今西家住宅とは? わかりやすく解説

今西家住宅(奈良県橿原市今井町)

名称: 今西家住宅(奈良県橿原市今井町)
ふりがな いまにしけじゅうたく
名称(棟):
名称(ふりがな):
番号 1413
種別1: 近世以前民家
国宝重文区分 重要文化財
指定年月日 1957.06.18(昭和32.06.18)
員数(数): 1
員数(単位):
代表都道府県 奈良県
都道府県 奈良県橿原市今井町3-9-25
所有者名:
指定基準
管理団体名:
管理団体住所
管理団体指定年月日
構造形式 桁行15.9m、梁間13.8m、一部二階入母屋造北面及び南面庇付、本瓦葺
時代区分 江戸前期
年代 慶安3(1650)
解説文: 今井町天文のころ眞宗の門従を中心として結成された町で、今西家はその総年寄勤めていた家である。 今の住宅慶安三年建立になり、後世改造も少く、よくその装置残しており、民家としては江戸初期建立確証あるものとしてきわめて稀な遺構であり。 文化史貴重な存在である。
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今西家住宅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/12 07:50 UTC 版)

今西家住宅(いまにしけじゅうたく)は、奈良県橿原市重要伝統的建造物群保存地区として選定されている今井町にある重要文化財(建造物)で、公益財団法人十市県主今西家保存会により保存維持管理されている。東京大学工学部建築学科による町屋調査を経て、1957年昭和32年)6月18日に国の重要文化財に指定され、慶安3年(1650年)3月22日の記がある棟札[1]が重要文化財の附(つけたり)指定とされた[2]。その後文化財保護法により根本修理に着手することとなり、奈良県教育委員会が今西家から委託を受けて1961年(昭和36年)3月に起工し、1962年(同37年)10月に竣工した。


  1. ^ 上棟時の年号や施主名や大工棟梁を初めとする施工関係者の名を墨書きして棟上げのとき棟木に打ちつける木札
  2. ^ 今西家住宅(奈良県橿原市今井町)-国指定文化財等データベース文化庁
  3. ^ 武士身分の今西正盛によって自治都市の裁判所として普請された。平面形式の半分が土間であり、お白州として使用していた。また、本建物の西に牢屋が接続していた。
  4. ^ 延宝7年(1679年)に今井町が天領になり、今西家は武士の身分を停止され町人身分になって民家となるが、依然として江戸時代末期まで簡単なお裁きが行われていた。
  5. ^ 八棟造りには一定の形式というものがなく、強いて似ているところがあるとするなら装飾的な破風が屋根に多くつけられていることである。伊勢の射和の富山家や小田原宿の外郎家も八棟造りと名所図会などに描かれている。今西家では屋根の妻側に破風を二重に重ねるので「重ね妻造り」ということもいえる。それだけ個性的で威風堂々とした破風である。また、旧今井町役場資料によると織田信長が本陣を布いた際に「八つ棟」と名付けたという説もある。
  6. ^ 本町筋と御堂筋に跨って建設されていることは外敵を威圧し防御する目的を負うとともに本建物をより大きく見せている。また、改築前永禄年間(1560年代)の本建物は軍事が目的であり、今西家の身分が武家であったことから城もしくは櫓である。
  7. ^ 華族の認可条件として、年収500円(1889年〈明治22年〉の物価水準)の資産を確保できる要件を満たさなければならないとしている。
  8. ^ 当家の仏壇安土桃山時代のものであり、親鸞上人直筆の掛軸がある。
  9. ^ 仏間の上部2階部は人が立ち入らない「開かずの間」になっている。
  10. ^ 書院造の上段の間の床の間や違い棚に向かって右側に設けられる柱間装置。多くは漆塗で金具を打ち、表面に絵を描く。元来は、帳台(寝室)の入口形式であるが、近世において装飾化し座敷飾りの一つとなった。また、城郭においては、帳台構の向こうに武者を隠しておいて、主人に危害を加える者があれば、ここから武者が飛び出してきたとも言われている。
  11. ^ 1、身分の高い人の公式の出入り口。2、武家屋敷において来客者が地面に降りることなく駕籠に乗れるように玄関先に設けられた板敷きの間。3、表座敷に接続した家臣の控えの間。
  12. ^ 古事記では孝霊天皇の皇后が十市県主の祖の大目の娘の細比売命で、日本書紀では磯城縣主大目の娘の細媛命とあることから十市県主は磯城縣主から分かれた氏族だと思われる。中原氏系図によれば磯城津彦の裔を十市県主とする。また、「安寧天皇第三子磯城津彦に二柱ありて、一柱は伊賀・三野の稲置の祖、一柱は和知都美といい淡路宮に坐す。その子二柱ありて紐某姉・紐某弟といい、倭迹迹日百襲媛命に系譜し、新撰姓氏録皇別に猪使宿禰、新田部宿禰らの祖」と記録されている。
  13. ^ 大和志料.下巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  14. ^ 宝賀寿男「長髄彦と磯城県主の系譜」『古代氏族の研究⑦ 三輪氏 大物主神の祭祀者』青垣出版、2015年。
  15. ^ あて逃げ?:重文住宅柱に傷−−奈良・橿原 毎日新聞 2013年4月5日


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