歴史書とは? わかりやすく解説

歴史書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/09 08:26 UTC 版)

歴史書(れきししょ)とは、歴史を記述した書物のことである。




「歴史書」の続きの解説一覧

歴史書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 17:04 UTC 版)

蔦の細道」の記事における「歴史書」の解説

伊勢物語』が書かれ時代以後も、多く文人歌人蔦の細道通っており、平安時代中期菅原孝標女の作『更級日記』、鎌倉時代成立したといわれる軍記物語『平家物語』紀行文『海道記』十六夜日記』、同年代の歴史書である『吾妻鑑』などにも記されている。 鎌倉時代承元4年1210年)、将軍源実朝御台所女房丹後局東海道通って京都から鎌倉へ下る途中で宇都山(宇津ノ谷峠)で追い剥ぎにあう事件が起こる。それ以後幕府駿河以西の宿々に夜行番衆をおいて旅人警護をするように命じ幕府統制力によって蛮行取り締まりが行われるようになったという。 そのような昼でも薄暗い危なイメージ歌舞伎の「蔦紅葉宇津谷峠」(つたもみじうつのやとうげ)でも描かれている。伊丹屋十兵衛が幼い盲人按摩文弥殺して100両のお金を奪うが、そのお金文弥の姉お菊が、弟に按摩官位手に入れてやるため、身を売って用立てたお金だった。やがて、文弥亡霊十兵衛女房取りつきのつるのように殺し続いていく。

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歴史書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:59 UTC 版)

承久の乱」の記事における「歴史書」の解説

『愚管抄』慈円著。一説慈円はこの書をもって後鳥羽上皇討幕思いとどまらせようとしたという。 『吾妻鏡』編纂物鎌倉幕府の半公式記録

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歴史書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 14:26 UTC 版)

帝国軍人後援会」の記事における「歴史書」の解説

山村睦夫「帝国軍人援護会日露戦時軍事援護活動日本史研究3581992年6月研究ノート。別組織帝国軍人援護会」についての論考だが、関連する記述がある。

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歴史書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:34 UTC 版)

偽書」の記事における「歴史書」の解説

歴史書においては直ち真偽判断できない難しさもあって偽書とされている史料が多い。真偽判定にあたっては、他文献との内容相違矛盾よりも、その書の成立時期について主張されている場合多くその時期を検証することが史料批判出発点となる。 『先代旧事本紀』は、室町時代まで記紀『古事記』『日本書紀』)と並ぶ「三部本書としての扱い受けていた。しかし、序文に、『日本書紀』先行する7世紀編纂である旨の記述が、江戸時代になると『天皇記』『国記』に相当する記述装っているとされ、既に国学者多田義俊伊勢貞丈らが偽書断じている。成立7世紀よりもかなり下った平安時代初期9世紀頃)と見られる。しかし後世では、序文真偽さておいて記述には『記紀』や『古語拾遺』にも見られない独自の伝承神名、特に古代大和王権研究する上で重要な国造本紀』の国造関係史料見られ、これに史料価値認め研究者数多い。 また『先代旧事本紀』と並んで『古事記』についても偽書であるとする説がある。『旧事本紀』と同じく序文内容について不審な点があり、特に編纂勅命下された年号記述がないことや、官位氏姓問題のある稗田阿礼の非実在論焦点あてられている。 他にも古史古伝では明らかに偽書であることが判明している史料多くある。「『古事記』より以前の歴史書」とのふれ込み話題となった竹内文書昭和期入ってから竹内巨麿が世に広めたもので、日本国外近代都市名の記述があるなどして偽書断じられている。しかし、『東日流外三郡誌』のように20世紀語彙含まれるものもありながら史料批判を受けることなく地元市史用いられたという例もある。これ以外にも、偽書偽文書市町村史編纂史跡整備使われ権威持ってしまう例は多い(類例には『浜松城記』がある)。 国家命運をはるか未来まで予言したという聖徳太子による『未来記』なる偽書古くから流布し『太平記』には楠木正成味方士気を鼓舞するため、後醍醐天皇からこの書の閲覧許されたとの記述がある。

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歴史書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:45 UTC 版)

