こう‐だん〔カウ‐〕【講談】
講談(こうだん)
講談
<こうだん>
区分
重要無形文化財
保持者
浅野 清太郎
<あさの せいたろう>
(芸名 一龍斎 貞水)
<いちりゅうさい ていすい>
解説
講談は、物語などを読み聞かせる芸能で、近世初頭、店先などで『太平記』を読んだ太平記読みの系統を継承している。18世紀以降には江戸や京阪の繁華街などに講釈専門の講釈場が出現して多くの講釈師が輩出し、話芸の中心的存在となった。会話口調や老若男女の読み分けなどに工夫が加えられ、題材も武芸物、仇討物、お家騒動、世話物と豊富になった。明治以後も世相を反映した開化講談が行われるなど、各時代に応じた題材が加えられ現在に至っている。また、その演目の一部は歌舞伎に取り入れられるなど他の芸能にも大きな影響を与えている。
講談
講談
名称: | 講談 |
ふりがな: | こうだん |
芸能工芸区分: | 芸能 |
種別: | 演芸 |
認定区分: | 各個認定 |
指定年月日: | 2002.07.08(平成14.07.08) |
解除年月日: | |
指定要件: | |
備考: | |
解説文: | 講談は、物語などを読み聞かせる芸能で、室町時代に店先などで『太平記』を読んだ太平記読みの系統を継承している。一八世紀初め、江戸や京阪の繁華街などに講釈場【こうしゃくば】が設けられ『太平記』だけでなく『源平盛衰記』や『曽我物語』なども読まれた。一八世紀末には、従来の棒読み口調をあらためて、会話口調や老若男女の読み分けなどの工夫を加え、題材も武芸物、仇討物、お家騒動物、世話物(力士伝、侠客伝【きょうかくでん】、白浪物【しらなみもの】など)と豊富になった。明治以後も時代に応じた題材を加えて現在に至っている。講談は、わが国の代表的な話芸の一つである。 |
講談
名称: | 講談 |
ふりがな: | こうだん |
芸能工芸区分: | 芸能 |
種別: | 演芸 |
選択年月日: | 1997.05.27(平成9.05.27) |
選択要件: | |
備考: | |
解説文: | 講談は、物語などを読み聞かせる芸能で、室町時代に店先などで『太平記』を読んだ太平記読みの系統を継承している。一八世紀初め、江戸や京阪の繁華街などに講釈場【こうしゃくば】が設けられ『太平記』だけでなく『源平盛衰記』や『曽我物語』なども読まれた。一八世紀末には、従来の棒読み口調をあらためて、会話口調や老若男女の読み分けなどの工夫を加え、題材も武芸物、仇討物、お家騒動物、世話物(力士伝、侠客伝【きょうかくでん】、白浪物【しらなみもの】など)と豊富になった。明治以後も時代に応じた題材を加えて現在に至っている。講談は、わが国の代表的な話芸の一つである。 |
講談
名称: | 講談 |
ふりがな: | こうだん |
芸能工芸区分: | 芸能 |
種別: | 演芸 |
選択年月日: | 1997.05.27(平成9.05.27) |
選択要件: | |
備考: | |
解説文: | 講談は、物語などを読み聞かせる芸能で、室町時代に店先などで『太平記』を読んだ太平記読みの系統を継承している。一八世紀初め、江戸や京阪の繁華街などに講釈場【こうしゃくば】が設けられ『太平記』だけでなく『源平盛衰記』や『曽我物語』なども読まれた。一八世紀末には、従来の棒読み口調をあらためて、会話口調や老若男女の読み分けなどの工夫を加え、題材も武芸物、仇討物、お家騒動物、世話物(力士伝、侠客伝【きょうかくでん】、白浪物【しらなみもの】など)と豊富になった。明治以後も時代に応じた題材を加えて現在に至っている。講談は、わが国の代表的な話芸の一つである。 |
講談
名称: | 講談 |
ふりがな: | こうだん |
芸能工芸区分: | 芸能 |
種別: | 演芸 |
選択年月日: | 1997.05.27(平成9.05.27) |
選択要件: | |
備考: | |
解説文: | 講談は、物語などを読み聞かせる芸能で、室町時代に店先などで『太平記』を読んだ太平記読みの系統を継承している。一八世紀初め、江戸や京阪の繁華街などに講釈場【こうしゃくば】が設けられ『太平記』だけでなく『源平盛衰記』や『曽我物語』なども読まれた。一八世紀末には、従来の棒読み口調をあらためて、会話口調や老若男女の読み分けなどの工夫を加え、題材も武芸物、仇討物、お家騒動物、世話物(力士伝、侠客伝【きょうかくでん】、白浪物【しらなみもの】など)と豊富になった。明治以後も時代に応じた題材を加えて現在に至っている。講談は、わが国の代表的な話芸の一つである。 |
講談
講談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 06:07 UTC 版)
芸協においては、講談師は、前座修行を芸協で行った者のみが落語家と同様の香盤に入り、真打昇進後に入会した者は色物として扱うこととなっていたが、2019年12月頃より、公式サイトのプロフィールページにおいて、講談師の項目が別項に移行した。これにより、真打・二ツ目・前座の落語家の香盤と色物にまたがっていた香盤が一本化された。講談師の部の中において真打・二ツ目・前座の区別がなされており、従来「色物」だった講談師は「真打」に改められた。入会から長期間経過している松鯉ら4名は、従前より真打だった山陽らより真打昇進順に上位に列せられたが、2019年入会の阿久鯉(真打)、2020年入会の紅佳(二ツ目)はそれぞれ通常の香盤と別枠となっている。 なお、ひまわりは講談師であるが、現在でも落語家の香盤に含められている。
※この「講談」の解説は、「落語芸術協会」の解説の一部です。
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講談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 05:23 UTC 版)
「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の記事における「講談」の解説
森雪の声優である麻上洋子が、講談師の一龍斎春水として講談・宇宙戦艦ヤマトを創作して高座にかけている。
