メタファー
「メタファー」とは、比喩(ひゆ)の表現形式のうち、「まるで~」「~のような」などの明確な比喩表現を使わずに、他の物事になぞらえて表現する、比喩のことである。「暗喩」「隠喩」などとも呼ばれる。対義語は「直喩(シミリ)」。「比喩」とは、ある物事の様子や性質を言い表す場合に、他の物事になぞらえて表現したり、他の物事を言い表す際に用いられる特徴的な語彙を借りて表現したりする表現技法である。比喩対象の持つ豊かな詩的イメージを借りたり、説明の代わりに用いたりする。
比喩のうち、「まるで~のようだ」「あたかも~のように」といった言い方によって比喩表現であることを明示する比喩を「直喩」という。
比喩表現ではあるが、比喩表現であることを直接には示さず、類推その他の総合的判断によって比喩であることを読み手が理解するような暗示的な比喩を「暗喩(メタファー)」という。
他の物事に関する物語の体裁を取って、暗に風刺や戒めのメッセージを伝える、という遠回しな伝え方を「諷喩(ふうゆ)」という。諷喩は隠喩の一種といえる。
メタファーの語は、心理学や哲学の分野では、精神分析の考え方に基づき、「行動や夢のイメージの置き換え」という意味で使われる。
メタファーは、比喩の表現を使わない洗練された修辞技法の表現と考えられている。メタファーを使うときは、言葉でイメージを喚起させることで相手に暗に意味を伝えるため、スマートな印象を与えることが多い。
メタファーの対義語
メタファーの対義語には、直喩や明喩などが挙げられる。直喩や明喩は、いずれも「のような」や「のように」といった喩えの表現を用いて比喩を行う技法である。メタファーの場合は、このような喩えの表現を用いることはない。メタファーの例文、使い方
ビジネスシーンで有名なメタファーの使い方、例文には、「時間はお金だ」や「社員は家族だ」などが挙げられる。これらの言葉は、時間や社員をそれぞれ「お金」、「家族」に喩えることで、「時間はお金と同じように貴重なものだ」や「社員は家族同様に大切だ」といったメッセージを聞いている人にさりげなく伝えることができる。メタファー
メタファーとは、比喩的な表現手法の一つである。直接的な意味とは異なる事象を表現するために、他の事象を引き合いに出す方法を指す。この表現手法は、文学作品や日常会話、広告など、多岐にわたる分野で用いられている。メタファーは、抽象的な概念を具体的に理解しやすくする効果があるため、情報伝達の効率化に寄与している。
メタファーには、物事の本質を浮き彫りにする力がある。例えば、「時間は金である」という表現は、時間の価値を具体的に示すために用いられる。また、ネット上では、「インターネットは情報の海である」という表現が一般的である。これらの表現は、メタファーの力を利用して、抽象的な概念を具体的に伝えることが可能となっている。
metaphor
「metaphor」の意味
「metaphor」は、ある事物や現象を別の事物や現象に例えることで、その特徴や性質を説明するための表現手法である。直接的な比較を行わず、ある事物を別の事物として表現することで、読者や聞き手にイメージを与える。例えば、「時間は金なり」という表現は、時間の価値を金という別の価値あるものに例えることで、時間の大切さを伝えるメタファーである。「metaphor」の発音・読み方
「metaphor」の発音は、IPA表記では /ˈmɛtəfər/ となる。IPAのカタカナ読みでは「メタファー」となり、日本人が発音するカタカナ英語では「メタファー」と読む。発音によって意味や品詞が変わる単語ではないため、特別な注意は必要ない。「metaphor」の定義を英語で解説
A metaphor is a figure of speech in which a word or phrase is applied to an object or action to which it is not literally applicable, in order to suggest a resemblance or analogy. It is a way of expressing something by referring to something else that is similar in some way. For example, the expression ""the world is a stage"" is a metaphor that compares the world to a stage, implying that life is like a performance.「metaphor」の類語
「metaphor」の類語には、以下のような言葉がある。シミリ(simile)
シミリは、二つの事物を「~のようだ」や「~のように」などの形で比較する表現である。メタファーとは異なり、シミリは直接的な比較を行う。アナロジー(analogy)
アナロジーは、二つの事物や現象の類似性を示すための比較である。メタファーと同様に、ある事物を別の事物に例えるが、より論理的な関係性を強調する。「metaphor」に関連する用語・表現
アレゴリー(allegory)
アレゴリーは、物語や寓話の中で、抽象的な概念や道徳的な教えを具体的な登場人物や物語の要素に象徴させる表現手法である。メタファーと同様に、読者や聞き手にイメージを与える。「metaphor」の例文
1. Her heart is a stone.(彼女の心は石のようだ)2. The world is a stage.(世界は舞台だ)
3. Time is money.(時間は金なり)
4. His words were a dagger to my heart.(彼の言葉は私の心に突き刺さる短剣だった)
5. The fog of ignorance.(無知の霧)
6. The light of knowledge.(知識の光)
7. The river of time.(時間の流れ)
8. The winds of change.(変化の風)
