重要文化財 指定対象の多様化

重要文化財

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 23:47 UTC 版)

指定対象の多様化

近代建造物の例(丸沼堰堤
近代建造物の例(世界平和記念聖堂
近代建造物(土木遺産)の例(藤倉水源地水道施設)
近代建造物(土木遺産)の例(日本水準原点標庫

近代の美術工芸品の指定

絵画
近代の作品は1955年(昭和30年)に狩野芳崖の『悲母観音』と『不動明王』、橋本雅邦の『白雲紅樹』が指定されたのが最初で、以後、日本画・洋画ともに多くの作家の作品が指定されている。昭和期の作品としては速水御舟の『名樹散椿図』が1977年(昭和52年)に指定されたのが最初であった。
彫刻
近代の作品は1967年(昭和42年)に荻原碌山の作品『女』が指定されたのが最初である。明治初期に来日し、工部美術学校で彫刻を指導したイタリア人ヴィンチェンツォ・ラグーザの作品も指定されている。
工芸品
近代の作品は2001年(平成13年)に鋳造家・鈴木長吉の「銅鷲置物」が指定されたのが最初である。陶磁器では板谷波山宮川香山の作品が2002年(平成14年)に指定されたのが最初であった。

近代の建造物の指定

概観
明治以降の建造物については、厳島神社の大鳥居(1875年・明治8年建立)が1899年(明治32年)に指定された例、和様折衷建築である石川県・尾山神社の神門(1875年・明治8年建立)が1935年(昭和10年)に指定された例などがあるが、近代の洋風建築が指定の対象とされるのは、戦後の文化財保護法の時代になってからである。近代洋風建築でもっとも早く指定された事例は旧造幣寮鋳造所正面玄関泉布観(ともに大阪府)で、ともに1956年(昭和31年)に指定された。住宅建築では旧ハッサム住宅(1961年指定)、旧岩崎家住宅(1961年指定)、宗教建築ではニコライ堂[13](1962年指定)、宝山寺獅子閣(1961年指定)などが早い時期に指定された例である[14]
1974年(昭和49年)に初めて鉄筋コンクリート建造物として重要文化財に指定されたのは旧山邑家住宅(ヨドコウ迎賓館・芦屋市フランク・ロイド・ライト設計、1924年大正13年)竣工)。大正期の建造物としても初の指定で、築後わずか50年でその価値が認められたことになる。昭和期の建造物として最初に重要文化財に指定されたのは明治生命保険相互会社本社本館岡田信一郎設計、1934年(昭和9年)竣工)で、1997年(平成9年)に指定されている。また2006年(平成18年)、原爆犠牲者を弔い世界平和を祈念するための教会堂世界平和記念聖堂村野藤吾設計、1954年(昭和29年)8月竣工)と広島平和記念公園の中心施設広島平和記念資料館丹下健三設計、1955年(昭和30年)8月開館)が、戦後建築としては初めての重要文化財指定となった。船舶としては唯一、1978年(昭和53年)に明治丸が指定された[15]
産業・交通・土木遺産
明治時代以降の日本の近代化に寄与してきた産業・交通・土木関連の建造物、具体的には炭鉱発電所ダム水源地運河鉄道施設港湾施設などが、20世紀末頃から文化財の新たなジャンルとして着目されるようになった。文化庁ではこれらを「近代化遺産」と名付け、1993年(平成5年)から「建造物の部」の重要文化財の指定対象となっている。1993年(平成5年)度に指定されたのは秋田市の「藤倉水源地水道施設」と群馬県の「碓氷峠鉄道施設」の2件であった。「藤倉水源地水道施設」についてはダム、貯水池、沈殿池などの施設と土地が、「碓氷峠鉄道施設」については連続する橋梁やトンネルに加え発電所などの付属施設と土地が併せて指定されており、単体の建造物としての橋梁やトンネルではなくシステム全体が保存の対象となっている。「近代化遺産」は、重要文化財建造物の指定件数統計においても他の建造物とは区別してカウントされ、他の建造物が「棟」単位で数えられるのに対し、近代化遺産については、システム全体を重視した「構」(かまえ)という単位呼称が用いられていた。近代化遺産は2003年12月に指定された「舞鶴旧鎮守府水道施設」まで17件(17構)が指定されたが、2005年度からは指定件数統計において「近代化遺産」という分類名称は使用されなくなり、前述の17件は「近代 産業・交通・土木」というジャンルに分類されている。「一構」という単位呼称も用いられなくなり、ダムやトンネルなどについては「一所」、橋梁については「一基」という単位呼称が用いられている[16]。2009年12月08日には海軍の建設による竪坑櫓が指定された。1985年頃から調査研究が始められ、始めは志免町から当時の所有者新エネルギー産業技術総合開発機構へ、負の遺産として「早く解体をして欲しい」と訴えられており、調査も非常に難航をしていた。


民家建築の指定

農家、漁家、町屋などの民家建築が文化財として着目されるようになったのは、太平洋戦争後である。高度経済成長による日本人の生活様式の変化に伴い、伝統的な民家が急速に姿を消し始めた1960年代から民家の重要文化財指定が積極的に推進されるようになった。その魁として、1955年(昭和30年)から東京大学工学部建築学科による町屋調査を経て、1957年(昭和32年)6月18日に棟札とともに国の重要文化財に指定された奈良県橿原市今井町今西家住宅が文化財保護法により根本修理に着手することとなり、奈良県教育委員会が今西家から委託を受けて1961年(昭和36年)3月に起工し、1962年(昭和37年)10月に竣工した。同建物は日本民家の一里塚と言われるほどの貴重な建物で、破損と傾斜が著しく倒壊を町屋調査によって救えた好例である。

