具体的なケースとは? わかりやすく解説

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具体的なケース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 08:23 UTC 版)

横綱」の記事における「具体的なケース」の解説

旭富士正也は、1988年昭和63年1月場所14勝で優勝、続く3月場所5月場所を各12勝した。さらに1989年平成元年)には、1月場所から5月場所までの3場所を14勝(優勝同点)・13勝(次点)・13勝(同点)の合計40勝と極めて高いレベル安定した成績残した昭和時代ならば当然横綱昇進する事が可能な成績だったが、理事長成績よりも相撲内容の点を指摘してことごとく横審への諮問を行わなかったため、昇進出来なかった。1990年平成2年5月場所7月場所連続優勝して批判封じる形で横綱昇進果たしたが、昇進が遅過ぎたためか横綱在位は僅か9場所(うち皆勤は6場所)、在位中の優勝1回に留まった。 小錦八十吉は、1991年平成3年5月場所7月場所14勝(同点)・12勝(次点)、また同年11月場所から1992年平成4年3月場所までの3場所を13勝(優勝)・12勝・13勝(優勝)と極めて安定した成績残したにもかかわらず横審への諮問がなく昇進できなかった。1992年平成4年3月場所後の横審定例会出席委員半数から「(小錦の)横綱昇進諮問予想していた」という意見出たまた、同定例会で「力士外国籍であることで(横綱昇進の)障害になることはない」と確認したが、ニューヨーク・タイムズ紙日本経済新聞に「小錦横綱なれないのは人種差別のせいだ」といった趣旨記事掲載され史上初の外国人横綱誕生させることへの抵抗有無取り沙汰された。しかし小錦以後失速終盤まで優勝争いに絡む事が無くなった。さらに1993年平成5年11月場所では、大関で2場所連続越した為に関脇地位陥落決定横綱昇進気運は完全に消滅した貴乃花光司は、1993年平成5年5月場所7月場所14勝(優勝)・13勝(同点)としたが、理事長から横審への諮問がなく昇進はならなかった。翌1994年平成6年)は1月場所から9月場所までの5場所中3場所で優勝、うち9月場所では全勝果たし1411・1411・15勝)、9月場所後には理事長から横審への諮問が行われた。理事長諮問ありながら横審否定答申をした例は、1969年11月場所直後北の富士以降長年の間なく、新聞各紙横綱昇進確実と報じたが、25年ぶりに昇進見送られた。横審否定答申をした理由は、2場所連続優勝でないこと、特に7月場所11勝で貴乃花の綱獲りは白紙戻ったしながら次の9月場所中に出羽海理事長横審に「内規見直し」を要望し明らかに貴乃花意識した中で横審がこの見直し受け入れるか決定する前に諮問強行したことに対す横審一部委員反発などが大きな要因だった。横審委員11名の中では貴乃花昇進賛成する者が6名と過半数反対が5名だったが、内規定められた「出席委員3分の2上の賛成」には達しなかった。それでも貴乃花は翌11月場所15全勝し大関地位30連勝大関地位「2場所連続全勝優勝」という双葉山以来(のちに第70横綱日馬富士公平達成)の非の打ち所のない成績で、ようやく横綱昇進果たした武蔵丸光洋は、1994年平成6年5月場所7月場所12勝(次点)、15勝(全勝優勝)という成績だったが、7月場所後の横審には諮問がなかった。3場所前(新大関)の同年3月場所が9勝と1勝ち星だった事や、5月場所大関昇進後初の2勝利であった。しかも優勝次点とはいえ優勝貴乃花には2点の差が有り7月場所武蔵丸の綱獲りのムードそもそもなかった。翌9月場所に初の綱獲りに挑む11勝に終わり、この場所を全勝優勝した貴乃花直前2場所の星取りが全く逆となったが、貴乃花異なり横綱昇進の話は出なかった。 若乃花勝は、1996年平成8年11月場所1997年平成9年1月場所11勝(同点)、14勝(優勝)と2場所連続優勝もしくはそれに準ずる成績残しながらも、理事長から横審への諮問がなかった。優勝逃して11勝は優秀な成績とはいえないとの見方もあり、この頃には「綱獲りは原則的に優勝する事が起点」という相撲協会態度定まっていた。