特急「あずさ」の登場とその後の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 01:04 UTC 版)
「あずさ (列車)」の記事における「特急「あずさ」の登場とその後の展開」の解説
1966年(昭和41年)3月15日:準急「赤石」を急行に格上げ。 12月12日:新宿駅 - 松本駅間に特急「あずさ」を2往復新設。本来は信越本線特急「あさま」とともに10月1日改正から運行を開始する予定であったが、複線化工事が遅れた関係で12月12日にずれ込んだ。 田町電車区(→田町車両センター→現在の東京総合車両センター田町センター)配置の181系電車10両編成が充当され、上越線特急「とき」と共通運用であった。 途中停車駅は、甲府駅と上諏訪駅のみであった。 運転初日、下り「第1あずさ」が甲府駅を出発してすぐに、耕耘機と衝突する踏切事故を起こし、運転不能になった。この事故の影響で、上り急行「第2アルプス」の編成の一部を切り離して松本駅まで運転、上り「第2あずさ」も165系電車で代走した。運転開始初日から急行形車両で代走する事態に陥った特急は珍しい。 運転開始当初、新宿 - 松本間の所要時間は最速で3時間57分、表定速度は61 km/hであった。 1967年(昭和42年)10月1日:「赤石」の臨時便として臨時急行「こまがね」が運転される。 1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正により列車愛称の整理が行われ、急行「赤石」「天竜」の名称を「こまがね」に統合。 1969年(昭和44年)4月25日:臨時列車を含むすべての「あずさ」が八王子駅に停車となる。 7月1日:181系の運用移管が行われ、新潟運転所(現在の新潟車両センター)の配置となる。 1970年(昭和45年):「こまがね」が天竜峡駅まで延長運転される。 1971年(昭和46年)4月:「あずさ」の大糸線信濃大町駅まで季節延長運転開始。 1972年(昭和47年)3月15日:定期「あずさ」の大糸線への季節延長区間を、白馬駅まで延長。 10月2日:身延線身延駅まで運行する季節急行列車「みのぶ」運行開始。また、下りは最終の、上りは始発の「あずさ」として、初めて「かいじ」の源流ともいえる甲府駅発着の列車が1往復設定される。 12月28日:臨時特急「あずさ銀嶺」運転開始(全車指定席)。年末年始の毎日と1、2月の金・土・休日(下り発駅基準。上りはそれぞれの翌日)運転。下りの53号(9003M)は新宿 - 白馬間の夜行、上りの52号(9004M)は松本 - 新宿間で、松本を夕方に出るダイヤとした。 1973年(昭和48年)10月1日:この時のダイヤ改正により、以下のように変更。「あずさ」の一部に幕張電車区(現在の幕張車両センター)配置の183系電車0番台を使用開始(1972年10月改正時、増発列車用181系電車の向日町運転所からの転用と耐雪耐寒工事、中央東線対応改造の都合で、12月16日まで2往復に幕張電車区の183系を暫定的に使用している)。自由席が設置されてエル特急となる一方で、東京駅 - 上野駅間の東北回送線が廃止になった関係で「とき」と運用が分離され、新潟運転所から長野運転所(現在の長野総合車両センター)に移管され、食堂車が廃止となる。 「たてしな」が季節列車化。「みのぶ」と併結運転になる。 1975年(昭和50年)3月10日:この時のダイヤ改正より「アルプス」を電車に統一。これに伴い糸魚川駅発着系統と、小海線直通の「八ヶ岳」は廃止。この年の夏ダイヤ以後、臨時列車として運行された名古屋駅 - 茅野駅・小淵沢駅間の東西直通列車の設定がなくなる。 12月6日:「あずさ」に投入されていた181系電車の置換えで189系電車を使用開始。 1976年(昭和51年)11月30日:この日限りで「アルプス」のビュフェ車の営業を休止。 1978年(昭和53年)10月2日:この日実施されたダイヤ改正により、「下りは奇数・上りは偶数」に号数番号を統一。「たてしな」は、急行「アルプス」に名称が吸収される。 1982年(昭和57年)11月15日:ダイヤ改正により、以下のように変更された。「あずさ」の大糸線乗り入れを定期化し、運転区間を南小谷駅までに変更。 上越新幹線開業により「とき」が廃止され、183系1000番台の一部が長野運転所に転属となり、「あずさ」に転用された。 1983年(昭和58年)7月5日:中央本線のルートが「大八回り」と呼ばれた辰野駅経由から塩嶺トンネルの開通によりみどり湖駅経由の新線に切り替わったことにより、優等列車を中心に以下のように変更された。「あずさ」は全列車新線を経由することになり、スピードアップが図られる。 「アルプス」は、「こまがね」併結列車など、一部の列車を除いて、新線経由になる。 「こまがね」は、全列車飯田線唯一の急行として存続(「伊那」が廃止され、「天竜」が松本以南で快速化されたことによる)。「こまがね5号」は、平岡駅行(飯田駅から普通)に運行区間を変更し、天竜峡以南に新宿発列車が初めて乗り入れる。 1985年(昭和60年)3月14日:この時のダイヤ改正により、以下のように変更された。幕張電車区の183系基本番台が運用から撤退し、長野運転所の183系1000番台・189系が全列車を担当するようになった。この時、田町電車区からも183系1000番台が長野運転所に転入している。 「アルプス」、「こまがね」の分併駅を辰野駅から岡谷駅に変更し、昼行「アルプス」全列車がみどり湖駅経由に運行区間を変更。 「かいじ」を臨時列車に格下げ。
※この「特急「あずさ」の登場とその後の展開」の解説は、「あずさ (列車)」の解説の一部です。
「特急「あずさ」の登場とその後の展開」を含む「あずさ (列車)」の記事については、「あずさ (列車)」の概要を参照ください。
- 特急「あずさ」の登場とその後の展開のページへのリンク