花柳寿応とは? わかりやすく解説

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花柳寿応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 05:05 UTC 版)

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花柳壽應(はなやぎ じゅおう)は、舞踊花柳流宗家の隠居名で、花柳壽輔が引退後に名のっている。


花柳壽輔 (2代目)

(花柳寿応 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/12 09:28 UTC 版)

二代目 花柳 壽輔(にだいめ はなやぎ じゅすけ、新字体:寿輔1893年明治26年)10月3日 - 1970年昭和45年)1月22日)は、大正から昭和にかけて活躍した舞踊家。日本舞踊 花柳流の二世家元。本名は花柳 芳三郎(はなやぎ よしさぶろう)。

初代花柳壽輔と「とめ」という女性との間に晩年の一粒種として東京に生まれる[1]。はじめ六代目尾上菊五郎に入門し、尾上菊太郎(おのえ きくたろう)を名乗って歌舞伎役者になるが、父の死去後廃業し、大正7年(1918年)に二代目花柳壽輔を襲名、二世家元を継承する。その後は花柳舞踊研究会を興して新舞踊運動を先導した。1957年日本芸術院賞を受賞[2]。昭和35年(1960年)人間国宝。昭和38年(1963年)花柳壽輔の名跡を長女・若葉に譲り、自身は花柳 壽應(はなやぎ じゅおう、新字体:寿応)を名乗った。

四代目花柳芳次郎、二代目花柳壽樂、花柳宗岳、花柳寿南海初代花柳寿美など多くの優秀な人材を育成した。

著書

  • 『寿輔芸談』実業之日本社 1957
  • 『民謡 おどりとげき』小沢不二夫共著 邦芸社 1960

関連書籍

  • 『二世花柳寿輔』編者:三代目花柳寿輔 沙田 1972
  • 三代花柳寿輔『柳緑花紅』善本社 1977
  • 三代花柳寿輔『花わけ衣 二代目花柳寿輔二十三回忌を迎えて』私家版、1992

脚注

  1. ^ 花柳流花柳会・設立経緯 花柳 寿々司郎、平成27年6月11日
  2. ^ 『朝日新聞』1957年2月28日(東京本社発行)朝刊、11頁。

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