国鉄60系客車とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 製品 > 乗り物 > 列車 > 国鉄・JRの車両形式 > 国鉄60系客車の意味・解説 

国鉄60系客車

(国鉄オハ62系客車 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 13:29 UTC 版)

国鉄60系客車(こくてつ60けいきゃくしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が1949年(昭和24年)から木造客車を改造して鋼製客車とした客車の形式群である。このグループを総称する形で鋼体化改造車(こうたいかかいぞうしゃ)とも呼ばれる。


注釈

  1. ^ ただし八高線事故が起きた1947年2月当時は、石炭不足を理由に急行は全廃されていた。同年4月から急行列車の運転が復活し、特別急行列車が復活したのは1949年9月である。
  2. ^ 鉄道国有化前に設計・製造された、官鉄日本鉄道山陽鉄道関西鉄道などから継承された種々雑多な客車群を指す(鉄道国有化後製造であっても、車両標準化以前の旧式構造を継続して1911年頃まで製造された客車も含む)。
  3. ^ 特に総武・房総地区路線には老朽度の高い木造車が集まっており、千葉県在住の鉄道愛好家白土貞夫による「千葉鉄道管理局における天然ガスカーの盛衰」(『鉄道ピクトリアル』177号、1965年11月、p.27)の記述によると、1949年3月当時、総武・房総各線を走る客車340両のうち83%の282両がナハ22000形などの木造車で、「雨漏がして久留里線の車中で傘をさしたという乗客の声がNHKラジオの電波に乗るような最悪な状態」であったという。
  4. ^ 50系電車・62系電車1934年(昭和9年) - 1944年(昭和19年)改造。
  5. ^ オハ31980・オハフ34180形およびスイテ37050形の計5両。1939(昭和9)・1940年(昭和15年)改造。
  6. ^ ナロネ20100形、ナイロ20500形、ナロ20600形・20850形、ナロハ21300形、ナハ22000形、ナハフ24000形などの一般に22000系(同時期製作の20 m級3軸ボギー車との区分上、大形2AB車とも呼称された)と呼ばれる17 m級2軸ボギー車。
  7. ^ ホロハ18230形・18260形、オハ18000形・18430形、スハ18500形、ナロハ11300形・11600形、ナハ10000形、ホハ12000形・13000形などが種車とされた。大型客車との対比で「中型客車」とも呼ばれる。
  8. ^ 1952年時点の星晃の記述では魚腹台枠のみ全長17 mのまま鋼製化することも考えられていた模様であるが[要文献特定詳細情報]、結局は20 m延長工事が実施された。
  9. ^ 昭和時代に入ってからの20 m鋼製客車で標準装備された低圧式蒸気暖房装置に対し、それ以前の木造車で使われていた高圧式蒸気暖房装置は、温度向上は早いが熱効率が低く、圧力の高さで安全性に劣り、また長大編成内では機関車に近い車両と遠い車両とで暖房の効きに大差が出る問題があった。以上は、坂上茂樹・原田鋼 「機関車ボイラにおける負荷の一要素としての蒸気暖房 : 列車蒸気暖房の端緒から連合軍専用列車の時代まで大阪市立大学経済学研究科『Discussion Paper』No.88、2015年4月1日、pp.15-16、ほか[要文献特定詳細情報]による。
