シュメール人の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 14:05 UTC 版)
ウバイド期・ウルク期は先史時代であり、その文化を担った人々がどのような言語を話し、いかなるアイデンティティを持っていたのかを知るすべはない。ウルク期末の文字の登場によって初めてそうした情報が残されるようになる。ウルクで発明された文字記号が実際にシュメール語で読まれていたかについて不確実性が残されており、今も異論が存在するが、文字の発明は一般的にシュメール人の手になると考えられている。ウバイド期・ウルク期を通じて重大な文化的断絶は確認されておらず、エリドゥなどの都市遺跡ではウバイド期の小祭祀場が段階的に拡大し、のちの大規模神殿が形成される過程が考古学的に確認されている。これらのことからウバイド文化と前3000年紀以降のシュメール文化に連続性があることがわかるが、それでもシュメール人がいつごろにメソポタミアに定着したのか、シュメール人たちに先行する住民が存在しなかったのかなどについて明確な回答は存在しない。 ジェムデト・ナスル期(前3100年ごろ - 前2900年ごろ)から初期王朝時代(前2900年ごろ - 前2400年ごろ)1期にかけてウルクと同じような都市国家が全シュメール(南メソポタミア)に拡大していった。初期王朝時代の2期ごろには近隣都市を従属させた有力な都市国家が複数成立していた。そのような都市国家にはキシュ、ニップル、アダブ、シュルッパク、ウンマ、ウルク、ウルなどがある。これらの都市国家では王権が強化され特定の家系に王位が独占されていき、これらの王は「王碑文」という形で自らの事績を記録に残すようになった。王碑文の出現によってシュメールの歴史は初めて王名や政治的な事件の記録を通じて具体的な叙述ができるようになる。
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