レイテの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:06 UTC 版)
「ラフィー (DD-724)」の記事における「レイテの戦い」の解説
翌日出港したラフィーはパナマ運河とカリフォルニア州サン・ディエゴを経由し、9月に真珠湾に到着。大規模な訓練の後、ラフィーは10月23日に戦闘海域へ向かい、エニウェトク環礁経由で11月5日ウルシー環礁の泊地に停泊した。同日、ラフィーは第38任務部隊(Task Force 38 ,TF 38)の護衛に参加し、それからフィリピンの日本軍艦艇、航空機、飛行場に対する空襲を支援した。11月1日、ラフィーは一本の落下傘が降りてくるのを発見し、護衛配置を離れて重傷を負った日本軍のパイロットを救助した。翌日、給油活動に合わせてパイロットの身柄は空母エンタープライズに移された。ラフィーは11月22日にウルシー環礁へ戻り、11月27日に第60駆逐戦隊(Destroyer Squadron 60, DesRon 60)と共にレイテ湾へ向かった。第7艦隊の大型艦艇への対空・対潜護衛任務を行いつつ、ラフィーは12月7日にオルモック湾への上陸を援護し、沿岸砲台を沈黙させ集結中の敵部隊に砲撃を行った。 12月8日にレイテ島サン・ペドロ湾での短期間の修繕の後、ラフィーを含む第77.3近接支援群(Close Support Group 77.3)は12月12日にミンドロ島へ向け出撃、12月5日から島への上陸作戦を支援した。橋頭堡が確保された後、ラフィーはレイテ島へ戻る空荷となった揚陸艦艇を護衛し、12月17日にサン・ペドロ湾へ到着した。10日後、ラフィーはミンドロ島周辺海域の警戒のために第77.3任務群(Task Group 77.3 ,TG 77.3)に加わる。一時的にサン・ペドロ湾へ戻った後、ラフィーは第7艦隊に再加入し、1945年1月中をルソン島リンガエン湾に上陸する部隊と揚陸艦艇の護衛を行って過ごした。カロリン諸島へ退いたラフィーは1月27日にウルシー環礁へ到着、2月には東京への陽動爆撃と硫黄島で戦う海兵隊への直接支援爆撃を行う第58任務部隊(Task Force 58,TF 58)を支援した。同月下旬、ラフィーは重要な諜報情報をグアム島にいるチェスター・ニミッツ元帥の元へ運び3月1日に到着した。
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