特急「あさま」の設定後
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1966年(昭和41年)3月5日:運行距離が100kmを超える準急列車の急行格上げ措置により「高原」「すわ」「のべやま」「軽井沢」が急行列車化。 10月1日:上野 - 長野間特急「あさま」が2往復で運転開始。「信越いでゆ」廃止。「あさま」には田町電車区(後の田町車両センター→現・東京総合車両センター田町センター)所属の181系電車が充当された。 運行区間内に介在する急勾配区間の信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)では、EF63形を横川側に連結し電車は無動力にした上での推進・牽引運転であるため編成両数が8両まで制限されたことから「あさま」は食堂車不連結となった。 当初は1等車(現・グリーン車)を1両にして食堂車連結も考慮されたが、国際的観光地である軽井沢が沿線に控えていることからグリーン車2両は必須条件でこの案は却下され、代替としてサロ2両をモロ2両に変更しサシ181形・サハ180形の組込みが提案された。これは当時の「とき」「あずさ」用編成と同じ車種構成でMM'ユニット1組を外した状態で運用できることから最後まで検討されたが、そもそもモロとサシが不足気味だったことや1965年に向日町運転所(現・吹田総合車両所京都支所)所属車からサロが減車されたことから、余剰車の有効利用・運行時間・短距離運転という観点により食堂車不連結の決断が下された。 また当時の上野発着特急は1等車が上野方の2号車に連結されていたが、「あさま」は長野方の6・7号車にサロ181・180形が連結された。これは碓氷峠でEF63形と連結する際に重量のある電動車を麓側に集中させることで連結器の座屈防止には効果を発揮するためである。 181系時代の「あさま」用ヘッドマークは、田町電車区担当時代に作成した通常の国鉄書体によるものと長野運転所移管後に補充された丸ゴシックをベースにした書体の2種類が存在した。これらは489系ボンネット車にも共通で使用された。 189系「そよかぜ」 EF62牽引「軽井沢」 1968年(昭和43年)7月20日:東京 - 中軽井沢間季節特急「そよかぜ」が運転開始。「そよかぜ」には運行前年の1967年に横軽対策を施工した157系電車が投入されたが、これは1968年夏シーズンのみでその後は181系・189系・489系といった信越本線で運用される車両が主に投入された。このほかにも幕張電車区(現・幕張車両センター)所属の183系0番台房総特急用9両編成からMM'1ユニットを外しグリーン車1両増結による8両編成、田町電車区所属の183系1000番台「あまぎ」→「踊り子」用10両編成からMM'1ユニットを外した8両編成、新前橋電車区(現・高崎車両センター)所属の185系200番台7両編成が投入された実績がある。 10月1日:ダイヤ改正で以下の変更を実施。「あさま」3往復増発。1往復を直江津まで運行区間を延長、1往復を東京発着に変更。 「高原」「志賀」「丸池」を「信州」に統合し7往復運転。 「とがくし」「丸池」を「妙高」に統合。昼行が定期2往復・不定期1往復・夜行が定期1往復の4往復運転。 「信州」「妙高」用の165系電車はEF63形との協調運転が可能な169系電車に置換えを実施。ビュフェ車連結の12両編成に増強。 「軽井沢」不定期列車へ格下げ。 EF62 26牽引 旧型客車「妙高」 169系「妙高」 1969年(昭和44年)7月:「あさま」の運用を田町電車区から長野運転所に移管。 10月1日:ダイヤ改正で以下の変更を実施。「はくたか」485系電車化と同時に上越線経由へ変更。 「信州」長野電鉄直通編成を「志賀」に改称。上野 - 屋代間は「信州」と併結運転。 「信州」2往復を妙高高原発着に運転区間を延長した上で「妙高」に統合。「信州」5往復「妙高」6往復運転。 .mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 489系200番台「あさま」 189系「あさま」(国鉄色) 189系「あさま」(あさま色)1996年9月 長野 1971年(昭和46年)12月:上野 - 長野・関山間スキー臨時特急「あさま銀嶺」を運転。同列車は、長野運転所所属の181系電車のほか、早期落成していた489系電車も投入された。後に臨時「あさま」にも489系は投入されたが、1973年夏シーズンまでの運行では食堂車の営業が確認できる。 夏期には国際的避暑地の軽井沢への旅客数が大幅に増加するために1970年代以降は、「あさま」「信州」「妙高」のみならず軽井沢・中軽井沢発着の季節列車として特急「そよかぜ」や急行「軽井沢」が多数運転された。また、全車グリーン車の旧形客車のみで組成された急行「軽井沢グリーン」や後年の最繁忙期には12系客車による臨時「軽井沢」も運転された。 1972年(昭和47年)3月15日:ダイヤ改正で以下の変更を実施。「あさま」5往復に増発。うち2往復は直江津発着。 「白山」を特急に格上げ。 上田 - 新潟間の急行「とがくし」2往復運転開始(以後の沿革はくびき野を参照)。 10月2日:「あさま」エル特急化。 11月25日:「妙高」1往復を金沢まで運転区間延長した上で「白山」に格上げ。「白山」は都合2往復運転。 