日米両軍司令官の戦死と自決とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 日米両軍司令官の戦死と自決の意味・解説 

日米両軍司令官の戦死と自決

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:17 UTC 版)

沖縄戦」の記事における「日米両軍司令官の戦死と自決」の解説

5月25日に、それまで海軍連合艦隊指揮下で沖縄方面航空作戦行ってきた陸軍第6航空軍は、連合艦隊指揮下を脱したその後6月9日をもって沖縄での主作戦打ち切り物資投下などの支援のみを行う事となった。陸軍機は喜屋武陣地上空毎日のように単機〜数機飛来し、第32軍が要望していた対戦車爆雷資材15センチ榴弾砲弾などを投下していったが第32の手に届く量は微々たるものだった。しかしかすかな希望断続的に32将兵与え効果はあったという。 6月5日アメリカ軍第24軍団が日本軍南部防衛全線渡って攻撃してきた。それを迎え撃つ日本軍は数は30,000名以上いたものの、正規歩兵戦力その内11,000名に過ぎず残り火砲失った砲兵通信整備設営隊等の支援部隊沖縄現地召集防衛隊などであった日本軍戦力不足ながら防衛各所善戦しアメリカ軍何度も撃退した八重瀬岳守備する独立混成第44旅団は、6月12日までアメリカ軍2個師団3日間にわたり足止めし、13日総攻撃を受け主力壊滅したが、周囲洞穴には多数残存兵がおり、掃討戦続けられた。 西側戦線国吉戦線では、歩兵第32連隊連隊長北郷格郎大佐)以下1,500前後守備隊が、隣接する眞榮里高地守備する歩兵第22連隊連隊長吉田勝大佐)と共に海兵師団相手17日まで同丘陵地域を死守している。丘陵からの激し射撃により、海兵隊死傷者続出13日には140名が死傷し撃退されている。丘の上では戦車支援なしには立つこともできないぐらいの激し日本軍攻撃だったが、その戦車速射砲攻撃され5日間で21両もの戦車撃破された。それでも、アメリカ軍は1両の戦車歩兵6名と弾薬積み前線送りこむ一方で帰路死傷者積んで帰ってくるという強行攻め続け激戦結果17日には「馬乗り攻撃」で眞榮里高地歩兵第22連隊司令部陣地爆破吉田連隊長戦死、第32連隊第2大隊残存兵力26名で大隊長以下突撃し全滅5日間に渡る激戦の末に丘陵制圧された。この間アメリカ軍死傷者は1,050名と大きいものになったアメリカ軍日本兵住民に対してビラ800万枚撒いて投降促した。バックナー司令官自らも牛島司令官宛に親書降伏勧告行ったが、6月17日親書受け取った牛島一笑に付して拒絶した降伏勧告牛島送ったバックナーは、翌6月18日喜屋武半島最前線視察出向いた。途中で第6海兵師団22海兵連隊長のハロルド・ロバーツ大佐より「これより前線へはいかれぬよう。第96歩兵師団前面日本軍陣地から、かなりの側射弾がとんできますから」との忠告受けたが、バックナーはそれを無視してさらに前線進んだロバーツはバックナーに忠告した1時間後に自らも日本軍狙撃戦死した。バックナーは第2海兵師団第8海兵連隊が戦う最前線到達し珊瑚礁の岩の隙間から戦闘の様子眺めていたが、バックナーを発見した日本軍から攻撃を受け、まずは一式機動四十七粍速射砲近くの岩に着弾その後砲弾数発が着弾しそのうちの1発の炸裂吹き上げられ破片がバックナーの胸を抉った。バックナーはその10分後に牛島への降伏勧告回答聞くともなく戦死した。このバックナーを倒した砲弾アメリカ陸軍公式記録上では『 Dual-purpose gun英語版)』(両用砲)の砲弾とされ口径までは特定されていないが、アメリカ海兵隊公式記録では一式機動四十七粍速射砲砲弾とされ、バックナーの付近にいたハバード補佐官ら2名が負傷しなかったことからも、小口径の砲弾との見做されて、アメリカ資料では海兵隊記録同様に47とされていることが多い。日本側では、2002年野戦重砲兵第1連隊第2大隊元中隊長長年沈黙破り自分指揮による九六式十五糎榴弾砲砲撃だったと証言している。他方日本側には東京都出身の「小野一等兵」が小銃狙撃したという証言もあるが、厚生省によると該当する兵士存在確認されていない。バックナーは第二次世界大戦中アメリカ軍敵の攻撃戦死した最高位軍人となった日本側にとって将官クラス敵軍部隊最高指揮官死亡させる大戦であったものの、アメリカ軍有利の状況には変化はなかった。奇しくも、バックナーの戦死により、沖縄戦開始前に飛行機事故死したミラード.F.ハーモン中将と、沖縄優先攻略主張した司令官クラスの2名の中将いずれも沖縄戦終結目にすることはできなかった。 バックナーが戦死した6月18日には、第32軍司令部各部隊との通信途絶し、軍としての組織的戦闘不可となっており、第32軍司令部最後の命令下達している。