なお、第二次大戦終戦以前に国の指定を受けていた民家は大阪府羽曳野市吉村家住宅1937年(昭和12年)指定)と京都市小川家住宅(通称「二条陣屋」、1944年(昭和19年)指定)のわずか2件のみであった[17]

建造物と土地の一体指定

1975年(昭和50年)の文化財保護法改正により、建造物とともにその所在する土地を重要文化財に指定することができるようになった。同法第2条第1項第1号には建造物らのものと「一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件」が重要文化財指定の対象である「有形文化財」の概念に含まれることが明記された。この規定に基づく「土地」の重要文化財指定は1976年(昭和51年)に初めて行われ、民家の建物とともにその敷地が重要文化財に指定された。民家の重要文化財指定に際して「土地」を併せて指定するということには民家の母屋のみならず、門、塀、蔵、井戸、祠等の付属建物、石垣、水路、庭園、堀等の工作物、さらには宅地、山林などを併せて指定することによって、屋敷構え全体の保存を図ろうとする意図がある。なお、建造物とともに土地が重要文化財に指定されているケースは民家のほか、社寺や近代建築にもある。

歴史資料の指定

歴史資料 科学技術関係の例 天体望遠鏡(八インチ屈折赤道儀) 国立科学博物館

1975年(昭和50年)の文化財保護法改正により、新たな指定分野として「歴史資料の部」が新設された。「歴史資料の部」の重要文化財新規指定は1977年(昭和52年)に初めて行われ、この時は「長崎奉行所キリシタン関係資料」(東京国立博物館)と「春日版板木」(奈良市興福寺)の2件が指定された。なお、従来「絵画」「書跡・典籍」等として重要文化財に指定されていた物件で「歴史資料の部」に移されたものもある。一例を挙げると、仙台市博物館保管の「慶長遣欧使節関係資料」は1966年(昭和41年)に「絵画の部」の重要文化財に指定されていたが上述の文化財保護法改正に伴って「歴史資料の部」に移され、2001年(平成13年)に歴史資料としては最初の国宝指定を受けている。

歴史資料として指定を受けているものには政治家、学者などの歴史上の人物に関する一括資料、古写真やその原板、古地図、古活字、科学技術関係資料、産業関係資料などさまざまなものがある。人物関係資料としては高野長英間宮林蔵坂本龍馬大久保利通岩倉具視などの一括資料がある。科学技術関係では平賀源内エレキテル、初期の天体望遠鏡、天球儀、モールス電信機、メートル原器などがある。産業関係では初期の印刷機、製紡機、鉄道車両などがある。




  1. ^ 参照:文化庁公式サイト、PDFファイル:「国立文化財機構 概要 平成19年度」など
  2. ^ 昭和26年文化財保護委員会告示第2号
  3. ^ “円満院の重文建物、宗教法人が約10億円で落札…文化庁困惑”. 読売新聞. (2009年5月31日). オリジナルの2009年6月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090601074238/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090531-OYT1T00072.htm 
  4. ^ “大津の古刹、円満院の重文建物が10億円で落札”. 産経新聞. (2009年6月1日). オリジナルの2010年3月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100302230517/http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090601/trl0906011137004-n1.htm 
  5. ^ 無形文化財の選定制度とは、文化財保護法制定時の無形文化財保護制度であり、無形文化財のうち特に価値の高いもので国が保護しなければ衰亡するおそれのあるものについて、文化財保護委員会が「助成の措置を講ずべき無形文化財」として選定したもの。この選定制度は、1954年(昭和29年)の文化財保護法改正で、重要無形文化財の指定制度および「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」の選択制度に移行した。
  6. ^ 松山巖「国宝という物語」『国宝』(とんぼの本、改訂増補)、新潮社、2005、p.207
  7. ^ 『日本大百科全書』第9巻、小学館、p.208(「国宝」の項)
  8. ^ 文化庁文化財部「新指定の文化財」『月刊文化財』671、第一法規、2019、p.8
  9. ^ 文化庁文化財部「新指定の文化財」『月刊文化財』681、第一法規、200、p.4
  10. ^ 盗難を含む所在不明に関する情報提供について~取り戻そう!みんなの文化財~”. 文化庁 (2021年3月5日). 2021年3月13日閲覧。
  11. ^ 所在不明文化財(国指定)の内訳 文化庁 2021年3月5日
  12. ^ 所在不明になっている国指定文化財(美術工芸品)”. 文化庁 (2021年3月5日). 2021年3月13日閲覧。
  13. ^ 正式の指定名称は「日本ハリストス正教会教団復活大聖堂」
  14. ^ 大学関係では同志社大学礼拝堂がもっとも早く1963年の指定である。
  15. ^ 他に「徳島藩御召鯨船千山丸(徳島城博物館蔵)」が歴史資料部門(大名が実際に利用していた和船で唯一現存する)で指定されている。
  16. ^ 建造物の分類別指定件数については『月刊文化財』495号、第一法規、2004、p8及び『月刊文化財』502号、第一法規、2005、p8、を参照。
  17. ^ 第二次大戦終戦以前に指定された民間所有の建造物としては、他に奈良県の今西家書院(1937年指定)があるが、文化庁の分類では「民家」の範疇には入らない。






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