翌3月場所横綱昇進賭けて挑んだが、初日から3連勝しながらも3日目右足大けが4日目から途中休場した魁皇博之は、2004年平成16年9月場所11月場所13勝(優勝)、12勝(次点)の成績残しながらも理事長から横審への諮問がなかった。11月場所初日黒星後に朝青龍と並ぶことが無く14日目で優勝許したのが大きかった千秋楽朝青龍下し12勝、翌2005年平成17年1月場所も綱獲りの可能性繋いだが、左肩腱板炎で途中休場失敗に終わる。それ以降魁皇2011年平成23年7月場所迄、大関在位65場所と長期間務めたが、終盤戦優勝争いに加わる事は殆ど無く横綱昇進への機会は巡らなかった。 白鵬翔は、2006年平成18年5月場所7月場所14勝(優勝)、13勝(次点)の成績残しながらも、朝青龍独走許したのがマイナス要因となり理事長から横審への諮問がなかった。新大関から2場所での横綱昇進は年6場所制で初めてとなるため、特に高いレベルでの連覇求められたためもある。関脇時代1月場所からの4場所連続13勝以上は、考慮されなかった。翌9月場所は再び昇進チャンスだったが8勝7敗の成績不振綱取り振り出しになった2007年平成19年3月場所13勝(優勝)したが、優勝決定戦内容立合い変化であったため印象悪く5月場所十分な内容求められた。その5月場所で自身初の全勝優勝という文句なし成績残し横綱昇進果たした。 逆のパターンとして、第63代・旭富士正也1990年平成2年3月場所ギリギリ勝ち越しの8勝の後、同年5月7月場所を各14勝の連続優勝昇進。第64代・曙太郎は、1992年平成4年7月場所新大関場所で全休し翌9月場所に9勝と一桁勝利の後、同年11月と翌1993年平成5年1月場所14勝と13勝の連続優勝昇進。第66代・若乃花勝は、直前場所の1998年平成10年5月場所12勝の低レベル優勝ながらも、同年3月5月場所14勝と12勝の連続優勝昇進。第67代・武蔵丸光洋1999年平成11年1月場所千秋楽辛うじて勝ち越しの8勝の後に、同年3月5月場所を各13勝の連続優勝昇進。第70代・日馬富士公平も、2012年平成24年5月場所千秋楽勝ち越した8勝7敗の後、同年7月9月場所を各15全勝連続優勝により昇進などの例がある。特に若乃花勝場合相撲協会内には「もう1場所様子みるべき」という意見有った程である。それでも「若乃花は2場所連続優勝しており、内規クリアーしている。」という理由により、貴乃花光司の2場所連続全勝優勝という完璧な成績での横綱審議10掛かったにも拘わらず横審では僅か7分で若乃花横綱昇進全会一致決めた。しかし横綱昇進後若乃花優勝1度果たせず、さらに横綱皆勤負け越しなどの不名誉な記録残したまま、横綱在位11場所(内皆勤は5場所)で早々引退してしまった。その後理事長職を務めた北の湖(第55代・一代年寄)が在任中に優勝成績13勝以上」とよく注文付けていた事も、結果的に若乃花甘かった横綱昇進の例と関係が有るではないか?との声がある。 鶴竜力三郎2013年11月場所は9勝6敗に終わったが、2014年1月場所は白鵬千秋楽まで優勝争った優勝決定戦白鵬敗れたものの、14勝1敗の優勝同点成績2014年3月場所に綱獲りを懸けることとなった(但し鶴竜当時幕内優勝経験無く大関11場所中7場所が9勝以下だったため角界内部一部慎重論出ていたが、北の湖理事長と及び内山斉横審委員長二人共に「綱獲りの場所だが13勝以上の優勝が必要」と公言している)。結果鶴竜は同3月場所14勝1敗の幕内初優勝果たし、場所後に第71横綱推挙。これで第62代・大乃国以来27年ぶりに大関連覇無しでの横綱昇進となった稀勢の里寛2016年11月場所で12勝3敗で、14勝1敗で優勝した鶴竜力三郎に星の差2つ優勝逃し2017年1月場所に14勝1敗で初優勝するまで優勝1回無かったが、前年史上初の優勝無しでの年間最多勝獲得し直前六場所の勝率(8割2分)が平成大横綱ある朝青龍白鵬横綱昇進果たした直前六場所の勝率上回るなど成績安定しており、それが「準ずる成績」に値するとされ同場所後に横綱昇進果たした貴景勝光信は、2020年(令和2年)9月場所12勝3敗とこの場所優勝した正代13勝2敗に次ぐ成績だった。翌11月場所13勝2敗で当時小結だった照ノ富士との決定戦制し優勝し内規の2場所連続優勝もしくはそれに準ずる成績挙げたにも関わらず昇進の話は全く出てこず翌場所が綱取り場所となった。