日米パートナーシップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 00:14 UTC 版)
「エドウィン・O・ライシャワー」の記事における「日米パートナーシップ」の解説
出生や家族といった側面だけでなく、ライシャワーは上記の論文で主張した日本の多くの層との対話を実行に移し、全国に妻とともに積極的に出向き、市民との対話を演出したほか、昭和天皇などの皇族や、池田勇人や佐藤栄作などの現職の首相や、吉田茂や岸信介などの元首相などの与党リーダー層のみならず、社会党などの左派野党議員や石坂泰三などの経済人、池田大作などの宗教関係者や左派を含む労働組合関係者とも積極的に会談を行うなど、アメリカ本国のケネディ政権と協調して日米政府間の対等をアピールすることで、「日米パートナーシップ」、「ケネディ=ライシャワー路線」と称される日米蜜月時代を演出しようとした。 また、冷戦下においてこれまで大使館とは微妙な関係を保っていた在日アメリカ軍との関係改善にも臨み、在日アメリカ軍司令官や太平洋軍司令官、そして沖縄の琉球列島高等弁務官などとも緊密な関係を取り続けた。さらに、日本を訪問したアヴェレル・ハリマンやリチャード・ニクソン、ロバート・ケネディなどの政界関係者と日本の政財界人との間をつなぐだけでなく、彼らに対して同盟国の日本との関係の重要性を理解させるように努めた。 しかし、1963年(昭和38年)11月のケネディの暗殺後にリンドン・B・ジョンソン政権に代わった頃以降には、皮肉にも自らを抜擢したケネディ政権が始めたアメリカのベトナム戦争政策を起因とする、日本人の反米感情の高まりへの対処に苦慮することとなる。
※この「日米パートナーシップ」の解説は、「エドウィン・O・ライシャワー」の解説の一部です。
「日米パートナーシップ」を含む「エドウィン・O・ライシャワー」の記事については、「エドウィン・O・ライシャワー」の概要を参照ください。
- 日米パートナーシップのページへのリンク