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千葉宮次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/23 08:52 UTC 版)

千葉宮次郎
ちば みやじろう
『衆議院要覧 大正十三年十二月(乙)』より
生年月日 1872年2月29日
出生地 日本 兵庫県津名郡野島村
(現・兵庫県淡路市
没年月日 (1933-05-06) 1933年5月6日(61歳没)
出身校 明治法律学校卒業
(現・明治大学
前職 実業家
所属政党 憲政本党→)
(新党倶楽部→)
立憲政友会
選挙区 兵庫14区
当選回数 1回
在任期間 1924年5月10日 - 1928年1月21日
第26代 兵庫県会議長
在任期間 1920年12月 - 1923年9月
兵庫県会議員
選挙区 津名郡選挙区
当選回数 5回
在任期間 1903年9月25日 - 1908年4月6日
1911年9月25日 - 1915年9月24日
1919年9月25日 - 1924年5月10日
津名郡会議長
津名郡会議員
その他の職歴
岩屋町
(? - ?)
野島村長
(? - ?)
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千葉 宮次郎(ちば みやじろう、1872年2月29日明治5年1月21日[1]〉 - 1933年昭和8年〉5月6日[2][3])は、日本の政治家実業家

来歴・人物

兵庫県津名郡野島村(現・淡路市)生まれ[4]明治法律学校(現・明治大学)卒業[2]

実業家として、多数の企業の経営に参画し、淡路鉄道、淡路実業銀行、阿淡連絡汽船などの取締役、全淡自動車(後の淡路交通)の社長などを務めた。

野島村長、岩屋町長、津名郡会議員、同議長を歴任した[2]

1903年(明治36年)9月25日、津名郡選出の兵庫県会議員となった[5]。最終的に1924年大正13年)5月10日に辞職するまで務めた[5][注釈 1]。この間、1920年(大正9年)12月から1923年(大正12年)9月まで第26代兵庫県会議長を務めた[6]

1924年(大正13年)の第15回総選挙で兵庫14区から立候補して当選した[3]。同年6月から憲政本党所属となったが、新党倶楽部を経て、1927年(昭和2年)6月に立憲政友会所属となった[3]1928年(昭和3年)1月21日に退任した[3]

脚注

注釈

  1. ^ 1907年(明治40年)9月25日に再選し、1908年(明治41年)4月6日に失格となった[5]。その後、1911年(明治44年)9月25日に返り咲き、1915年(大正4年)9月24日まで務めた[5]。1919年(大正8年)9月25日と1923年(大正12年)9月25日にそれぞれ再選した[5]

出典

  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、7頁。
  2. ^ a b c 日本国・国会全議員名鑑 中 344コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b c d 歴代国会議員経歴要覧 : コンピュータ編集版 495コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 兵庫県議員総覧 31コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b c d e 兵庫県会史 3輯1巻上 202コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 兵庫県議会/歴代の議長・副議長”. web.pref.hyogo.lg.jp. 2025年5月30日閲覧。

参考文献

  • 『過ぎにし跡を顧みて』(有信社 1932)
  • 『ここに人ありー淡路人物誌ー』(教育出版センター 1999)



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