札幌農学校
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札幌農学校(さっぽろのうがっこう、英語: Sapporo Agricultural College)は、明治初期に北海道札幌に置かれた高等教育機関であり、現在の北海道大学の前身である。初代教頭クラークが学長を務めたマサチューセッツ農科大学(Massachusetts Agricultural College)をモデルとして、農学に限らず理学、工学、英文学等幅広い教育を行い、北海道のみならず日本の近代化を支える人材を輩出した[1]。
- 1 札幌農学校とは
- 2 札幌農学校の概要
東北帝国大学農科大学
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「東北大学大学院農学研究科・農学部」の記事における「東北帝国大学農科大学」の解説
東北帝国大学は、日本初の高等農業教育機関である札幌農学校を母体として1907年に設立された。その年の6月22日に東北帝国大学農科大学官制が公布され、9月1日から施行に移ったことで、東北帝国大学の最初の分科大学(東北帝国大学農科大学、現・北海道大学農学部)としての歴史がスタートした。なお、東北帝国大学農科大学は1918年に北海道帝国大学農科大学となったため、現在の東北大学農学部との連続性はない。
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東北帝国大学農科大学
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東北帝国大学農科大学設立までの経緯は「帝国大学」も参照 1899年(明治32年)、札幌区が設置された(この年の年末の札幌区の人口は4万0578人、前年1898年(明治31年)の北海道の人口は76万6900人)。同年、森林科が設置される。この森林科は農学科本科に付属する予科と同じく中学校卒業者を受け入れるもので、専門学校であった。これは1905年(明治38年)には林学科となるが、やはり既設の農学科とは異なって学士の授与能力を持たなかった。この期に乗じて翌1900年(明治33年)、第14回帝国議会において野党から「九州東北帝国大学設置建議案」に続いて「北海道帝国大学設立建議案」が提出された。両建議案は可決され議会の意思が政府に示されたが、建議が法的拘束力を持っていないことや不況期だったことなどから政府は消極的だった。 1901年(明治34年)、他の府県より権限は小さいものの北海道会法によって議会が設置され、北海道地方費法によって「北海道地方費」という名称の法人格を持つ地方自治体となった。これで北海道は「1つの地方で1つの自治体」という特例ながら、国の直轄から自立した。この期に再度「北海道帝国大学設立建議案」が提出され、帝国議会で可決された。しかし、政府はまたも消極的であった。 1903年(明治36年)、札幌農学校は現在の札幌市北区北11条西6丁目(現在の北海道大学教育学部付近)に移転した。この年の年末の札幌区の人口は55,304人、北海道の人口は99万4300人。 日露戦争が終結した1906年(明治39年)6月には、札幌農学校を農科大学に昇格、新設予定の理工科大学と大学予科と合わせて「北海道帝国大学」とする案が文部省に陳情されたが、これは同時期に帝国大学設置を要望していた東北選出の代議士に反発された。この結果、札幌に新設予定だった理科大学を宮城県仙台市に設置することに変更し、札幌と仙台の分科大学を併せて帝国大学とする折衷案を政府に要求することになった。 1907年(明治40年)9月1日、札幌農学校は東北帝国大学農科大学に改称した(勅令236号)。 東北帝国大学は札幌と仙台の分科大学をもって運営される予定であったが、1907年当時の仙台では本部を含めた建物すら建造されていない状態であった。このため、仙台の大学本部並びに理科大学が開設されるまでの間、札幌の農科大学のみで運営することを前提とした「東北帝国大学農科大学官制」を施行することとし、農科大学長の佐藤昌介が東北帝国大学の総長としての職務も代行することとなった。 1907年(明治40年)当時の帝国大学およびその分科大学の立地は以下の通りである。 東京帝国大学(本部:東京市)東京市所在:法・医・工・文・理・農 京都帝国大学(本部:京都市)京都市所在:理工・法・医・文(医の名称は「京都医科大学」) 福岡市所在:医(医の名称は「福岡医科大学」) 東北帝国大学(本部予定地:仙台市)※実際の本部設置は1911年以後。仙台市所在:なし 札幌区所在:農 なお、北海道の教育環境を鑑みて農科大学附属となる高等農林学校程度の大学予科も設置された(帝大の予科は、後に設置された京城帝国大学予科と台北帝国大学予科の3校のみ)。1907年(明治40年)の年末の札幌区の人口は6万6193人、翌1908年(明治41年)の北海道の人口は132万2400人。またこのときすでに存在していた林学科も農科大学附属とされるが、1910年(明治43年)には講座制が適用され、他学科と同等に大学レベルの学科になる。これは東京帝国大学に続き2番目の旧制大学林学科であった。 1908年(明治41年)、有島武郎が英語講師として同農科大学に赴任した。 東北帝国大学農科大学の開校式は、1907年(明治40年)9月11日に挙行されたが、東北帝国大学としての開学式はすべての学年の学生が揃った 1913年9月22日に挙行された。
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