第二次トゥルグ・フルモス攻防戦」の記事における「歴史書」の解説

ソ連情報ではこれらの戦いについて言及していない。歴史家David Glantzは師団史において1944年4月5月行われたこの作戦に関して言及しているものをルーマニアにおいて発見した。彼が発見した主な情報ソビエト第2戦車軍史についてであり、そこで戦い対す直接言及したものであった。そこには1944年3月遅く、第2戦車軍が第27軍担当地域移動した以下のとおり述べている。 『FocuriとPodul-Iloaeiの方面攻撃を行うこと。その後ヤシ市街向かって一撃加え、それを確保すること』 戦車軍による後続攻撃作戦に関するにおいては第27軍所属第35軍と共に攻撃したとされているが、この攻撃第3戦車軍がトゥルグ・フルモスに到着はしたが、ドイツ軍の反撃により撃退されたとしている。ドイツ軍将校により第16戦軍団特定され部隊は、この情報では言及されていないソビエト赤軍攻撃全方位及んだというドイツ主張にもかかわらず、たとえ、ソビエト赤軍ルーマニアへ侵入するに当たり最終的に強力な位置への進撃成功したとしても、トゥルグ・フルモスの戦い1944年の間に東部戦線において行われた作戦活動の中では比較小規模なものであったと現在、考えられている。

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歴史書

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桜田氏」の記事における「歴史書」の解説

櫻田家編纂の歴史書あり。宇和島伊達藩家臣であった為、櫻田家所持文書等仙台伊達藩伊達正統世次考」、「伊達世臣家譜編纂時に織り込まれていないように思われる。 このことは逆に櫻田家編纂の歴史書にしか残っていない事柄がある、という可能性生み出している。 (ただし検証十分に行う必要性がある。小林清治桑折町叢書第8集解説にて「伊達正統世次考などに記され史実所在示されている。他方、~ 正統世次考あるいは 文書所伝とは明らかに矛盾する記載数々みられる」) 「旧記」 : 櫻田家史に「旧記に~」との記載があり、その存在類推される。 「仁鑑」:「櫻田家系・合戦記」に引用元として出てくる。伊達持宗以降時代で関係のあった各人物について、書き留められてきたものらしい。 「櫻田家史」 : 愛媛県宇和島市 財団法人宇和島伊達文化保存会に写あり。全5巻。「成実記」が記され以降江戸中期編纂か。 小林清治氏によると、1巻城資永より始まり南北朝期にかけての時代2巻その後伊達持宗大仏城の戦に際し伊達家仕える迄、 3~5巻文明元年より伊達政宗の時代について記載されている。3~5巻桑折町叢書第8集に収録。 「櫻田家系・合戦記」 : 川俣町史資料13集に収録その内容から「櫻田家史」に、「伊達正統世次考」、「伊達世臣家譜」をもととする修正加え、略書として編集されたと思われる。 【櫻田家史における、他文書異な記載例】 「史実思われる部分伊達尚宗正室越後上杉氏より迎えた際、「文明の末~ 入輿の事、伊達家櫻田隠岐守奉行し」と記載。「伊達正統世次考」には特に記載みえないが、上杉中条家文書にも櫻田隠岐守が使者として来たことが記されている。 「史実かどうか検証要する部分片倉景綱 - 祖父片倉壱岐守祖父の弟は片倉藤左衛門。父は片倉主水正片倉主水正中野宗時謀反した元亀の変小松城の戦で戦死。名前が「片倉小十郎」から「備中景綱」へと変わる迄の間、「片倉宗巽」と記載している期間がある。 伊達政宗幼名について - 「梵天丸ではなく、「孫呉丸」と記載している。 その他、年代誤っていると思われる個所複数ある。特に天文時代に集中。他、天正4年伊達輝宗相馬戦にて大敗した合戦年号を、元亀元年春としている。 「櫻田家史」には記載されず、「櫻田家系・合戦記」に追記された点。伊達尚宗内紛家督相続に際して庶兄出羽守擁立する動き)により一時蘆名逃れた事件について下記記載。「伊達正統世次考」には見受けられない内容庶兄出羽守擁立派:藤田泉沢留守氏伊達尚宗擁立派:櫻田牧野中野大町内馬場飯田遠藤氏

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