日米交渉から開戦までとは? わかりやすく解説

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日米交渉から開戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 04:22 UTC 版)

フランクリン・ルーズベルト」の記事における「日米交渉から開戦まで」の解説

1941年4月からは日中間の戦争調停日米間の和平合意目指す日米交渉本格化した。しかし、日独伊三国同盟問題満州国など日米の溝は大きく交渉はまとまらなかった。当時日本指導部第2次近衛内閣)は日米国力の差を考え対米戦争に対して消極であった。 しかし、1941年7月2日策定され情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱によるフランス領インドシナオランダ領東インドへの進駐計画アメリカとの衝突をも予期したものであった7月18日第3次近衛内閣発足後日本が平和目的であるとしながら南部フランスインドシナ進駐ほのめかすうになると、7月25日に在アメリカ日本資産凍結行った。しかし7月28日進駐実行され8月1日アメリカは「日本を含む全侵略国」への石油禁輸行った第二次世界大戦における自陣拡大希望を持つドイツイギリス日米交渉打ち切り外部から働きかけていた。ロナルド・リンゼイ(英語版駐米英国大使は「ルーズベルト大統領戦争避けるため、経済封鎖固執していた」と述べている。ただ、ハルノートイギリス工作などを見る限り戦争前提このような経済的締め付け行っているとの見方もある。 「第49回大本営政府連絡会議」も参照 またこの間1941年8月9日から12日にかけて、イギリスチャーチル首相大西洋会談行い米英首脳共同調印で、「大西洋憲章」を発表した。さらに、9月1日にはナチスドイツイギリスフランスに対して宣戦布告行い第二次世界大戦勃発したが、9月3日ルーズベルトラジオ放送通じアメリカ中立的な立場を守ることを宣言した8月17日野村ルーズベルト会談において、豊田貞次郎外相首脳会談による調整提案したが、ルーズベルト日本側の態度変更がない限り応じられない回答した。またハミルトン・フィッシュ3世en:Hamilton Fish IIIによれば近衛首相ルーズベルト大統領との会談希望したが、すでに対日戦決意していたルーズベルト会談要請拒絶したという。また駐日米国大使ジョセフ・グルー首脳会談開催強く要請したが、ルーズベルト政権は「会談必要なし」として却下している。 以降10月18日発足した東條内閣東條英機首相)と水面下対日交渉に臨むものの、11月27日日本側が最後通告受け取ったハル・ノート手交された。日本側は12月1日御前会議対米開戦正式決定したが、12月6日ルーズベルト昭和天皇宛に「平和を志向し関係改善目指す親電送った。しかしこの日は日本側の交渉打ち切り文書である「対米覚書」が野村吉三郎大使渡された日だった。 1941年12月7日日本時間12月8日)の日本軍真珠湾攻撃により太平洋戦争開戦直後閣議決定における日本側の呼称大東亜戦争)が勃発し翌日12月8日)には、「Pearl Harbor Address to the Nation」(=真珠湾攻撃国民告げる)として、日本への宣戦布告議会求めたアメリカ議会の上院は全会一致下院1人ジャネット・ランキン)が反対したのみで、宣戦布告承認したその後ルーズベルトイギリス首相ウィンストン・チャーチルに「我々は同じ船に乗りました日本攻撃してきました」と報告した際、チャーチルは手を叩いて喜んだその後議会日本軍の「卑劣な騙し討ち」を非難しその日のうちに宣戦布告誓約署名して日本との戦争突入した

※この「日米交渉から開戦まで」の解説は、「フランクリン・ルーズベルト」の解説の一部です。
「日米交渉から開戦まで」を含む「フランクリン・ルーズベルト」の記事については、「フランクリン・ルーズベルト」の概要を参照ください。

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