振武寮
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振武寮(しんぶりょう)は、現在の福岡県福岡市中央区にあった大日本帝国陸軍第6航空軍司令部内におかれ、生還した特攻隊員を次の出撃まで収容していたとされる施設。軍司令部のあった福岡高等女学校(現・福岡県立福岡中央高等学校)から道路を挟んだ、福岡女学校(現・福岡女学院中学校・高等学校)の寄宿舎を接収して設置された。戦後、所在地には福岡市九電記念体育館が建てられたが、2019年3月31日をもって閉館した[1]。第6航空軍(司令官は菅原道大中将)司令部の航空参謀数名で管理していたが、そのなかのひとりが倉澤清忠少佐とされる[2]。戦後、長らく知られてこなかったが、映画『月光の夏』[注 1][3]が上映された1993年以降にその存在が明らかにされた[注 2]。
注釈
- ^ 『月光の夏』は実話などを元に創作したドキュメンタリー・ノベルの映画化であり、ノンフィクションではない。舞台となっている鳥栖町立鳥栖国民学校にピアノを弾きに来たのは、特攻隊員2名ではなく、特別操縦見習士官2期生で特攻隊員ではない鍋岡弘昭少尉1名である。
- ^ ただし、原作の小説『月光の夏』の出版前(1993年)の、1965年出版高木俊朗『知覧』に『振武寮』に関する記述あり(その後の高木著の書籍にも登場)、他の著者では1982年出版デニス・ウォーナー 『ドキュメント神風』に『振武寮』の記述があり
- ^ 4月6日に四式戦闘機配備の制空戦闘隊第102戦隊の1/3と特攻隊1/5が不出撃もしくは引き返ししたことを嘆く記述、5月28日全軍に軍人勅諭奉読式をさせたこと、6月8日に引き返した特攻隊員数十名を前に訓話したことは記述。
- ^ 以前は高級料亭であり、料亭時代は玄洋社の頭山満が常連客であった。2017年現在は鹿島本館という旅館名で営業中で、頭山が書いた自筆の額が現存。2007年に国の登録有形文化財に登録(福岡市では初登録)
- ^ ただし、1965年出版の高木俊朗『知覧』で片山は旧知の顔があったからでなく、隊員らに事情を聞いて特攻隊員の隔離所と認識したと高木に証言している。
- ^ 喜界島から救出された1人となる第22振武隊の大貫少尉は、戦後に振武寮収容時に顔なじみとなった第6航空軍司令部付の下士官(官姓名不詳)に聞いた話として、第6航空軍は、取り残された振武隊員が、喜界島にアメリカ軍が上陸し捕虜となった際に機密を漏洩する危険性が高いと考え、撃墜され特攻隊員らが死ぬことを前提に重爆を出したが、予想外に大貫らが生還してしまいその処置に困った。としているが、大貫らが生還する以前の5月15日に夜間戦闘機に撃墜された救援機は、陸軍機ではなく海軍の九六式陸上攻撃機で、陸海軍搭乗員両方が戦死しており、この当時連合艦隊の指揮下にあった第6航空軍が、海軍機を使用し海軍航空隊搭乗員を巻き添えにして、このような試みをおこなうのは不自然である。また日本軍は陸海軍問わず、孤立したマリアナ諸島やフィリピンなどでも、搭乗員を航空機や潜水艦を使って救出している。
- ^ 第65振武隊は、乗機の九七式戦闘機が故障しなかった隊長の桂正少尉以下3名が1945年5月11日に出撃して戦死しており、その知らせを聞いた片山らは、隊長が戦死したことと代替機が来ないことから、心の支えを失い緊張感が緩み、毎日ぼんやりととりとめのない生活を送り、頭髪も伸びるにまかせて気にもとめていなかったという。
- ^ 昼食と夕食の際にはあまり嫌がらせはされていなかった。食事は兵食であったが、夕食には魚の煮つけなどが一品ついていた。
- ^ しかし、大貫少尉が聞いたところでは「窓ガラスを割りその破片で頸動脈を切り自殺した」と異なった状況となっており、実際に自殺者が出たのかは不明。
- ^ 大貫が振武寮で顔見知りとなった下士官とのことだが、官姓名は不詳。
- ^ この会議に出席した倉澤によれば「参謀の中で意見が分かれて結論が出なかった」とのことであった。
- ^ しかし、倉澤が居住していた西武鉄道池袋線保谷駅近隣にこのような警察署は過去も現在も存在せず、実際には田無警察署である
出典
- ^ 特別番組 ありがとう!九電記念体育館 - KBCラジオ(2019年4月17日)
- ^ a b 大貫 & 渡辺, pp. 217–218.
- ^ “「月光の夏」の真実 鍋岡弘昭少尉証言『飛行第244戦隊HP』より”. 2017年3月29日閲覧。
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- ^ 高木俊朗『特攻基地知覧』電子版P.1717
- ^ 菅原道大「8、特攻総ざらえ 4、帰還の頻度」『特攻作戦の指揮に任じたる軍司令官としての回想』1969年、79-82頁。
- ^ NHKスペシャル「学徒兵 許されざる帰還 陸軍特攻隊の悲劇」2007年10月21日放送
- ^ 佐藤, p. 84.
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- ^ 加藤, p. 72.
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- ^ シュミット村木眞寿美『もう、神風は吹かない 「特攻」の半世紀を追って』P.242~243
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- ^ 高木俊朗『特攻基地知覧』電子版P.1698
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- ^ 西日本新聞記事『振武寮』1993年8月11日 福岡女学校教師証言
- ^ シュミット村木眞寿美『もう、神風は吹かない 「特攻」の半世紀を追って』P.244
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- ^ 特攻隊戦没者慰霊顕彰会編 『会報 特攻』 平成23年11月第89号 特攻インタビュー第6回 陸軍航空特攻 堀山久生氏
- ^ “振武隊異動通報から見えた真実”. 飛行第244戦隊. 2017年3月20日閲覧。
- ^ 島田, 電子版, 位置No.1693
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- ^ “振武隊異動通報(第2號) 軍事機密 と号業務班 6月18日現在”. 飛行第244戦隊. 2017年3月14日閲覧。
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- ^ 菅原道大『菅原道大日誌』9月23日
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- ^ 加藤, p. 63.
- ^ 林, p. 282.
- ^ 『特攻隊振武寮』p.283
- ^ 伊藤, p. 53.
- ^ “さよなら九電体育館 月内閉館 クイーンも公演 ライブや相撲、避難所に”. 西日本新聞. (2019年3月15日)
- ^ “生きて帰った特攻隊員を隔離軟禁 旧陸軍「振武寮」 跡地で分譲マンション建設進む”. 毎日新聞. (2020年12月7日) 2020年12月7日閲覧。
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