震度7相当の地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 02:28 UTC 版)
本節では震度7相当の揺れであったと指摘される地震を記述する。 歴史地震については、宇佐美 (1994) は江戸時代に適用することを想定して震度判定表の試案を作成している。家屋は通常のものとし、大名、大店などはほぼ一階級強いものと考える。また1980年に東京都が作成した「地震の震度階解説表」にある老朽家屋を江戸時代の庶民の家と考えた。古記録から倒壊家屋数が記録から明らかな場合は被害率(全潰家屋数 + 0.5 × 半潰家屋数)/ 総数が70 %以上を震度VIIとし、被害率が不明でも記録に特定の村が「皆潰れ」「不残潰」「惣潰」と記述されているならば震度VIIと解釈し、「過半数皆潰」ならば震度VI - VIIとした。 内閣府が定める「災害の被害認定基準」では、柱が数度 (1/20) 以上傾斜して、屋根が一見無事に見えても再使用不能で壊して建直さなければいけない状態ならば「全壊」であるが、江戸時代の記録にある「潰家」は屋根が落ちて地面に着いた「伏家」の状態であり、現代の「全壊」より被害の程度が大きく震度を過小評価する要因である。伝統的な日本の在来工法で建てられた木造家屋が30 %以上全壊すれば震度7とされるが、都司 (2012) は、江戸時代の家屋は地震耐久性が弱いであろうから震度を過大評価する要因となり、もう少し控えめに倒壊率20 - 80 %未満を震度6強、倒壊率80 %以上を震度7と判定している。都司 (2011) は、倒壊率20 - 70 %未満を震度6強、倒壊率70 %以上を震度7と判定している。 村松 (2001) は、家屋全壊率30% 以上となる震度7の等震度線で囲まれる領域の面積とマグニチュードとの間の関係として logS7=1.25Mj-6.88±0.24の実験式を得ており、歴史地震の大雑把なMjの推定に適するとしている。また、震度7の領域は震源となった断層の近傍にあり、その分布は歴史地震の震源となった活断層の確認にも役立つと思われるとしている。 近代地震について、当時「震度7」の階級が導入されていなかった時代の中央気象台(気象庁)が最大震度VI(6)以下としている地震の中で、被害状況から震度VII(7)相当の揺れが推定される地震、あるいは導入後でも気象庁発表対象の震度観測点において最大震度が6強以下であるが、気象庁発表対象以外の計測震度計で震度7相当を観測した場合、また場所によっては震度7相当の揺れであったと指摘される地震について記述する。なお、1872年までの日にちも新暦(グレゴリオ暦)で表記している。 地震観測網整備前・震度階級導入前(歴史地震) 明応地震(1498年9月20日) - 浅羽低地付近で震度7の可能性がある。 天正地震(1586年1月18日) - 大垣、長島で震度7と推定されている。濃尾平野の液状化跡から震度7相当の揺れが推定される。清洲城の中堀跡の北側から本地震と濃尾地震の時期と推定される顕著な液状化の痕跡が発見されている。 慶長伏見地震(1596年9月5日) - 伏見城、八幡などで震度7と推定されている。兵庫の港町は500軒の家が全部壊れ、現在の神戸市域もまた震度7の範囲に入っていたことが明らかになってきた。六甲・淡路島断層帯を構成する野島断層が活動した兵庫県南部地震と、六甲断層帯および有馬・高槻断層帯が活動したと推定される本地震とは相補的な関連があったと推定される。 寛永小田原地震(1633年3月1日) - 小田原で震度7と推定されている。 寛文近江・若狭地震(1662年6月16日) - 琵琶湖西岸各地、朽木などで震度7と推定されている。 元禄地震(1703年12月31日) - 小田原、館山などで震度7と推定されている。 能代地震(1704年5月27日) - 能代、八森で震度7と推定されている。 宝永地震(1707年10月28日) - 袋井(不残潰)、布施、堅固に設けたる家は地震に倒れ、液状化で水が吹き出した高知城下、中村などで震度7と推定されている。 