千葉家住宅(岩手県遠野市綾織町)
名称: | 千葉家住宅(岩手県遠野市綾織町) |
ふりがな: | ちばけじゅうたく |
名称(棟): | 主屋 |
名称(ふりがな): | おもや |
番号: | 2512 |
種別1: | 近世以前/民家 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 2007.12.04(平成19.12.04) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 岩手県 |
都道府県: | 岩手県遠野市綾織町上綾織一地割14 |
所有者名: | 個人 |
指定基準: | (五)流派的又は地方的特色において顕著なもの |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行25.9m、梁間11.7m、寄棟造、茅葺、南面玄関附属、馬屋 桁行14.7m、梁間10.5m、正面入母屋造、茅葺、東面及び西面庇付 |
時代区分: | 江戸末期 |
年代: | 江戸末期 |
解説文: | 千葉家は、遠野市西寄りの山麓に小城のような屋敷を構えている。天保年間に主屋が建設され、大正末期頃までに現在のような屋敷構えが整った。主屋は、馬屋を前面に張り出してL形平面とする、いわゆる南部の曲り屋形式の民家で、主屋の座敷では面皮材の棹縁を使用するなど、瀟洒な意匠を見せている。 千葉家住宅は、南部曲り屋の分布域南縁に位置するとともに、遠野地方に典型的な平面をもち、洗練された座敷意匠を採用するなど、江戸末期の大型曲り屋民家として高い価値がある。また主屋の周囲には、江戸末期から大正期にかけて建設された附属建物が残り、その特異な敷地構成とともに豪農の屋敷構えをよく保っている。 |
千葉家住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/25 23:18 UTC 版)
旧千葉家住宅 | |
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![]() 主屋(曲り家) |
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情報 | |
構造形式 | 木造、曲り家、茅葺 |
敷地面積 | 5,599.63 m² |
延床面積 | 540 m² |
竣工 | 江戸時代後期 |
所在地 | 岩手県遠野市綾織町上綾織1地割14 |
座標 | 北緯39度20分26.9秒 東経141度26分30.4秒 / 北緯39.340806度 東経141.441778度座標: 北緯39度20分26.9秒 東経141度26分30.4秒 / 北緯39.340806度 東経141.441778度 |
文化財 | 重要文化財 |
旧千葉家住宅(きゅうちばけじゅうたく)は、岩手県遠野市綾織町上綾織1地割14にある歴史的建造物。国の重要文化財。一般公開時の名称は南部曲り家 千葉家(なんぶまがりや ちばけ)。
特色
江戸時代の南部地方特有の住居と馬屋を平面L字形に連結した農家建築「曲り家」を代表する建物として知られる。旧千葉家住宅は日本最大級の曲り家であり[1]、「日本十大民家」[2]の一つに数えられる。付属建物や石垣などを含め、屋敷構えがよく残されている。
斜面地に築かれた石垣上の平地にある面積540m2 の大型の住居である。25名の人と20頭の馬がこの一軒の家で生活していた。
歴史
竣工
千葉家は武士の身分を持つ家柄であり、遠野南部氏の家臣となった際に千葉姓を名乗るようになった[1]。江戸時代後期の天保年間(1830年~1844年)、4代目当主の千葉喜右衛門によって主屋が建てられた[3]。大工小屋やハセ小屋も主屋と同じ時期の竣工とされる[1]。
嘉永2年(1849年)には稲荷社が建てられた[1]。1912年(明治45年)に土蔵が建てられ、大正末期には石蔵が建てられた。1967年(昭和42年)には納屋が改築された[1]。
保存と公開
1974年(昭和49年)には「南部曲り家 千葉家」としての一般公開が開始された[3]。1980年代前半、学習院高等科時代の礼宮文仁親王が千葉家住宅を訪問した[2]。1994年(平成6年)にNHK大河ドラマ「花の乱」が放送された際、千葉家住宅の敷地の一部が撮影に使われ、当時のセットが保存されている。
2007年(平成19年)12月4日[4]、主屋、附属建物、宅地が重要文化財に指定された[3]。2013年(平成25年)には建物や宅地が遠野市に譲渡され、2016年(平成28年)6月には文化庁の補助を受けた保存修理工事が開始された[3]。工事に伴って一般公開を休止している。2022年(令和4年)9月20日には宅地内の便所が重要文化財に追加指定され[5]、指定名称が千葉家住宅から旧千葉家住宅に変更された[3]。
文化財

重要文化財
- 主屋 - 江戸時代後期竣工。主屋は茅葺で、寄棟造の居室部の手前に入母屋造の馬屋部分が突出し、全体としてはL字状の平面をなす。居室部は上手(東側)に南北2列、東西3室の計6室を設け、下手(西側)は台所と土間とする。上手の一部に2階(2室)を設ける。突出部はもとは馬屋であったが、展示室等に改造されている。
- 土蔵 - 1912年(明治45年)竣工。主屋の西側に建つ。
- 石蔵 - 大正時代竣工。土蔵の北に接して建つ。
- 稲荷社(附:鳥居) - 嘉永2年(1849年)竣工。屋敷地北西の小高い位置に建つ。
- 大工小屋 - 江戸時代末期竣工。主屋北東に建つ。
- ハセ小屋(附指定) - 江戸時代末期。屋敷地の南西に建つ。
- 土地 - 5599.63m2。屋敷地は南向きの傾斜面に石垣を築いて整地している。付属建物等もよく残り、豪農の屋敷構えがよく保存されている。
- 便所
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土蔵(手前)と主屋(奥)
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石蔵(右手前)と土蔵(奥)
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主屋の東半分(居室部分)
利用案内
脚注
参考文献
- 「皇室アルバム集:天皇・皇后両陛下御大婚六十周年」、産業倶楽部、1985年10月。
- 「新指定の文化財」『月刊文化財』第531号、第一法規、2007年。
外部リンク
- 重要文化財千葉家住宅(南部曲り家千葉家)の保存整備 遠野市
- 旧千葉家住宅(岩手県遠野市綾織町) 主屋 文化遺産オンライン
- 千葉家住宅のページへのリンク