その綱取り場所でも、2020年入り当時横綱だった白鵬鶴竜2人揃って連続休場していたこともあり、レベルの高い優勝場合のみによる『大関で二場所連続優勝』が昇進条件で、場合によっては連続優勝での見送りありうると、即昇進には否定的な見解だった。結局貴景勝綱取り場所だった2021年(令和3年)1月場所10日目から怪我による途中休場したため綱取りから一転翌場所は角番となった。また2021年5月場所では照ノ富士大関同士による決定戦まで進出し翌場所再び綱取り場所となるが、伊勢ヶ濱審判部長は綱取りについて「レベルが高い優勝全勝優勝くらい」が求められると、後述準ずる成績でも昇進述べた自身弟子である照ノ富士とは全く異なる見解示した。ただし場所前に具体的な数字言及はなかったが、場所中に準ずる成績13勝であることが明らかになったため、上述貴景勝事例との不整合指摘された。これには照ノ富士対す師匠贔屓ではないか批判相次いだが、結果的に照ノ富士新横綱場所から2連覇果たしているため昇進が妥当だと証明した格好となった照ノ富士春雄2021年(令和3年)3月場所関脇優勝12勝3敗)、5月場所大関優勝12勝3敗)と連覇をしたこと、再入幕してから1年通して2勝利が5回、優勝3回安定した成績残しているため、2021年7月場所では上記貴景勝とは正反対に優勝準ずる成績でも横綱昇進審判長であり照ノ富士師匠でもある伊勢ヶ濱公言。その7月場所では14日目まで全勝し千秋楽全勝相星決戦白鵬敗れ優勝逃したものの優勝準ずる成績での昇進条件成績残したため場所後に横綱昇進果たした内規直前2場所だけを見てみると近年昇進した横綱の中では12勝3敗の優勝、翌場所14勝1敗の準優勝と非常にレベルの低い内容だったが、白鵬1人横綱かつ5月場所までの5場所連続休場途中休場1場所含む)状態が考慮されとみられる。また7月場所では最終的に白鵬優勝したものの、取組内容問題視する意見挙がっており、そのこと新横綱誕生機運が高まる一因となったこのように、かつて「『大関で二場所連続優勝』が絶対条件」という基準だけに固執する弊害指摘する声も少なくなく、そもそも番付編成上は優勝と全く公平に扱われている優勝同点価値が、横綱昇進時に低く扱われることが問題視されていた(なお第56代・二代若乃花や第57代・三重ノ海など直前3場所中一度も優勝果たせなかったが、優勝次点優勝同点好成績評価され昇進した例もある)。大関昇進直前3場所の成績合計33勝以上が目安)で決まるが、それより高い成績求め横綱昇進直前2場所のみで決まるのは問題有りとして、横綱昇進内規についても「直前3場所の成績決めるよう改めるべき」との声も少なくない。しかしこれには、横綱なるには先ず大関にならなければならない以上「『大関連続優勝』の条文はその条件を既に内包している」となっており、貴景勝2020年11月場所優勝した際に必ずしも翌場所優勝横綱昇進とならない審判部言っている。 また、勝ち星内規にないことも問題とする意見もある。今後は、横綱昇進内規直前3場所の成績改めるだけでなく、勝ち星についても具体的に付け加えるべきとの声もある。 1958年昭和33年)に年6場所制が施行されてから、負け越した全休含む)場所後の2場所で横綱昇進した例は皆無である。前述横綱昇進の際に3場所の成績見るべきということについて、特に3場所前が負け越し全休含む)の場合は、2場所合計29勝以上のハイレベルな連続優勝求められるべきとの声が多い。事実2008年平成20年5月場所角番14勝1敗の優勝だった琴欧洲勝紀の綱獲り条件全勝優勝のみだった。横綱なら長期安定こそ望ましいということで、やはり負け越し後で成績不安定だから昇進ハードル高くすべきだと思われよう。 一方で本来、横綱とは数字表れる強さ加えて力士として品格態度評価されて(「品格」は内規にも明示されている)免許されていたものであり、勝率などで一律に昇進基準定めてしまっては、その本質を損なうとの反論もある。時代築いた47横綱柏戸剛などは、横綱昇進前3場所で優勝1回もない3312敗の成績で、大関推挙目安としてもギリギリとされるライン勝ち星に留まっていたにも係わらず横綱昇進果たした

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