宝永富士宮地震(1707年10月29日) - 村山浅間神社、富士山本宮浅間大社で社殿が大破、あるいは付近の家屋が残らず倒壊し、富士宮付近で震度7と推定されている。 信濃小谷地震(1714年4月28日) - 小谷村千国坪ノ沢では大規模な山崩れが発生し、震度7と推定されている。この地震も2014年の地震と類似し、やはり神城断層の活動と推定される。 遠山地震(1718年8月22日) - 南信濃和田で震度7と推定。 津軽地震(1766年3月8日) - 油川で震度7と推定されている。 象潟地震(1804年7月10日) - 象潟などで震度7と推定されている。 羽後地震(1810年9月25日) - 脇本などで震度7と推定されている。 三条地震(1828年12月18日)- 三条などで震度7と推定されている。 善光寺地震(1847年5月8日) - 善光寺諸堂や周辺の院坊は尽く倒壊類焼し、善光寺、稲荷山などで震度7と推定されている。 伊賀上野地震(1854年7月9日) - 木津で震度7と推定されている。また、上野盆地の北端、四日市の南方、古市に震度7の存在が認められる。 安政東海地震(1854年12月23日)- 三島(丸崩・皆倒れ)、蒲原(丸崩・皆倒れ)など駿河湾北東部沿岸から西側の駿府(丸崩)、さらに袋井(丸崩)などから浜名湖付近に至るまで、および甲府盆地では軒並み震度7と推定されている。富士川河口付近には、3 m以上の変異を伴う蒲原地震山、松岡地震山が出現し、断層が地上に現れた位置と推定されている。 安政南海地震(1854年12月24日) - 上記の安政東海地震との連動型地震とみられる。中村で震度7と推定されている。 遠江の地震(1855年11月7日) - 袋井などで震度7と推定されている。 安政江戸地震(1855年11月11日) - 本所、中之郷、亀戸辺は倒潰率94 %であり震度7と推定されている。 飛越地震(1858年4月9日) - 跡津川断層に近い集落、中沢上および森安では建物の倒壊率が100 %となっている。宮川などで震度7と推定されている。 浜田地震(1872年3月14日) - 浜田などで震度7と推定されている。 震度7導入前・震度階級導入後 濃尾地震(1891年10月28日) - 直下型地震としては観測史上最大規模のマグニチュード8.0を記録し、この地震により中部地方の広い範囲に被害をもたらした辛卯震災を引き起こした。当時の震度階は「微・弱・強・烈」の四段階であったが、鯖江、大田島、勝川では「激烈」と報告された。震度7と推定される地域が美濃から尾張にかけて分布し、根尾谷断層沿いの本巣郡、木曽三川合流地域の町村では全壊率100 %となった。住家被害率60 %以上(全壊率30%以上に相当)の地域は、根尾谷断層沿いでは地震断層に沿って狭い範囲で分布し、濃尾平野では広く分布するため伏在断層が動いたと推定される。 庄内地震(1894年10月22日) - 平田村を中心とする庄内平野に震度7と推定される地域がある。 陸羽地震(1896年8月31日) - 一部では震度7相当の揺れがあったとされる。 秋田仙北地震(1914年3月15日) - 強首村で震度7と推定されている。 関東地震(1923年9月1日) - この地震により関東大震災が引き起こされた。神奈川県や千葉県房総半島南部の沖積低地を中心に震度7相当と推定、神奈川県西部、及び房総半島南部の一部には全壊率70% を超える領域もある。 北丹後地震(1927年3月7日) - 峰山町や野田川町では全壊率90% を越え、震源断層に近い地域では震度7と推定される。全壊率30% 以上の地域は郷村断層と直交する山田断層に沿って、最大幅約10 kmの範囲でT字型に分布している。 北伊豆地震(1930年11月26日) - 全壊率30 %以上の地域は震源断層を挟む10 km以内に分布し、韮山方面に広がっている。 男鹿地震(1939年5月1日) - 男鹿半島中央部に震度7と推定される激震地域がある。 