特急「あじあ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:46 UTC 版)
詳細は「あじあ号」を参照 1934年(昭和9年)11月、大連 - 新京間に満鉄最初の特別急行「あじあ」(中国人向け案内には「亜細亜」表記)が登場した。最高速度は110km/h、表定速度は82.5km/hで、日本国鉄の特急「つばめ」の平均速度66.8km/hを上回った。大連 - 新京(長春)間701.4キロメートルを8時間半でむすび、従来の同区間を走る急行「はと」の所要時間約10時間半を2時間も短縮させた。6両の客車を表定時速80キロ以上で走る「あじあ」は当時の代表的な超高速列車であり、世界的に注目を浴びた。高速運転を可能にした理由の一つが、流線型の外被をつけて空気抵抗を少なくした大出力蒸気機関車「パシナ型」と呼ばれる車両によって牽引されたことである。客車は全車両空調装置完備であり、このような列車は世界で初めてであった。1935年(昭和10年)9月には運転区間は哈爾濱(ハルビン)まで延長された。1943年(昭和18年)2月、戦局の悪化にともない突然運休し、そのまま姿を消した。
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特急「あじあ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 22:17 UTC 版)
詳細は「あじあ号」を参照 1934年(昭和9年)11月、大連 - 新京間に満鉄最初の特別急行「あじあ」(中国人向け案内には「亜細亜」表記)が登場した。最高速度は110km/h、表定速度は82.5km/hで、日本国鉄の特急「つばめ」の平均速度66.8km/hを上回った。大連 - 新京(長春)間701.4キロメートルを8時間半でむすび、従来の同区間を走る急行「はと」の所要時間約10時間半を2時間も短縮させた。6両の客車を表定時速80キロ以上で走る「あじあ」は当時の代表的な超高速列車であり、世界的に注目を浴びた。高速運転を可能にした理由の一つが、流線型の外被をつけて空気抵抗を少なくした大出力蒸気機関車「パシナ型」と呼ばれる車両によって牽引されたことである。客車は全車両空調装置完備であり、このような列車は世界で初めてであった。1935年(昭和10年)9月には運転区間は哈爾濱(ハルビン)まで延長された。1943年(昭和18年)2月、戦局の悪化にともない突然運休し、そのまま姿を消した。
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