輸送軸の変化と単線化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 08:22 UTC 版)
太平洋戦争の戦況が悪化すると、貨物輸送強化の為に旅客列車は削減・廃止されていった。看板列車である特急「あじあ」も1943年2月末に運転休止となった。日本が制海制空権を失ったことで、大連港経由の貨物が激減して連京線の線路容量に余剰が生じる一方、日本と華北・華中を結ぶ陸運輸送が強化され、満鉄の輸送主軸は安奉線(安東 - 奉天)・奉山線(奉天 - 山海関)などに移行した。これら路線の輸送力強化に必要な設備・資材を捻出するため、1944年8月1日から11月3日までに連京線の三十里堡駅 - 大石橋駅間180.3kmが単線化された(この工事を桜工事と呼称した)。
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