が新たに制定され農専次々と新制大学農学部へと移行していく。 なお、農業土木学/農業農村工学というのは日本の独自の分野である。諸外国では畑地であれ水田であれ、灌漑排水はあくまで土木工学一分野であり、工学部出身者農学部農業工学)の出身者共同で担う分野となっている。 今日の日本では、もっぱら農学中にあり、農学部出身者実務担っている日本このようになったのは、上野英三郎博士という卓越した科学者教育者農学にいてこの学術創始者となり、工学部土木に頼ることなく土木工学基礎についても農学部内部教育をすることで、多数農業土木技術者養成したという歴史的な事情があり、上野博士はその後工学部土木学の分野からも一目置かれ工学部でも講義担当していた。 1971年昭和46年)に、上野博誕生100年記念して農業土木学会学会賞のなかに上野賞が設けられ、「農業土木に関する事業新し分野発展寄与する認められる業績に対して毎年送られている。翻って大正期関東大震災復興支援広範に渡る土地区画整理事業)や2011年平成23年3月東日本大震災津波被害原発事故にともなう農地環境放射能汚染に対して沿岸地域農業農村の復興ならびに農地の除染および放射性物質土壌環境中挙動研究に、農業農村工学分野技術者研究者尽力をしており、大災害への対応について上野英三郎博士創始した学術分野伝統引き継がれているのである

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