狩野芳崖とは?

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狩野芳崖 かのう ほうがい

狩野芳崖の肖像 その1

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狩野芳崖


狩野芳崖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/29 06:17 UTC 版)

狩野 芳崖(かのう ほうがい、文政11年1月13日1828年2月27日) - 明治21年(1888年11月5日)は、幕末から明治期の日本画家近代日本画の父幼名は幸太郎。名は延信(ながのぶ)、雅道(ただみち)。号は松隣、皐隣。盟友たる橋本雅邦[1]と共に、日本画において江戸時代明治時代を橋渡しする役割を担うと共に、河鍋暁斎菊池容斎らと狩野派の最後を飾った。


  1. ^ 鑑画会に参加した頃、芳崖・雅邦・狩野友信の三人が酒を飲んでいると、についての話が始まった。その時芳崖は、「オイ雅邦さん、俺とお前は天狗ではないが、世間の奴の様に禅学の力で画は描かないぜ。なぜならば、これから二人でこれから二人で西洋各国の人々に頭を下げさせる様な神品を描こうと思って居るぢゃないか。全体世間の奴は禅学でもやるとね、河童の屁のような画を描いて禅味だの何のなのと云って喜んで居るが、それは茶人の玩具になるのさ(後略)」と言い、手を叩いて二人して大笑いしたという(狩野友信「雅邦翁瑣談」『日本美術』109号、明治41年(1908年)3月)。こうした逸話から、両者を芸術の上でも同士であり、日本画の革新運動を進めた二人の姿を見て取ることが出来る(『重要文化財 白雲紅樹 橋本雅邦筆』展図録、東京藝術大学藝術資料館、1992年、46頁)。
  2. ^ 狩野養信「公用日記」4月18日
  3. ^ 荒井 経、高林 弘実、二宮 修治、新免 歳靖、難波 道成、佐藤 香子、松崎 広子、伊東 聡、籾井 基充「狩野芳崖筆「仁王捉鬼」の蛍光X 線分析による顔料調査報告 (PDF) 」 『東京学芸大学紀要 芸術・スポーツ科学系』第59号、東京学芸大学紀要出版委員会、2007年、 43-57頁、2016年3月22日閲覧。
  4. ^ 『日本の画家-近代日本画-Color books deluxe』 第42巻 細野正信、保育社, 1974
  5. ^ 岡不崩「志のぶ草」日英社、明治43年(1910年)12月(『没後百二十年 菊池容斎と明治の美術』 練馬区立美術館、1999年、19頁)
  6. ^ 宮内庁三の丸尚蔵館編集 『駒競べ―馬の晴れ姿 三の丸尚蔵館展覧会図録No.73』 宮内庁、2016年7月9日、第6図。


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