しゅ‐しん【主審】
しゅ‐しん【主神】
しゅ‐しん【朱唇/朱×脣】
しゅ‐しん【珠心】
しゅ‐しん【酒神】
朱唇【シュシン】(草花類)
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登録番号 | 第4813号 |
登録年月日 | 1995年 11月 8日 | |
農林水産植物の種類 | ジゴカクタス | |
登録品種の名称及びその読み | 朱唇 よみ:シュシン |
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品種登録の有効期限 | 15 年 | |
育成者権の消滅日 | 1995年 12月 9日 | |
品種登録者の名称 | 石田正幸 | |
品種登録者の住所 | 愛知県中島郡祖父江町大字祖父江字南方23 | |
登録品種の育成をした者の氏名 | 石田正幸 | |
登録品種の植物体の特性の概要 | ||
この品種は,「スカーレット」に「ソーニア」を交配し,選抜,育成されたものであり,草型がやや下垂,花色が明紅の観賞用鉢物である。 草型はやや下垂,葉状茎の分枝の程度,最大分枝長,着花葉状茎数及び全葉状茎数は中である。葉状茎の長さ及び幅は中,縁の状態は浅い鋸歯,鋸歯の大きさは小,鋸歯の数は少,横断面の湾曲はやや湾曲,表面の色は穏黄緑(JHS カラーチャート3514),着色は無又は弱である。1cm長の花蕾の色は紫ピンク(同9711),1葉状茎当たりの着花数は1~2,花形は中間,花の長さは長,横径は大,花被片の形はⅠ型,先端部の形は鋭先形,長さ及び幅は中,外花被片の縦方向の反転は平坦,花色,花被片の内面及び外面の色は明紅(同0106),花筒の長さは中,外面の色は淡紫ピンク(同9502),花糸の色はピンク白(同0401),柱頭の色は鮮赤紫(同9207)である。開花期は中生である。 「スカーレット」と比較して,草型がやや下垂であること,花の横径が大きいこと,花被片の外面の色が明紅であること等で区別性が認められる。 | ||
登録品種の育成の経過の概要 | ||
この品種は,昭和61年に出願者の温室(愛知県中島郡祖父江町)において,「スカーレット」に「ソーニア」を交配して得られた実生の中から選抜,以後,増殖を行いながら特性の調査を継続し,平成3年にその特性が安定していることを確認し育成を完了したものである。 なお,出願時の名称は「朱唇 トーカイ」であった。 |
シュ・シン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/27 06:47 UTC 版)
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シュ・シン | |
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ウルの王 | |
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シュ・シンの名が刻まれた5ミナの錘
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在位 | 紀元前2037年 - 紀元前2029年 |
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死去 | 紀元前2029年 |
配偶者 | クバティム |
子女 | イビ・シン |
王朝 | ウル第3王朝 |
父親 | シュルギ |
シュ・シン(Shu Sin、在位:紀元前2037年 - 紀元前2029年)は、ウル第3王朝の第4代王である。兄弟であるアマル・シンを倒して王位を得た。名前は「シン神の人」の意[1]。一般にウル第3王朝はシュメール系の王朝とされているが、彼の名前はアッカド語であり、メソポタミアにおけるアッカド語の普及を示す。
来歴
先々王シュルギの息子として生まれた(シュメール王名表ではアマル・シンの息子)。彼はエラム方面の軍事司令官として東部の都市デールに駐留していたが、王位についたアマル・シンと対立し、紀元前2040年頃までには反乱を起こした。アマル・シンの王妃アビシムティなどを味方に付けることに成功したシュ・シンは、紀元前2038年頃アマル・シンを倒して王位を獲得した。
王位についたシュ・シンはすぐに困難に直面した。紀元前2034年北西部の属国シマヌムが反乱を起こした。シュ・シンはこれを鎮圧したが、西からはアムル人の侵入が次第に勢いを増し、東ではエラムのザブシャリ国とスウ国を中心に反乱が発生した。
シュ・シンはアムル人に対応するために北西にムリク・ティドニム(ティドニムを阻止する物の意)と呼ばれる城壁を建設する一方(ティドニムはアムル人の部族ディドニム族を指す)、東でエラムの反乱を鎮圧して王朝を保った[2]。
彼の死後、息子でありウル第3王朝最後の王なるイビ・シンが跡を継いだ。
脚注
参考文献
小林登志子『シュメル―人類最古の文明』中央公論新社 2005
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