鳥取地震(1943年9月10日) - 全壊率30 %以上の地域は鳥取平野を中心として広がっている。 昭和東南海地震(1944年12月7日) - 福地村、袋井町などで震度7相当と推定。 三河地震(1945年1月13日) - 幡豆郡の町村(現西尾市)などで震度7相当と推定。 福井地震(1948年6月28日) - 福井の震害が著しく、この地震による被害状況は震度7が導入される契機となった。全壊率30 %以上の地域は福井平野のほぼ全域に広がり、80 %以上の地域は震源断層付近に分布している。福井平野北部の町村では多くの地区で倒壊率が98 - 100 %に達した。 その他、1925年北但馬地震、1941年長野地震にも家屋全壊率30% 以上となる震度7の等震度線で囲まれる領域がある。 震度7(激震)導入後 十勝沖地震(1952年3月4日) - 中央気象台の『地震調査』の原簿によれば、委託観測所である大津では「家屋の倒れるもの多し」と、震度VII(7)が報告され、幸震村はVIIからVに訂正されている。 その他、1949年今市地震、1968年えびの地震、1975年大分県中部地震にも家屋全壊率30 %以上となる震度7の等震度線で囲まれる領域がある。 計測震度7導入後 鳥取県西部地震(2000年10月6日) - 防災科学技術研究所のKiK-netで、日野において震度7相当の計測震度6.6を観測。 福岡県西方沖地震(2005年3月20日) - 東京大学地震研究所の三宅弘恵らの研究チームは余震の観測記録を基に本震の地震動をシミュレーションし、推定で震度7(計測震度6.5)に達した可能性があるという試算結果を発表。筑波大学の境有紀の話によれば住宅被害の多くが地盤崩壊や崖崩れを伴い建物自体が地震動で大きく破壊されたとは考えづらいものの、屋根瓦の被害率が高い状況などから震度6強相当ではないかと自身のホームページ上で発表している。気象庁は玄界島の被害程度の調査を行っており、山本雅博地震津波監視課長(当時)は記者会見で「調査結果を総合的に見ると震度6弱程度ではないか」とコメントしている。 能登半島地震(2007年3月25日) - 家屋全壊が多かった輪島市門前町の黒島地区、道下地区、走出地区の一部に震度7相当の地震動が推定される。 新潟県中越沖地震(2007年7月16日) - 柏崎刈羽原子力発電所敷地内にある地震計1基における観測データから、震度7相当(計測震度6.5)を算出。 岩手・宮城内陸地震(2008年6月14日) - 奥州市胆沢区の石淵ダムで震度7相当の揺れがあったと見られている。 長野県北部地震(2011年3月12日) - 気象庁の推計震度分布によると、長野県・新潟県県境付近に位置する栄村・津南町・十日町市で震度7と推定される領域がある。なお、この地震は東北地方太平洋沖地震の誘発地震とされる。 福島県浜通り地震(2011年4月11日) - 気象庁の推計震度分布によると、福島県いわき市の一部で震度7と推定される領域がある。なお、この地震は東北地方太平洋沖地震の余震の一つである。 福島県中通り地震(2011年4月12日)- 気象庁の推計震度分布図によると、福島県いわき市の一部の地域には、震度7と推定される領域がある。この地震も、東北地方太平洋沖地震の余震である。 長野県神城断層地震(2014年11月22日) - 長野県白馬村の神城・堀之内地区で震度7相当の揺れがあったと推定されている。 山形県沖地震(2019年6月18日) - 山形県鶴岡市小岩川地区の墓地の一角で震度7相当の揺れがあったと見られている。 福島県沖地震(2021年2月13日) - 防災科学技術研究所の面的推定震度分布によれば宮城県山元町で震度7と推定される領域がある。なお、この地震は東北地方太平洋沖地震の余震の一つである。 福島県沖地震(2022年3月16日) - 防災科学技術研究所の面的推定震度分布によれば福島県国見町と桑折町で震度7と推定される領域がある。
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