戦いの様子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 03:01 UTC 版)
「ウェイクフィールドの戦い」の記事における「戦いの様子」の解説
この戦闘の様子については、ヨーク公の第2子であるラットランド伯エドムンドの「殺人」をクローズアップしてメロドラマ化したシェイクスピアの戯曲『ヘンリー六世 第3部』が最も有名であるが、実際何が起きたかについて確かなことは全く分かっていない。 正確な日付は不明、また同様に正確な戦場の場所も不明であるが、最も有り得そうな場所はサンダル城(Sandal Castle)の北の、ウェイクフィールド・グリーンとして広く発展しているあたりである。ヨーク公が死んだ現場に立てられたという記念碑は、その少し南の可能性がいっそう高いとされる場所(「古い記念碑があった」と伝えられる)に置かれたが、後の内戦で破壊された。マーガレット王妃が実際に戦場にいた可能性は低く、サマセット公とノーサンバランド伯が戦闘の指揮を執っていたと思われる。 シェイクスピアの戯曲でのエドムンドは子供として描かれており、クリフォード卿によるエドムンドの虐殺やそれに続くマーガレット王妃による父ヨーク公に対する殺害の前の拷問が描かれている。確かに現実でもヨーク公・エドムンドともこの戦闘で戦死するが、実際にはこの当時エドムンドは既に17歳で、充分戦闘に参加できる年齢に達していた。 ヨーク公の敗北は、増援部隊の到着を待つことなくサンダル城を出てランカスター派と対戦したり、自軍の力を実際よりも過大評価するなど、自身の過度な自信の結果であった。しかし、ヨーク公がこの戦闘の直前にランカスター派に寝返ったネヴィル卿に騙されたというのは有り得そうことである。 この戦いの後、ヨーク公、エドムンド、ソールズベリー伯の頭は棒に刺され、ヨークの城門ミックルゲート・バー(Micklegate Bar)の上に晒された。ヨーク公の頭には紙の王冠を載せてあり、「ヨーク公にヨークの街を見下ろさせてやれ」という札を下げていた。
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