1973年(昭和48年)4月1日:東北新幹線上越新幹線建設工事に伴い「あさま」の東京発着を中止。全列車上野駅発着に変更。 10月1日:「白山」3往復に増強。489系電車は間合い共通運用で「あさま」増発分1往復に投入。定期「あさま」に投入された489系で食堂車が営業された実績はない。 1975年(昭和50年)3月10日 :ダイヤ改正で以下の変更を実施。「すわ」「のべやま」の長野-小諸-小淵沢間を廃止。 「あさま銀嶺」の運行終了。 10月1日:「あさま」の181系電車を新製の189系電車に置換え。189系電車は489系電車同様に横軽区間でEF63形との協調運転により最大12両編成での運転が可能となり輸送力増強が実現した。ただし、地上設備の関係で当初は10両編成で運転となり、12両化は1978年10月に実施された。 その後「あさま」は、急行列車の格上げ・「白山」の系統分割・純粋な増発などで、最終的には定期19往復(最盛期は20往復)運転となった。 489系200番台「白山」(国鉄色) サシ489-4「白山」食堂車1985年 サシ489-4車内1985年 「サロンエクスプレスそよかぜ」 EF63形と協調運転中の489系「白山」 489系300番台「白山」(白山色) 1976年(昭和51年)12月1日:「信州」「妙高」のビュフェ車が営業休止。 1978年(昭和53年)10月2日:ダイヤ改正で以下の変更を実施。「志賀」2往復中1往復を廃止。 「白山」エル特急化。上野発着となる上越特急・東北特急を含めてグリーン車連結位置を合わせる編成変更を実施し、489系電車は3MG化のために同時に食堂車を廃止。 「はくたか」の運用を向日町運転所から金沢運転所に移管し「白山」との共通運用に変更。 「そよかぜ」2往復のうち1往復で上田までの延長運転を設定。 1982年(昭和57年)11月15日:ダイヤ改正で以下の変更を実施。「志賀」廃止。長野電鉄への直通運転終了。 「妙高」昼行列車を「あさま」に格上げ。夜行1往復は車両を旧形客車から14系客車に変更。 「白山」編成変更によりグリーン車を2両から1両に減車し食堂車連結を復活。 1984年(昭和59年)7月:逗子 - 軽井沢間臨時特急「サロンエクスプレスそよかぜ」を運転。同列車はジョイフルトレインの「サロンエクスプレス東京」を充当。また、東京方始発が逗子で横須賀線・品鶴線・山手貨物線経由と現在の湘南新宿ラインと同経路で運転された。 1985年(昭和60年)3月14日:ダイヤ改正で以下の変更を実施。「白山」2往復に削減。再度食堂車を廃止。 「信州」「軽井沢」を廃止し「あさま」に格上げ。「あさま」15往復運転。 「妙高」車両を14系客車から169系電車に変更。全車普通車のとなり寝台車の連結が終了。 1986年(昭和61年)11月1日:ダイヤ改正で以下の変更を実施。「あさま」2往復を増発し、17往復体制となるが、編成は全列車9両編成に統一される。 「妙高」上野 - 長野間に運転区間を短縮。車両を「あさま」と共通運用の189系電車に変更しグリーン車が再び連結される。 1987年(昭和62年)8月:「サロンエクスプレスそよかぜ」を廃止。 1988年(昭和63年)3月13日:ダイヤ改正で以下の変更を実施。189系電車で運転されている「あさま」の一部の列車が9両編成から11両編成に増強される。 1989年(平成元年)3月14日:下り「妙高」を高崎線普通列車の終電後の最終列車にダイヤを変更。このため定期券と急行券による普通車自由席への乗車が可能となった。 1990年(平成2年)7月:11両編成で運転されている「あさま」にシートピッチ拡大やハイデッカー改造を施したグレードアップ車両を投入開始。また、高崎 - 軽井沢間を上越新幹線と連絡して運行する臨時普通・快速列車「軽井沢リレー」を運行開始。169系および185系が運用された。 1992年(平成4年)3月14日:ダイヤ改正で以下の変更を実施。「あさま」のうち、11両編成の列車はすべてグレードアップ車両で運転される。 「白山」2往復のうち1往復が上野 - 直江津間の「あさま」と長岡 - 金沢間の「かがやき」に分断され、1往復に削減される。 1993年(平成5年)3月18日:ダイヤ改正で以下の変更を実施。「あさま」1往復増発。このうち、下り列車は上野発21時00分。 「妙高」ならびに臨時「越前」を廃止。 「あさま」1往復(23号・36号)にJR西日本金沢運転所の489系電車を間合い運用で投入。 489系「白山」(1997年6月) 1996年(平成8年)5月5日 :「そよかぜ」の運転区間が上野 - 上田間に変更。 1997年(平成9年)8月18日:「そよかぜ」運転終了。実質的にこの日が廃止日となる。 9月6日:新宿経由横浜発着の臨時特急「マリンシティーあさま号」を運転開始。大宮 - 新宿 - 横浜間を、品鶴線・山手貨物線経由(現在の湘南新宿ライン)のルートで運転。 9月30日:北陸新幹線高崎 - 長野間(長野新幹線)先行開業に伴う横川 - 軽井沢間廃止により、この日をもって在来線「あさま」及び「白山」の運転を終了(廃止は翌10月1日付)。新幹線開業直後にはこれまでの利用客の流動を視野に入れて「白山」の長野以北を引き継いだ形で長野新幹線と連携した臨時特急「信州」が長野 - 福井間で運行された。
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