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講談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:05 UTC 版)
金子みすゞの伝(作:一龍斎春水、口演:一龍斎春水)、2007年より継続。
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講談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 06:42 UTC 版)
明治時代後期、当時の大阪で活躍していた講談師である神田伯龍がこの伝説を講談として舞台で披露したことで、この伝説は都会の芸能として全国的に広く知られるようになった。この講談は速記者・丸山平次郎の速記により講談本となり、1910年(明治43年)、『実説古狸合戦』『古狸奇談津田浦大決戦』『古狸奇談日開野弔い合戦』の全3巻で刊行された。同時期でタヌキを扱った講談としてはほかに、伊予国松山(後の愛媛県松山市)の化け狸である隠神刑部を描いた『松山狸問答』がある。こちらは人間が主人公であり、『実説古狸合戦』ほかの講談はタヌキを主人公として扱ったことが特徴的である。 伯竜による講談は、大筋は口承と大差ないが、一つ一つの行為を丁寧に描写し、ときには台詞を加えることにより戦闘場面の臨場感を盛り上げ、さらにタヌキを滑稽な動物としてではなく、人間と同様の心を持つ軍人として描いているという特徴がある。伝説上にない場面も多々あり、これらは創作と見られている。一例として講談本では、金長と六右衛門の2代目同士の戦いの場面があるが、タヌキとしてはあまりに綿密な作戦による戦いの様子が描かれている上、講談以前の関連書籍にそうした記述が存在しないため、それらは軍記物を得意とする講談師による創作と考えられている。伯竜自身も、講談本の中に原典とは変わってしまっている部分もあると説明している。 講談が人気を博していた要因は、時期が折しも日清戦争の時期であり、戦争の時代の社会において軍談、武勇伝、敵仇ちといった戦う男たちの物語が好まれたことや、タヌキたちが人間同様にときには仲間同士で助け合い、ときには名誉の戦死を遂げるといった物語が、講談を楽しむ人々にとって身近な存在に見えたことだと考えられている。また、民話において各土地を統括する親分級のタヌキは、神として祠に祀られたり多くの逸話に登場したりと、人々にとって身近な存在であり、特に金長や六右衛門は地域住民にとってのヒーローといえたため、土地の人々が仲間内でこうしたタヌキを語ることを通し、同じ知識を共有する仲間、同じ土地の人間としての絆が強まったとの見方ともある。 それから80年以上後の1996年(平成8年)、この明治の講談をリニューアルした『立体講談・阿波狸合戦』が小松島で上演された。さらに1998年(平成10年)、この立体講談を市民に語ってもらい、小松島の文化を継承していくため語り部の養成を小松市が企画。東京から講談師や講談脚本家を招き、語り部塾が市によって開講され、1999年の発表会を開催では大盛況を博した。 翌1999年(平成11年)に塾が終了した後、同年、塾生たち20人により「小松島語り部協会・御伽衆」が結成され、市内外の敬老会や福祉施設で講談や園芸を披露し、聴衆の笑いや涙を誘った。しかし後には高齢化などの事情になり、講談師は結成時の代表者1人だけの状態となっている(2008年〈平成20年〉時点)。
※この「講談」の解説は、「阿波狸合戦」の解説の一部です。
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講談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 09:15 UTC 版)
女性が語って現代社会に有意義な講談を創作し、新作も古典もと自身のウェブサイトで語っている。 藤沢市で定期的に「春水講談ライヴinしぇんろん」を開催。依頼があれば全国各地で講談を実施。
※この「講談」の解説は、「一龍斎春水」の解説の一部です。
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講談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 17:23 UTC 版)
講談では、東京の講談協会、日本講談協会がそれぞれ真打制度を導入している。日本講談協会と提携する落語芸術協会(芸協)に所属する講談師のうち、芸協での寄席修行を受けた一部の講談師が芸協でも「真打」として扱われ(3代目神田山陽、神田京子、神田鯉栄、神田蘭、6代目神田伯山)、芸協の定席で昇進披露が行われる。芸協内の寄席修行を受けずに途中入会した講談師(神田陽子、神田紫、神田紅、3代目神田松鯉)については、芸協の香盤では「色物」として真打の扱いを受けていなかった(ただし、主任を務めることもあった)が、2019年12月頃より芸協内での香盤が一本化され、前述の芸協内で前座修行を受けた講談師とともに「講談」の枠内で「真打」の扱いを受けるようになった。なお、例外として芸協内で寄席修行を受け、現在は日本講談協会から離脱している日向ひまわりについては「講談」枠内に入らず、通常の芸協の落語家の香盤序列で真打に列せられている。また、2019年に途中入会した神田阿久鯉については「講談」の枠内で「真打」の扱いであるが、入会から間もないこともあってか芸協の香盤内では別枠とされている。 また、講談協会または日本講談協会と落語協会にも所属する講談師については非常に少数であるため、落語協会の香盤では「講談」として別枠となっているが真打の扱いを設けていない(ただし、講談師も定席で主任を務めることがある)。 落語や漫才と異なり、上方講談でも少人数かつ3団体(上方講談協会、大阪講談協会、なみはや講談協会、さらにこれらに属さない講談師も存在)に分かれているが、それぞれ独自に真打制度を導入している。
※この「講談」の解説は、「真打」の解説の一部です。
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