9. The storm of emotions.(感情の嵐)
10. The forest of confusion.(混乱の森)
メタファー
「メタファー」とは、隠喩のことを意味する英語表現である。
「メタファー」とは・「メタファー」の意味
「メタファー」とは英語の名詞で、綴りは「metaphor」である。訳語の「隠喩」は比喩の一種で「~のような」や「~のごとく」などの比喩言葉を使わず、「~は○○だ」のように全く違うものに類似性を見つけてたとえ、相手に伝わりやすくする。英語の例としては「Mary is a walking dictionary」(メアリーは歩く辞書だ)などがある。この文はメアリーが物知りだということを意味する隠喩である。例 日本語は「こんなに宿題を出すなんて、○○先生は鬼だ」などとなる。この文では、多くの宿題を出した○○先生を無慈悲な鬼にたとえている。英語の比喩の一覧は、次のとおりである。
・「メタファー」
・「メトニミー(metonymy)」
・「シネクドキ(synecdoche)」
・「シミリー(simile)」
比喩 違いを示す。「メトニミー」は日本語では「換喩」と言い、よく考えないと気づかないような近いものに例えることである。「シューベルトを聴いた」などがこれに当たり、聴いたのはシューベルトではなくシューベルトの作曲した音楽だ。「シネクドキ」は「提喩」と訳す。「給食のおかずはトリのから揚げだった」などが例文だ。この場合の「トリ」は「鶏」のことを指している。「シミリー」は最も親しみのある、「~のような」といった比喩言葉を使ってたとえる「直喩」である。「民さんは野菊のような人だ」は、伊藤左千夫の小説「野菊の墓」に出てくる有名なセリフだ。小説の主人公民子を可憐な野菊にたとえている。
「メタファー」の得意な作家に村上春樹がいる。村上春樹は小説の中だけでなく、スピーチの中でも「メタファー」を使う。たとえば2009年にイスラエルの最高文学賞である「エルサレム賞」を受賞した際には、「堅くて高い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があります」と話した。壁にぶつかって割れる卵とは、1人1人の人間である。高い壁はある種のシステムであり、生きて行くうえで決してできないこと、やってはならないことをさせてしまう存在だと言っている。村上春樹は「高い壁にどんな正義があろうとも、卵がどんな過ちを含んでいようとも、私は常に卵の側に立つ」と語った。村上作品における「メタファー」の代表例が2017年の長編小説「騎士団長殺し」だ。「第2部 遷(うつ)ろうメタファー編」では、タイトルにも「メタファー」を使っている。この小説内の「メタファー」は抽象的な概念ではなく、メタファー通路に潜む二重メタファーという「とびっきりやくざで危険な生き物」として描かれる。「メタファー」に彩られた村上春樹の小説は現実から乖離しているように見えるが、その内側には現実が潜んでいる。作者が「メタファー」によって故意に本質から距離を取ることで、読者自身がそれぞれの道筋で「メタファー」をたどり本質に近づく。
心理学での「メタファー」は「たとえ話」のことである。「サーカスの象(鎖につながれた象)」や「自分の中の天使と悪魔」、「猫にくわえられたネズミ」など様々なたとえ話を使って心理学用語をクライアントに説明する。「サーカスの象」は、子供のころから杭につながれた鎖で逃げられないことを知っている象は、成長して十分な力を得ているにもかかわらず鎖を杭ごと引き抜くことを試そうともしなくなる、という話である。自分で自分の限界を決めていることのたとえ話で、活用例としては学習性無力感やトラウマの説明がある。
「メタファー」の使い方・例文
「メタファー」の使い方には「村上春樹は『メタファー』の得意な作家だ」や、「『メタファー』を使うことで言葉の意味が伝わりやすくなる」などがある。「『メタファー』も隠喩もわかりにくい」、「先生から数学の時間は死んだ魚の目をしていると言われたが、これは『メタファー』だろうか」などの使い方も可能だ。「『話に花が咲く』は『メタファー』なので、何の花も咲かない」や、「私が『メタファー』の意味を理解しないので、先生の顔が曇った」なども「メタファー」の例文だ。「『メタファー』は時々耳にするが、『メトニミー』や『シネクドキ』は聞いたことがない」、「『メタ』は『メタファー』の略語ではない」などの例文もある。「村上春樹の小説には『メタファー』だけでなく直喩も多い」や、「この文章は『メタファー』のせいで、かえってわかりづらくなっている」といった言い方もある。
メタファー

メタファー(希: μεταφορά[注釈 1]、羅: metaphorá、独: Metapher、英: metaphor)は、
概説
メタファーは、言語においては物事のある側面をより具体的なイメージを喚起する言葉で置き換え、簡潔に表現する機能をもつ。わざわざ比喩であることを示す語や形式を用いている直喩よりも洗練されたものと見なされている。
メタファーにもいくつかタイプがあるが、一例を挙げると「人生はドラマだ」のような形式をとるものがある。

メタファーは日常的に頻繁に用いられているもの、話している本人も気づかずに用いているものから、詩作などにおいて創造される新奇なものまで、様々なレベルにわたって存在している。

メタファーが用いられるのは、いわゆる"言語"(言葉)に限らず、絵画、映画などの視覚の領域でも起きる。
メタファーは人間の類推能力の応用とされることもあり、さらに認知言語学の一部の立場では、人間の根本的な認知方式のひとつと見なされている(概念メタファー)。メタファーは、単に言語の問題にとどまるというよりも、もっと根源的で、空間の中に身体を持って生きている人間が世界を把握しようとする時に避けることのできないカテゴリ把握の作用・原理なのだと考えられるようになってきている。
メタファーの例
冒頭に挙げた「人生はドラマだ」はもっとも初歩的なメタファーである。「…は…だ」という形で比喩だということがある。
次のようなものもメタファーである。
人生は旅だ。私と一緒に旅をしてみないか?
