東北帝大勤務
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1921年(大正10年)3月仙台に単身赴任し、岡松参太郎の推薦で東北帝国大学附属図書館事務嘱託となり、法文学部設置に向けて狩野文庫・長谷川文庫を整理し、開設後も蔵書整理に当たった。この頃舌・手が不自由となった。 1932年(昭和7年)1月31日法文学部講師となるも、3月10日辞職し、11月1日図書業務も解かれて帰京した。1933年(昭和8年)名古屋に転居し、1938年(昭和13年)港区惟信町多賀良浦で死去した。
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