  10. ^ 北海道向け車は、通常は鎧戸が収まる窓上の天袋部分を、耐寒用の二重窓の内窓スペースに充てねばならず、日よけには別に巻き上げカーテンが必要であった。
  11. ^ 鋼体化着手後に、国鉄名古屋工場の木工場で砥石を用いて薄鋼板にて鎧戸羽板の加工を低コストに行う手法が考案され、以後鋼体化客車の窓用鎧戸はプレス鋼板化され名古屋工場で集中生産されている[要出典]
  12. ^ 国鉄のほとんどの線区で蒸気機関車牽引が当たり前であった時代、長距離乗客には顔や手の汚れを洗い落とす設備提供が必要であった。主要駅のプラットホーム上にも一度に大人数が利用できる洗面台が設置されていた。
  13. ^ 映画『生れかわる客車』では、種車となる木造客車の老朽化した車内も撮影されているが、荷棚や座席土台に鋼体化客車と同形の金具が用いられているのが見受けられる
  14. ^ 1948年(昭和23年)10月の段階で組み込み先となる大形客車が3,298両あったのに対し、基本・中形客車は1,720両あり、大形客車を全車改造しても半数以上が余剰となった。
  15. ^ 1948年(昭和23年)10月の段階で3軸ボギー式が97両、2軸ボギー式が528両、と第一線を退いたとはいえいまだ多数が残存していた。
  16. ^ 事故車は1925年製木造車で戦時中に客室車端部座席を撤去して床面積を広げてあり、車内側板に立ち客の圧力を直に受ける状態であった。成田線から直通の千葉駅方面上り列車で運行中、佐倉駅到着前から客の圧力で腐朽部の破損が広がり出し、事故車が列車から外された四街道駅到着時点で、車体隅柱の開きが180mm、長土台部分破損長さ2メートルに達した。事故車は事故翌月の7月に鋼体化予定で、老朽化進行した木造車体の修繕がおろそかになっていた(I生「客車の盲点」『交通技術』1951年7月号、交通協力会、pp.28 - 29による)
  17. ^ 戦前まで客車は、車両本体の管理は工作局(現業は検車区)、尾灯・扇風機などの電装品の管理は電気局(現業は車電区)が管理し、尾灯については車両運用とは別に尾灯用の運用が存在し、車電区職員が着脱をおこなっていた。1954年、組織改正により現業部門が客車区・客貨車区に統合されたのを機に、車両管理の簡素化を狙って尾灯の車体一体化が実現することになった。[要出典]
  18. ^ この時代、特別二等相当のリクライニングシート車の標準座席間隔は1,160mmにほぼ定まっていた。1950年代前半の「特ロ」各車増備過程において、座席間隔設定を試行錯誤した経験でスロ53形において見極められた数値で、以後60年以上に渡って、国鉄・JR各社の新幹線を含む優等車両用リクライニングシート車の多数で踏襲されている。[要出典]
  19. ^ これら2形式より軽量かつ新しい一等客車としては、ナロ10形(オロ11形)が当時存在した。しかしそれらは東海道・山陽本線系統の急行に1975年の全車廃車まで集中投入されており、上野発着急行に充当する余剰車は存在しなかった。
  20. ^ 格上げ改造当初に(乗り心地改善も兼ねて)軽量台車に取り替えているため、スロ54の冷房改造のときのような元より軽い台車への交換で重量増分を帳消しにする手法が採れなかった。
  21. ^ 国鉄社員の匿名筆者による当時のレポート記事・TY生「誌上案内 急行列車の巻(8)」(『鉄道ピクトリアル』No.67(1957年2月号)、鉄道図書刊行会、pp.16 - 17)では、当時俊足で知られた上越線急行『越路』の編成紹介で「殿りをつとめるオハニ63はなかなかケッ作で、室内装飾はスハ43並みでスハニ35などより良いが、足廻りはTR11でゲン滅どころか果してこれで90キロも出るのか一寸心配になる」とまで書かれた。

出典

  1. ^ 鉄道保安要史その6 1986, p. 118
  2. ^ a b c 井澤克己 1949, pp. 15–17.
  3. ^ a b 鉄道データファイル』107号、デアゴスティーニ、2006年3月、p.1
  4. ^ a b 宮島三郎「木製客車鋼体化と客車事情」『国鉄線』1952年7月号、交通協力会、pp.6 - 7
  5. ^ 『鉄道データファイル』107号、デアゴスティーニ、2006年3月、p.1 - 2
  6. ^ 瀬古龍雄「木製客車通観(6)」『鉄道ピクトリアル』1956年1月号、鉄道図書刊行会、p.23
  7. ^ a b 『鉄道データファイル』107号、デアゴスティーニ、2006年3月、p.2
  8. ^ a b c 瀬古龍雄「木製客車通観(終)」(『鉄道ピクトリアル』1956年9月号、鉄道図書刊行会、p.40
  9. ^ a b 岩崎清、ほか「鉄道技術の進展 1953」『交通技術』増刊第94号、交通協力会、1954年6月、p.11
  10. ^ 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 上巻』p.102
  11. ^ 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 上巻』p.103
  12. ^ a b c 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 上巻』p.104
  13. ^ a b c d 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 上巻』p.131
  14. ^ a b 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 上巻』p.107
  15. ^ a b 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 上巻』p.133
  16. ^ 『鉄道データファイル』107号、デアゴスティーニ、2006年3月、p.5
  17. ^ 『鉄道データファイル』111号、デアゴスティーニ、2006年4月、p.1
  18. ^ a b 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 上巻』p.113
  19. ^ 『交通年鑑 昭和27年度』交通協力会、1952年、p.151
  20. ^ a b 『鉄道データファイル』107号、デアゴスティーニ、2006年3月、p.3
  21. ^ 土井厚「ディーゼル・カー増発について」『国鉄線』1953年11月号、交通協力会、p.17
  22. ^ 土井厚「年末の荷物輸送」『国鉄線』1953年12月号、交通協力会、p.3
  23. ^ a b 岡田誠一「鋼体化客車 車両の歩み 前編」『鉄道ピクトリアル』700号(2001年5月号)、電気車研究会、pp.22-23
  24. ^ 『鉄道データファイル』107号、デアゴスティーニ、2006年3月、p.7
  25. ^ a b c 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 下巻』p.160
  26. ^ a b 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【前編】」『鉄道ピクトリアル』2001年5月号、p.17
  27. ^ 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 下巻』p.161
  28. ^ 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 下巻』p.150
  29. ^ a b 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 下巻』p.156
  30. ^ a b 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 下巻』p.165
  31. ^ a b 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 下巻』p.143
  32. ^ 『国鉄線』1951年9月合併号、交通協力会、p.22
  33. ^ 『鉄道ピクトリアル』700号(2001年5月号)、電気車研究会、p.29
  34. ^ 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【前編】」『鉄道ピクトリアル』2001年5月号、p.24
  35. ^ 『鉄道データファイル』285号、デアゴスティーニ、2009年8月、p.19
  36. ^ 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【後編】」『鉄道ピクトリアル』2001年6月号、p.11
  37. ^ a b c d 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【後編】」『鉄道ピクトリアル』2001年6月号、p.13
  38. ^ a b 岡田誠一『国鉄鋼製客車I』2011年、p.182
  39. ^ 岡田誠一『国鉄鋼製客車I』2011年、p.185
  40. ^ a b c d 岡田誠一 2008, p. 191.
  41. ^ 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【後編】」『鉄道ピクトリアル』2001年6月号、p.15
  42. ^ 和田岬線のオハ64 RMMスタッフ徒然ブログ、2006年4月8日。
  43. ^ a b c d e f 岡田誠一 2011, p. 62.
  44. ^ a b 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 下巻』p.235
  45. ^ オハフ64 随時アップ:消えた車輌写真館(鉄道ホビダス)、2013年3月8日。
  46. ^ a b c 岡田誠一 2008, p. 195.
  47. ^ a b c 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 下巻』p.254
  48. ^ a b c d e 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【後編】」『鉄道ピクトリアル』2001年6月号、p.23
  49. ^ 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【後編】」『鉄道ピクトリアル』2001年6月号、p.24
  50. ^ a b c d e f g h i j k l 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【後編】」『鉄道ピクトリアル』2001年6月号、p.26
  51. ^ a b c d e f g h i 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【後編】」『鉄道ピクトリアル』2001年6月号、p.25
  52. ^ 「平成〜令和の旧形客車」『鉄道ピクトリアル』2021年7月号、p.112
  53. ^ 『鉄道ジャーナル』通巻537号、p.116
  54. ^ a b 「平成〜令和の旧形客車」『鉄道ピクトリアル』2021年7月号、p.108
  55. ^ a b 鉄道ファン』1998年1月号(通巻441号)、交友社、p.112
  56. ^ 『鉄道ファン』1996年7月号(通巻423号)、交友社、p.148






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「国鉄60系客車」の関連用語

国鉄60系客車のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



国鉄60系客車のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの国鉄60系客車 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS