第6航空軍参謀とは? わかりやすく解説

第6航空軍参謀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 08:09 UTC 版)

倉澤清忠」の記事における「第6航空軍参謀」の解説

1944年10月に、フィリピンの戦い海軍神風特別攻撃隊出撃戦果挙げると、陸軍万朶隊富嶽隊といった特攻隊出撃させ、特攻常用作戦となっていった。そんな1944年年末倉澤新たに編成された 第6航空軍参謀に抜擢された。第6航空軍は、日本に迫る連合軍迎撃するために編成され航空軍であったが、その軍司令官には陸軍航空第一人者で、倉澤陸軍士官学校通っていたときの校長であった菅原道大中将就任した菅原倉澤を呼ぶと「君は作戦主任参謀水町中佐のもとで、編成参謀として補佐してくれ。沖縄戦開始される特攻隊編成するから責任は重いぞ。体の具合はどうだ?」と言葉をかけている。 アメリカ軍フィリピン攻略すると、次いで硫黄島占領し、いよいよ沖縄迫ってきた。第6航空軍1945年3月10日司令部東京から福岡移転軍司令部福岡高等女学校現・福岡県福岡中央高等学校)に置いたが、倉澤司令官菅原随行して福岡入りした。倉澤陸軍航空本部など関係各所交渉して航空機搭乗員を第6航空軍配備するように交渉するとなったが、仕事熱心さと後遺症による頭痛により上級参謀であろう容赦なく噛みつくため「神経露出狂」などとあだ名付けられ煙たがられ一方で倉澤頭痛任務重圧押しつぶされて、さらに酒の量が増していった。 1945年3月25日アメリカ軍慶良間諸島上陸開始したとの情報連合艦隊に入ると、3月20日大本営により下令された天号作戦に基づき連合艦隊1945年3月25日天一号作戦警戒」、南西諸島への砲爆撃激化した26日に「天一号作戦発動」を発令した。「天一号作戦警戒発令により鈴鹿以西作戦可能航空戦力は、海軍第五航空艦隊司令官宇垣纒中将指揮下に入ったが、そのなかには大陸命第一二七八号1945年3月19日) にて連合艦隊司令長官指揮下に置かれて、海軍と一体の特攻作戦推進していた第6航空軍含まれていた。第6航空軍は第5航空艦隊指揮下で、4月1日沖縄本島連合軍上陸して激戦火ぶた切られ沖縄戦において、沖縄近海多数特攻機出撃させた。 そのような状況下で、第6航空軍何らかの理由出撃または突入できずに帰還した特攻隊員収容する振武寮福岡市設営すると、倉澤はその運営携わる参謀約5名の中の一人となったその中でもっとも若かった倉澤血気盛んであり、振武寮から隊員司令部呼び出し竹刀殴打したり、倉澤陸軍航空士官学校教官時代教え子で、隊長なのに1人だけ帰還した43振武隊陸士今井少尉拳銃渡し部下だけ突入させて、隊長一人残ったのは、職業軍人として恥ずかしくないのか?」と罵倒し自決まで迫った今井口惜しさのあまり卒倒して2、3寝込んだという。 振武寮日々反省文提出軍人勅諭書き写し写経など精神再教育的なものが延々と続けられた。特攻出撃したが乗機故障喜界島不時着し生還した22振武隊大貫健一少尉は、毎晩就寝前に軍人勅諭全文毛筆書き写して翌朝朝食時に提出するよう命じられた。頭痛和らげるための常態的飲酒により酔ってがなり立てる倉澤に「そんなバカなことを書く(軍人勅諭書き写すこと)よりも特攻機下さい亡くなった戦友たちが待っているんです。毎日軍人勅諭書いて何になりますか」と反論したところ、泥酔していた倉澤口論になり、倉澤から竹刀気を失うまで殴打されたこともあった。大貫のように振武寮にいた特攻隊員多く再出撃希望し倉澤特攻機受領求めたが、倉澤から「お前らのように途中で帰ってくる卑怯者にやる特攻機はない。また同じよう飛行機故障といって逃げて帰ってくるに違いない!」と罵倒され特攻機受領することは無く再出撃はできなかった。 昨夜深酒朝酒泥酔している倉澤が、大貫朝食食べている食堂訪れ「命が惜しくて帰ってきたろ、そんなに死ぬのが嫌か、卑怯者死んだ連中申し訳ないとは思わんのか」「お前ら軍人クズがよく飯を食えるな」「おまえら人間クズだ。軍人クズ以上に人間クズだ」と酔った勢いで罵倒することもあった。そこで食事躊躇っていると、倉澤は「なんで飯を食わない食事天皇陛下から賜ったものだぞ」と食べるまで部屋出ていかなかった。 ただし、倉澤このような扱い受けた特攻隊員一部とどまり、第54振武隊小川光少尉によれば振武寮到着した夜に倉澤から軍人勅諭持っているか?と聞かれたが、遺品として実家送ってしまって手元になかったので、倉澤自分軍人勅諭貸与し書き写しておくように命じている。小川倉澤厚意貸してくれたと恐縮しその夜短時間軍人勅諭筆写して倉澤借りていた軍人勅諭返すと、晴れ晴れとした気分熟睡したという。風呂生徒用でなく舎監用の風呂入浴したが、2人や3人は入れ浴槽鼻歌歌いながらゆっくり入浴できた。