シュメール
シュメール文明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 04:42 UTC 版)
詳細は「シュメール」および「シュメール#初期王朝時代」を参照 天水農業が可能な周辺地域と異なり、乾燥した南部メソポタミアへの人類の定着は遅れ、紀元前5500年頃に始まるウバイド期に入って始めて農耕が開始された。この時期にはエリドゥをはじめとしていくつかの大規模な定住地が誕生し、やがて町となっていった。 紀元前3500年頃にはウルク期がはじまり、メソポタミア最南部にシュメール人によるいくつかの都市が誕生した。エリドゥ、ウル、ウルクなどがこの時期に成立した都市であり、ウルク期の名も代表的な都市であるウルク市に由来するものである。紀元前3100年頃にはジェムデット・ナスル期がはじまり、都市はバビロニア全土に広がった。 紀元前2900年頃には初期王朝時代となり、ウル、ウルク、ラガシュなどの多数の都市国家が成立して絶え間ない抗争が続いた。紀元前24世紀に入ると統合の動きが強まり、ウンマの王だったルガルザゲシが周辺諸都市を征服し、ウルク市に本拠を移して「国土の王」を名乗り、シュメールを統一した。しかし紀元前2350年頃、北のアッカド王サルゴンがルガルザゲシを打倒し、アッカド・シュメール両地域の最初の統一王朝であるアッカド帝国を建国した。この王朝は150年ほど続き、第4代のナラム・シン王の下で周囲に進出して大きく国土を広げたものの、次の第5代シャル・カリ・シャッリ王の時代に東方から進出したグティ人などの侵攻によってアッカド帝国は衰退し、100年ほどの混乱期に入った。この時期各都市は再び独立し割拠したが、やがて紀元前2100年頃、シュメール人によるウル第三王朝がウル・ナンムによって建てられ、メソポタミアを再統一した。ウル第三王朝は2代シュルギ王の時代に最盛期を迎えたもののその後衰退し、100年ほどで滅亡した。
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