自虐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/02 06:04 UTC 版)
自虐(じぎゃく、英: self-torture)は、自分で自分をいじめ苦しめること[1]。自分の肉体や心をいためつけること[2]。
注釈
- ^ 欧米の人々や南米の人々は幸福感の調査をすると、幸福だと感じている人の割合は日本人と比べて圧倒的に高い。欧米の人でも南米の人でも(少なくとも現代では)、幼い時から無条件に自分を肯定するところから始めるので、基本的に幸福感を感じている。たとえば欧米や南米の人々はかなりの年齢の大人になってからピアノを習いはじめた人で初心者ですら(つまり日本人には、もうピアノの習得にはいささか遅い年齢になっていると感じられる人でも)ちょっとピアノを弾いて平気で「私ってピアノがうまい。私はすごい。」などとケロッと言う。つまり、まず自分を無条件に肯定するところから始める。たとえば客観的に聞けば音痴な人ですら、幸せそうに「私って歌がうまい。私ってすごい。」などとケロっと言う。精神的な自虐は行わない。その結果、統計的に明らかに幸福感を感じている人の割合が高い。
なお周囲の人もそういう自己肯定のセリフを聞き慣れていて、周囲の人々も自己肯定している人を肯定する。とくに咎めたりしない。「まず自己肯定して人生を楽しんでいること自体が善」、として、何より当人が幸福を感じていることが大切、喜ばしいこと、として、周囲の人もその心構え自体を肯定するのである。 - ^ 一方、日本という国には、なぜか文化的に、無条件の自己肯定感こそが幸福の鍵という深い知恵が欠けてしまっていて、病的に自己否定する風土がある。そして、欧米のように健全にとりあえず自己肯定している状態から始める人を、なぜか病的に憎み、ターゲットにしていじめるというような、病的な風土があり、泥沼の悪循環が起きている。周囲が病的に自己否定すなわち精神的な自虐を強要するようだと、その危険な状況に適応しようとすると、奇妙な話だが、まともな人でも自己否定(自虐)をしなければならなくなる。こうしてこの島国の中で自虐が広がる悪循環が起き、日本人の幸福感の総量が減るということが起きている。
- ^ ちなみに、トップアスリートになるような人は、トレーニング時にも、できるだけ成功したこと(成功体験)に意識を向けることで自分の《やる気》を高め、(誰でも一定割合で失敗はするものだが)失敗した時にも「自分のせいだ」などと深刻に考えて自分を苦しめ続けるようなことはせず、「今回はちょっと運が悪かった」など考えて、サッサと失敗体験のことは流して忘れるようにして、できるだけ成功体験に意識を向けて自分の気分を高め、成功イメージを繰り返し自分の心に刷り込んで、なおかつ練習量を増やす。
自分を否定して自分を精神的に苦しめることを優先する人は、(自分では論理的なつもりなのかも知れないが、実は目先の論理性でしかなく)実際には気分が低下してゆき、その結果、練習量も減ってゆき、結局、トップアスリートになれない(視野を広くとって洞察すると、アスリートとしてはかえって自分に対して非論理的なことをしていることになる)。 (しかめっ面の哲学者など例外的な職を目指すなら話は別だが)アスリートの場合、周囲から見れば かなり"能天気"に見えるくらいが、実は、当人の意欲が高く保て、熱心に練習ができ、結果としてうまくゆく。つまり精神的な自虐は止めたほうがアスリートとしてはうまくゆく。大きな負荷をかけるのは筋肉だけでよいのである。
出典
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