翌朝からも懲罰的作業命じられることはなく、本部前の振武寮とは別棟にて沖縄への航法一般的な講義受けている。 第65振武隊片山啓少尉によれば終日正坐をして軍人勅諭筆写させられていたのは重謹慎処罰受けていた者だけで、片山らは倉澤過失を見つけられるごとに叱責されただけであった片山らはその後明野教導飛行団転属を命ぜられ、皮肉にも一度特攻出撃することなく終戦まで生きながらえることとなった。以上のように収容され特攻隊員中でも処遇違いがあり、この処遇違い大貫は『実際に出撃して途中で帰還した者』と『特攻基地まで行ったものの飛行機故障などにより出撃そのものができなかった者』の違い考えていた。 しかし、大貫同日入寮し、同じよう倉澤罵倒され特攻隊員中にも、第30振武隊横田少尉のように『出撃そのものができなかった者』も含まれている一方で第72振武隊として出撃しながら本隊逸れ不時着し後日振武寮行きとなった朝鮮人特攻隊員金本海龍伍長は、軍人勅諭筆写罵倒などの差別的待遇は特にされなかった上に、1945年6月末に侍従武官尾形健一大佐が第6航空軍視察することが決まった際に、菅原から昭和天皇奏上する特攻美談原稿を書くように指示受けた倉澤はその対象者として、振武寮収容されている隊員の中から、金本を「朝鮮人ありながら日本人以上に立派な隊員です。」と参謀長藤塚止戈夫 中将推薦している。後に倉澤書いた金本称賛原稿新聞記事となって掲載されている。 後年倉澤証言によると、対応の違いについては、帰還者のなかで「ちょっと臭いやつに対して強く出た」という。学徒出身特別操縦見習士官に対しては、知識があるために特攻作戦消極的だとみて厳しく接した一方少年飛行兵若くして軍隊入っているので扱いやすいとも述べている。 振武寮沖縄戦終息向かっていた1945年6月入った頃には次第運営の箍も緩んでおり、日本発送電福岡支店戦後解体され九州電力)内本支店長から、同社女子社員振武寮収容隊員とのお茶会開催申し出があると、最初は「お茶会若い女性を見ると変心して、出撃意思失ってしまうのではないか、私はそれを恐れているのです。」と難色示した倉澤も、第6航空軍司令部から開催許可が出るや、逆に拒否することは許さぬ病人以外全員行くこと」と命じるほど積極的になった。 1945年6月ある日日本発送電所有振武寮ほど近い薬院山荘に、20代女子社員30名が和装して隊員らを迎えお茶会予定通り開催された。女子社員特攻隊員談笑の中で、女子社員からは「こんな若い人たちが特攻で死ぬなんて信じられない初めから死ぬことがわかって出撃するなんて」などと特攻批判するような発言飛び出したが、倉澤がその発言怒ったりすることはなかったという。特攻隊員女子社員とすっかり意気投合して翌朝隊員多く振武寮抜け出し日本発送電事務所訪れて女子社員らに会い行っているが、それを倉澤止めることはなかったという。 このお茶会終わった後、参加者の中の1人の第42振武隊中野次郎少尉振武寮帰って来ると、倉澤中野向かって卑怯者帰ってきたか」と嫌味言った中野はそれを聞く立腹して倉澤殴り倒している。本来、軍隊部下上官暴力振るうのは重罪であるが、倉澤第6航空軍司令官菅原道大中将と第30戦闘飛行集団青木武三少将呼び出されると、青木から「私の編制した部下に何か文句があるのか、立派に戦って戻った者を」と、階級が下の収容隊員殴り倒されにも関わらず逆に叱りつけられ中野そのまま原隊復帰し咎められることもなかった。倉澤は、この事件後、中野特別操縦見習士官にはあまり干渉しなくなったという。そのため、このお茶会のあとは、医者通院するとか適当な理由申し出れば好きな時に自由に外出できるようになったまた、振武寮外部との接触禁止との建前であったが、福岡高等女学校福岡女学校女学生慰問継続的に受けていた。女学生らは学校講堂学芸会開き日本舞踊踊り海ゆかば歌って隊員慰めたその内、第67振武隊山岸少尉女学生1人懇意になり、振武寮抜け出して大濠公園デート繰り返し戦後その女学生結婚しており、戦時中の軍の施設の運営状況としては、比較自由な環境であった事実判明している。倉澤以外の振武寮運営携わった参謀らは特に特攻隊員らに厳しく当たることもなかったが、倉澤も、特攻隊員らの反抗的な態度に手を焼き、しばらくすると厳しくあたることはなくなっていき、また第6航空軍司令部倉澤特攻隊員対立する特攻隊員側の肩を持つことが多かった振武寮1945年6月20日福岡大空襲の際に、焼夷弾至近距離落ちて延焼したが、特攻隊員らの消火活動により半焼済んでいる。しかし復旧目途立たず6月21日には代替機受領予定特攻隊員原隊戻された。

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