この例などは、ひとつめの文に加えて、ふたつめの文「私と一緒に旅をしてみないか?」もメタファーであるが、ひとつめの文がメタファーだと分かるため、ふたつめも引き続きメタファーだとわかる。
次の会話の例にもメタファーが含まれている。
この会話では「闇が深ければ、夜明けは近い」がメタファーである。
(人によっては)メタファーだと気づきにくいタイプのメタファーもある。例えば次のような例である。
上記2例のようなメタファーは、恋をする男性の心に生まれることがあるものである。
さらに気づきにくい例を挙げる。例えば次のような一文が芸術的な小説の中に配置されていれば、それは単なる情景描写というよりもメタファーの可能性が高い。
その時彼がふと窓の外を見ると、一羽の鷹が、強風にも流されず、空中に静止していた。
メタファーは人間が根本的に持つ世界の認知、世界の見え方に深く関わっており、聞き手の心の状況に合ったメタファーは強く心を打ち、大きな影響力を持つ。
古典的なメタファー
メタファーは古今東西の文学作品に普遍的に存在している。その中でも歴史的に見て、多くの人々に読まれ、影響力の大きなメタファーをいくつか挙げる。
メタファーは現存する最古の文学作品といわれる『ギルガメシュ叙事詩』にも豊富に見だすことができる。同作品は多数の写本が作成され、広く流布したと考えられており、現代の視点でも文学作品として第一級だとしばしば評されている。
聖書は、メタファーと譬え話に満ちた文書の典型としてしばしば挙げられている。聖書およびイエス・キリストのたとえ話は、西洋文学におけるメタファーのありかたに多大な影響を与えている。
仏教においても、仏陀は、相手に応じて比喩を巧みに用いて説いたとされ、メタファーに満ちた話が現在まで伝わっており、仏教圏の人々には広く浸透している。
『涅槃経』第29巻では比喩を、順喩、逆喩、現喩、非喩、先喩、後喩、先後喩、遍喩の8種類に分類している。その中で、現喩は現前のものをもって表現する比喩で、遍喩は物語全体が比喩であるもののことである。
日本の仏教の文書にもメタファーは見出すことができる。
メタファー観の歴史
初めてメタファーの意義に言及したと言われているのはアリストテレスであり、彼は『詩学』のなかで次のように述べている。
- 「もっとも偉大なのはメタファーの達人である。通常の言葉は既に知っていることしか伝えない。我々が新鮮な何かを得るとすれば、メタファーによってである」
西洋の伝統的な修辞学では比喩(転義法)が研究・分類されてきたが、その中でもメタファーは特に大きなテーマとして扱われている。
文芸においてはメタファーは一貫して称揚されている。
ただし、一時期、近代の言語学や論理学では、メタファーを周辺的な現象とし、批判的に見ることがあった。近代の哲学者の中には、メタファーによって説得しようとする議論を「非理性的なもの」として否定する者がおり、例えばホッブズやロックは、メタファーに頼った議論を「ばかげており、感情をあおるものに過ぎない」などとして批判した。
だがこうした少数の意見を除けば、一般にメタファーは重視されており、文芸においては、ロマン主義以来は、理性を越えた想像力の発露であると見なされるようになった。
言語哲学におけるメタファー理解の変革
言語哲学では、「隠喩は言語において特殊な現象にすぎない」と見なす見解がかつて主流であり、その後に「隠喩はつねに言語の根源にある」とする見解が登場することになった。前者の見解は、ある意味で素朴で、そう見なす人のほうが多かった。例えば、古代ギリシャのプラトンや現代のオースティンなどは前者の見解を示した。
一方で、近代にはヴィーコ、現代ではマックス・ブラックが、異なった見解を示し、言語学者のロマン・ヤコブソンは、絵画、文学、映画あるいは夢などの表現の中には、根本的な認知方式としてメタファーの作用があることを指摘した。
さらにその後、1980年にジョージ・レイコフとマーク・ジョンソンが『レトリックと人生』[注釈 2]を出版し、「メタファーは抽象概念の理解を支える根本的な概念操作である」「言語活動のみならず、思考や行動にいたるまで、日常の営みのあらゆるところにメタファーは浸透している[1]」と指摘し、多数の資料を提示しつつ分析してみせ、広範囲の支持を得て、学者らのメタファー観は大きく変わった。
メタファーは単なる言語の要素ではなく、人間の認知と存在の根幹に関わる要素だという認識がされるようになり、メタファーを基礎に据え、概念理解のしくみ・構造を解明しようとする研究が進められている。
政治においても、メタファーがもたらす影響について研究が盛んになってきている。
また、精神分析学者ジャック・ラカンのメタファー・メトニミーへの言及が重要視されることがある。ポール・リクールも隠喩論を展開した。
関連する概念
物語全体で他の何かを暗示するように構成されたものは寓喩と呼ばれる。
概念の近接性に基づいて意味を拡張した表現はメトニミーまたは換喩という。「漱石を読んだ」、「風呂が沸いた」のような表現がこれにあたる。また概念の上下関係に基づいて意味を拡張した表現はシネクドキまたは提喩という。例えば「花見」という語における「花」は普通、桜の花を指している。
「…のようだ」「…みたいだ」のように、わざわざ比喩であることを明示する語や形式を用いている比喩は直喩と呼ばれる。
脚注
注釈
- ^ ギリシア語ラテン翻字: metaphorá
- ^ 英: Metaphors we live by
出典
- ^ 『レトリックと人生』pp.2-4.
参考文献
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- George Lakoff and Mark Johnson. Metaphors We Live By. University of Chicago Press, 1980. ISBN 9780226468006.
- George Lakoff & Mark Johnson著・渡部昇一,楠瀬淳三,下谷和幸(訳)(1986)『レトリックと人生』大修館書店.
- 山梨正明 (1988)『比喩と理解』(認知科学選書)東京大学出版会.
- Janet Martin Soskice著・小松加代子(訳)(1992)『メタファーと宗教言語』玉川大学出版部.
- Wolfgang Harnisch著・広石望(訳)(1993)『イエスのたとえ物語―隠喩的たとえ解釈の試み』日本基督教団出版局.ISBN 4818401293.
- 小原克博(1994)「神理解への隠喩的アプローチ」、『基督教研究』第56巻第1号[1].
- 中村明(1995)『比喩表現辞典』角川書店.
- 瀬戸賢一(1995)『メタファー思考』講談社現代新書.
- 辻幸夫(2001)『ことばの認知科学事典』大修館書店.
- 石川淑子(2001)『ことばと意味―隠喩・広告を通して』 リーベル出版.
- Northrop Frye著・山形 和美(訳)(2001)『力に満ちた言葉―隠喩としての文学と聖書』叢書・ウニベルシタス、法政大学出版局. ISBN 4588007262.
- 辻幸夫(2002)『認知言語学キーワード事典』研究社.
- 谷口一美(2003)『認知意味論の新展開―メタファーとメトニミー』研究社.
- 瀬戸賢一 (2005)『よくわかる比喩―ことばの根っこをもっと知ろう』研究社.
- 橋本功・八木橋宏勇(2006)「聖書のメタファー分析」『人文科学論集』vol.40.[2].
- 楠見孝(2007)『メタファー研究の最前線』 ひつじ書房.
- 山梨正明(2007)『比喩と理解 (コレクション認知科学)』東京大学出版会.
- 橋本功・八木橋宏勇(2007)「メタファとメトニミの相互作用 : 聖書を読み解く認知メカニズム」『人文科学論集』vol.41. [3].
- Raymond W. Gibbs Jr.著・井上逸兵・辻 幸夫(監修)、小野滋・出原健一・八木健太郎(訳)『比喩と認知: 心とことばの認知科学』研究社. ISBN 4327378135
- 山梨正明(編集) (2008)『概念化と意味の世界 認知意味論のアプローチ 』研究社.
- 橋本功・八木橋宏勇(2011)『聖書と比喩 : メタファで旧約聖書の世界を知る』 慶應義塾大学出版会. ISBN 978-4766417661.
関連項目
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