命令文長野参謀起案したが、長が「諸士よ、生きて虜囚辱め受くことなく悠久大義生くべし」の一項を付け加え牛島黙って署名している。その後大本営と第10方面軍訣別電報送ったまた、訣別電報には辞世添えらていた。 秋待たで枯れゆく島の青草皇国春に甦らなむ矢弾つき天地染めて散るとても 魂かえり魂かえりつつ皇国護らん — 牛島満 醜敵停滞南西地 飛機覆空艦圧海敢闘九旬一夢中 万尽走天外 — 長勇 バックナーの死の情報を第32軍が知ったのは、第32軍の訣別電報対し大本営から返電された参謀総長陸軍大臣連名訣別電報で「第32軍が人格高潔な牛島将軍の下、勇戦敢闘実に3か月、敵の首将シモン・バックナーを斃し、その麾下8個師団痛撃与え・・・貴軍の奮闘により、今や本土決戦準備完整せり。敵もし本土侵寇せば、誓って仇敵撃滅し、貴軍将兵忠誠に対えん」というものであった。 長と八原ら参謀は、まるで沖縄戦勝利したかのように錯覚するほどの喜び覚えたが、八原が牛島を見ると、参謀らの狂喜当惑した表情見ており、敵将の死を悼んでいるようであった。八原はその牛島様子見て牛島人柄再認識し自分襟を正す気持ちになったという。 アメリカ第10軍指揮は、第3水陸両用軍団長ロイ・S・ガイガー海兵中将少将より昇進)が司令官代理務め同月23日にはジョセフ・W・スティルウェル大将後任司令官となったまた、翌日には第96師団副師団長クラウディウス・M・イーズリー准将英語版)も日本軍機銃掃射頭部受けて戦死している。イーズリーレイテの戦いでも日本兵狙撃負傷してパープルハート章授与されていたが、続く沖縄戦では戦死することになった日本軍戦線崩壊次第進み喜屋武地区守備していた、軍主力第24師団も、既に師団としての組織的抵抗不能な態となっていた。この頃になると、日本軍では野戦病院横たわる治療の術のない多数傷病兵に、毒薬注射した青酸カリ配布して自決促したり、動ける兵も、アメリカ軍追い詰められると、手榴弾自決することを選び一日4,000名の兵士亡くなっていた。沖縄戦での日本軍戦死者のうちで実に47%が6月1か月間で戦死している。 また、軍と行動を共にしていたひめゆり部隊も、6月19日陸軍野戦病院地下壕アメリカ兵から投げ込まれ黄燐手榴弾火炎放射器多数死亡生き残った女生徒一部も、6月22日アメリカ軍捕虜となれば暴行拷問を受けると考えて断崖から身を投げており、ひめゆり部隊女生徒犠牲者125名にもなった。軍の組織崩壊始まり今までほとんど見られなかった集団投降増えてきた。6月20日摩文仁東端占領したアメリカ軍32歩兵連隊は977名もの大量日本兵捕虜にした。 6月23日午前4時ごろ(6月20日6月22日との説もある)、日本沖縄守備最高指揮官牛島参謀長の長が、摩文仁軍司令部自決した。これによって沖縄守備軍の指揮系統は完全に消滅した24日頃には基幹部隊であった歩兵22・第89連隊は、軍旗を奉焼し玉砕全滅)。大本営も、6月22日菊水十号作戦をもって菊水作戦終了し6月25日沖縄本島における組織的な戦闘終了発表した。第32軍司令部自決知ったアメリカ軍は、第10軍各軍団長師団長幕僚整列し軍楽隊が「星条旗よ永遠なれ」を奏でる中、星条旗ポール高く掲げ戦勝セレモニー行っている。 アメリカ軍からは軍事的視点で「見事に首里撤退し、時をうつさず南部新たな戦線確立した」「アメリカ軍全力をあげて集中攻撃加えても、戦闘を終わらすまでに三週間以上を要したのである。」と評価された第32軍の南部撤退であったが、戦火逃れて南部避難していた大量住民との軍民混交招き住民犠牲激増させる要因になり、沖縄戦における住民戦没者全体の6割が、第32軍が南部撤退した6月以降南部地域において亡くなっている。

※この「日米両軍司令官の戦死と自決」の解説は、「沖縄戦」の解説の一部です。
「日米両軍司令官の戦死と自決」を含む「沖縄戦」の記事については、「沖縄戦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日米両軍司令官の戦死と自決」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日米両軍司令官の戦死と自決」の関連用語

日米両軍司令官の戦死と自決のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日米両軍司令官の戦死と自決のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの沖縄戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS