コンサート関連とは? わかりやすく解説

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コンサート関連

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:23 UTC 版)

浜田省吾」の記事における「コンサート関連」の解説

1976年ソロデビューした時期が、ちょうど矢沢永吉ソロデビュー重なりCBSソニー矢沢売り出す一環として行ったのが、矢沢のフィルムコンサートであった。同じCBSソニー所属だった関係で浜田は、そのフィルムコンサートの前座務めた。ギターケース一つ下げて地方指定され会場何度一人行った。そこは会場周辺オートバイシャコタン改造されクルマ取り巻暴走族集会のような光景会場内リーゼント革ジャンという客で埋め尽くされている。フィルムコンサートは、本人ステージに立つコンサートよりも熱狂的なファンが集まるため、「期待の新人浜田省吾です」などという司会の声はまるで耳に入らず、「永ちゃんコール繰り返し、「早く永ちゃんやれよ!!」と罵声が飛ぶ。スタッフから革ジャン借りてトイレで髪を濡らしてリーゼントにして持ち歌を歌うが、曲が終わって聞こえてくるのは、「永ちゃんコールであった。さらに地方プロモーションに行くと、広島以外ではまったくの無名で、浜田知る人皆無聞かれることは「広島フォーク村ってどうなったんですか?」「吉田拓郎はどんな人ですか?」ばかりで、吉田拓郎恩人ではあるが、嫌悪感すら生まれ、名前を耳にするのもうとましくなったという。 1970年代後半長い下積み時代小さな町数百人を集めてライブに全精力使い果たしてホテル帰ってテレビ付けると『ザ・ベストテン』をやっていて、後からデビューした人達が何十万枚レコード売って歌う姿を見る。テレビという巨大な主流メインカルチャーに対して、「ライブカウンターカルチャーだと思う。テレビからこぼれ落ちた大切なものを僕達は丁寧にすくって大切に育ててきた」という自負インタビュー述べている。 1980年代コンサートで、出待ち恵俊彰がいたことがある。恵は、何か渡さないとと思いポケットにあった10円玉手渡したことがある浜田自身記憶残っていると後世語っている。 1980年代半ば頃からコンサート・チケットがプラチナ化しており、毎回発売同時に完売するほどの人気を誇る。ほとんどメディア露出せず、レコード制作ライブ活動だけで人気維持し続けている稀有存在といえる専用トラック早くから持ち日本初めツアー中心に活動組立てたミュージシャンである。 1988年8月20日静岡県浜名湖渚園では史上初となる野外ライブA PLACE IN THE SUN at 渚園」を開催52,000人を動員した。また同日には甲子園静岡県立浜松商業高等学校通称「ハマショウ」)が延長の末2対1で負け、「ハマショー(浜商)だめだったね…」と電車内などで地元人が言っていたため、渚園浜田ハマショー)のコンサート向かおうとしていた観客中には浜田省吾コンサート中止になったのか」と動揺した人もいたという。 1988年ツアーでは、3時間あまりのコンサートアゴ支障きたしたコンサートの期間中日常生活では、マウスピースをしていた。 同じく1988年ツアーでは長岡歌っている途中サングラス落としたその時MCでは「みんなも見るの初めてだろ?」と返したその時いたファンにとっては大サービスだった。 基本的には1会場あたり2,000規模のホール・ツアーと、1万規模アリーナ・ツアー2つを行う。また、数万人を動員する大規模な野外ライブ開催している。また、ドーム・コンサートには否定的で、これまで一度行っていない。スタジアム・ライブも、1984年横浜スタジアム開催したのみで、それ以来一度行われていない。日本武道館でのコンサート意外に少なく1982年の初武道館1回、その20年後の2002年に2回、計3回か行ていない。ただし、「Act Against Aids」の武道館公演2000年2004年の2回ゲスト出演している。 1998年からのコンサートでは、客の年齢層確かめる「年代別チェック」が恒例になっている30代40代の客が圧倒的に多いが、徐々に年齢層高くなってきており、親子連れ多くなって10代比率増えている。親子2代浜省ファンという人も多く更には祖父母の代からのファン存在する10歳未満の子供をコンサート会場に連れてきた親には、「胎教のときから聞かせてたんでしょ?生まれたときにサングラスかけてなかった?」と冗談をいうこともある。 自分作詞・作曲をしていない曲をコンサートで歌うことはめったにないコンサートでの定番曲「HELLO ROCK&ROLL CITY」を歌うときは、歌詞一部コンサート開催地変えて歌う。津市コンサートをやるときや、市ではなく町でコンサートをやるときはメロディ歌詞合わないので困ってしまうとも話している。利府町宮城グランディ・21で行う場合、「Hello 宮城グランディ〜」と歌う。 最近は利府タウンと歌うこともある。 前述の「HELLO ROCK&ROLL CITY」だけでなく、本人意向によって曲の歌詞変えて歌うことが多い。ラスト・ダンスでは「二人靴がすりへるほど歩いたこの街」を「二人靴がすりへるほど歩いた○○」とコンサート開催地変えたり、「夏の終り」では「潮風波の音にひとり暮らそう」を「潮風波の音にふたり暮らそう」と変えたりする。 1998年から始まったON THE ROAD 2001」は、4年間に及ぶ世紀を跨いだ前人未到のロングツアーであったホールライブハウスアリーナ野外ライブなど各会場織り交ぜた198公演で、延べ60万人動員した47都道府県すべてでコンサート行い奄美大島佐渡ヶ島などキャリア20年上の中で初めてとなる会場もあった。1990年代2000年という言葉最初に掲げた世界初アーティストである。 1998年10月7日行なった姫路市文化センター行なったコンサートでは、館内停電発生した急遽復旧まで、生ギターで数曲演奏するハプニング発生した。この映像SHOGO HAMADA Visual Collection "FLASH&SHADOW"DVD確認できる2000年奄美大島名瀬市コンサート行った際、地元の「南海日日新聞」にて『久々大物歌手名瀬公演するチケット売出し日、(中略全盛期過ぎても、まさかここまで根強い人気があるとは』と掲載された。ステージで早速ネタにされ、「俺はこれから全盛期だと思ってるんだよ!」と笑いながら語った後日、同紙に『あの一言撤回します。素晴らしコンサートでした』との記事掲載される同じく2000年黒磯でのコンサート中、開始2曲目で「脹脛断裂」してしまう。それでもコンサートはやり遂げた。このことはテレビワイドショーでも採り上げられた。しかし、映像が昔のもので、バック流れたのは20年前にヒットした風を感じてであった本人は「このことが一番ショックだった」と語っている。 2001年以降アリーナツアーでは、センターステージを設けることが多くなった。2001年以降のアリーナコンサートでは、アンコール前に浜田本人映像数分流れる。2001年場合浜田本人楽屋入りするまでの動画2005年はそのコンサート土地でのエピソードを語る動画2011年コンサート当日1年以上前に撮影され動画である。 コンサートでは、歌詞あわせて身振り手振りで歌うことが多い。例えば、「電話」という歌詞があるところでは手で電話をかける仕草をしたり、「ドライブ」という歌詞がある部分ではハンドルを回す仕草、「こんな気持ちのまま」の歌詞にある「0時になる前に」という歌詞では腕時計を見る仕草をする。 「J.BOY」は、FC会員限定ツアー100% FAN FUN FAN以外の通常ライブでは、必ず歌う曲である。 2011年から行われたコンサートON THE ROAD 2011 "The Last Weekend"」では、新曲アルバムのない状態でのコンサートだった。本人は、コンサート内で、「新曲ができるのを待っていたら60代になってしまうから、それまでコンサートでみんなに会いたかったため」と発言している。このツアーチケット一般プレイガイドでは販売されず、すべてツアーサイト上でON THE ROADチケットセンター」に登録して購入する独自のシステム採用された。チケット販売種類には先行販売一般販売二次販売直前販売などがある。会場によっては当日券販売されるまた、このコンサートでは送付されるチケットには座席番号印字されておらず、当日まで自分座席分からない仕組みになっていた。会場入口ゲートにて、専用機器チケットバーコード読み込むことで、座席印字された紙が手渡され、そこで初め座席分かるというもの。これはチケット転売対策として、2009年開催されファンクラブ限定ツアー100% FAN FUN FAN 2009 featuring Katz Hoshi 春の音楽会 "春来たりなば夏遠からじ…"」から試験的に導入された。 2015年頃まではほぼ4年ごとにコンサート行っていたので、「オリンピックと同じ周期なんで次回コンサート4年後です!」と本人直接言うことが多かったオリジナルアルバム発売間隔広くなり、2009年ファンクラブ限定ツアー(『Journey of a Songwriter 〜 旅するソングライター』の初回限定盤DVDBlu-ray収録)では、新曲の「恋する気分」を初め演奏する前に「この曲は5年後発売するアルバム収録予定です」と笑いながら自虐をいうシーンがある。実際に2015年収録され6年後の発売となった。しかし、2015年にホールツアー(ON THE ROAD 2015)を行うと、翌年にはソロデビュー40周年J.BOYリリースから30周年記念となるアリーナツアーON THE ROAD 2016)を開催2017年から2019年までファンクラブ限定ツアー毎年開催している。 コンサート舞台の袖をいっぱい使って動いて歌うことが多い。まれに歌詞間違えることもあり、2011年コンサートでは「あれから二人」の歌詞重ねた唇」を「束ねた唇」と歌い最初からやり直したこともある。 2016年コンサートではステージ左右中央の3ヶ所にプロンプター設置したメディア登場しないため意外に思われるが、コンサートのMCでは饒舌ぶりを見せる。また、必ず開催地の感想思い出語りファンへの感謝の気持ち述べる。ほぼ全ての会場で、入り待ちファンに手を振って応えている。 関西(特に大阪)でコンサートを行う際は、MC笑い取ろうとする傾向がある。オーディエンスネタと気づかれない場合は、「今の笑うとこなんだけど…」と自分で言うこともある。 2016年ソロデビュー40周年記念として、ON THE ROAD 82からON THE ROAD 2016までの歴代ツアーパンフレットを電子書籍にて完全復刻した2016年11月5日2016年11月6日予定されていたマリンメッセ福岡でのライブ急性声帯炎急性咽頭喉頭炎の為、延期することになり、本人体調不良での延期は約16年ぶりとなった前回2000年5月2日四日市市文化会館4日5日名古屋国際会議場である。次開催横浜アリーナでは、この延期について触れ、「ご承知のように、福岡キャンセル延期してしまいました」「これがめちゃめちゃ悔しくて」と発言。月に10本以上やってる若い頃は、そういう事になっても「頑張ってるからしょうがないと言われたけど、今はやっぱり歳だ、と言われる。その一点だけでも悔しくてやろうと思ったけど」と悔しさ繰り返し述べた一方で、「でも、あの時点でやっていたら、多分今日はなかった。判断正しかった」とも述べた2018年コンサートでは、2016年ノーベル賞受賞者ボブ・ディラン由来して自分○○賞(ノーベル賞芥川賞直木賞など)の受賞狙っていると冗談述べリスナーからつけてもらった愛称である浜省(浜賞)を大事にこれから頑張ると笑いをとった。 2018年からは自身音楽もう一度見直し、そして見つけて大切にしてくれたファン聞いてもらいたい、かつ、浜田自身若い頃夢中になったビートルズカーペンターズのようにメンバー故人となっているミュージシャンはもう聞くことができないという寂しさから、自身過去作品年代別披露するファンクラブ限定ツアー毎年開催、それに先行しセルフカバーシングル毎年リリースしている。2018年自身1970年代作った曲、2019年には1980年代前半作った曲のみで構成されコンサートとなっている(2020年にも1980年代後半テーマツアー予定されていたが新型コロナウイルス影響開催中止)。

※この「コンサート関連」の解説は、「浜田省吾」の解説の一部です。
「コンサート関連」を含む「浜田省吾」の記事については、「浜田省吾」の概要を参照ください。

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