南満州鉄道「はと」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 08:40 UTC 版)
「つばめ (列車)」の記事における「南満州鉄道「はと」」の解説
「燕」が日本を代表する特急列車であった頃、満州では急行列車「はと」が誕生した。 中国における日本の国策会社であった南満州鉄道(満鉄)は1932年、大連駅 - 長春駅(満州国成立に伴い首都となり、同年“新京”に改名)間を運行していた急行列車に「はと」と命名した。 当初は満鉄を代表する優等列車であったが、1934年11月により高速で高級な設備を備えた特急「あじあ」が登場し、代表列車の座は明け渡した。しかしその後も速度向上は行われ、1939年11月時点では大連駅 - 新京駅間を10時間20分、表定速度68.4 km/hで運行された。 その後の第二次世界大戦下における戦況の悪化により、1943年2月に「あじあ」が廃止され、「はと」も速度低下する。しかし「はと」は、1945年8月のソ連軍による満州侵攻時まで運行を継続した。 ソ連軍の侵攻の後、南満州鉄道は中国長春鉄路に移管され、満州における「はと」の歴史は幕を閉じた。
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