はっ‐きん【発禁】
読み方:はっきん
「発売禁止」の略。「—本」
発禁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/30 07:39 UTC 版)
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本項では略称の「発禁」に統一して記述する。
概要
発行禁止処分または発売頒布禁止処分は、発行、発売、頒布された(またはその準備が整った)出版物、音楽、映画などの表現物の内容に不都合がある場合に、その発行、発売、頒布を禁止する処分である。無償頒布のものも対象となる。
どのような内容の表現物が発禁とされるかは、時代や地域によって異なる。
戦前の日本においては、雑誌ならば該当号、単行本ならばその書籍のみの発売や頒布を禁止対象とする「発売頒布禁止処分」と、雑誌や新聞の以後の号の発行を全て禁じる「発行禁止処分」があり、それぞれ根拠法条を異にしていたが、しばしば混同されている[1]。
国立国会図書館では、旧帝国図書館時代に所蔵していた発禁本と、終戦後米軍が内務省から接収しその後返還された発禁本とを所蔵している[2]。
現行の事例
中華人民共和国
1998年のアカデミー賞にノミネートされたアメリカ映画「クンドゥン」は、ダライ・ラマ14世の半生を描いたものであるとして、中華人民共和国で上映及び公開禁止となっている。
中国国内の経済格差という社会問題に触れた「迷失北京」は、中国政府の掲げる社会テーマと一致しないという理由で、中国映画審査機構より上映禁止となり、「迷失北京」から「苹果」(リンゴ)と改題、映画審査機構による5回の審査を受ける。2007年の第57回ベルリン国際映画祭への出品にあたり、北京市の不衛生な町風景と天安門広場及び中華人民共和国の国旗など、中国イメージの対外的な低下に繋がるシーンについて、当局から削除が命じられている[3]。
日本
現在の日本では、日本国憲法第21条において検閲が禁止されているため、法制度上の発禁は原則存在しない。ただし、「雑誌その他の出版物の印刷、製本、販売、頒布等の仮処分による事前差止めは、表現物の内容の網羅的一般的な審査に基づく事前規制が行政機関によりそれ自体を目的として行われるものとはいえず、検閲には当たらない。」とされる[4]。
表現行為の事前差止めの仮処分は、原則として口頭弁論又は債務者の審尋を経る必要があるが、表現内容が真実でないか又は専ら公益を図る目的のものでないことが明白であり、かつ、債権者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある場合は、それらの審理を経る必要なく表現行為を事前差し止めが行える[4]。
したがって、出版等が禁止されるのは、私人間の民事訴訟において、裁判所の判決または仮処分により出版等の差止めが命じられる場合に限られる。
民事訴訟において人権侵害(名誉毀損、プライバシーの侵害等)や著作権の侵害(著作権法第112条)が認定された場合は、販売差止め(出版差止め)が命じられ、これを俗に発売禁止ということもある。
アメリカ
アメリカ合衆国憲法修正第1条において、報道の自由が保障されている。しかし、報道の自由と個人のプライバシー権の議論がおこなわれ、政府が公開した情報なら合法という最高裁の決定が、Florida Star v. B. J. F.(被害者情報を州法に反して保安官事務所が出してしまい被害者に保証金が支払われた。それを基に出版社の方針に反して記事を誤って出版してしまった事件の発禁処分に対しての裁判)にて下った。
イギリス
- 進行中の裁判を妨害する事件情報:Contempt of Court Act 1981により発禁となる。
- Sexual Offences (Amendment) Act 1992 - 性的暴行の被害者の情報は発禁となる。
カナダ
発禁については、Criminal Code (刑法)に次の情報は発禁処分になると記されている[5]。
- Section 486.4(1) and (2) - 性的暴行被害者の個人情報の公開
- Section 486.4(3) - 18歳未満の証人、児童ポルノ対象者の個人情報の公開
- Section 486.5(1) - 被害者または目撃者を特定できる情報の公開
- Section 486.5(2) - テロ組織・犯罪組織などの犯罪事件に関与した司法関係者の個人情報の公開
- Section 517/Section 539 - 係争中の裁判情報
- Section 631(6) - 裁判所が発禁が必要と判断した陪審員を特定できる情報
ウクライナ
2016年にロシアの本の輸入に制限を開始、2022年6月にはロシアの一部の音楽をメディアや公共の場で流すことを禁止、ロシアとベラルーシからの出版物の輸入禁止となった[6]。
ロシア
ウクライナ侵攻中のロシアにおける検閲として反戦感情やLGBTQをテーマとした書籍に対してクレムリンの検閲が厳しくとられている。2025年5月には、書籍取次業者がピューリッツァー賞受賞作家ジェフリー・ユージェニデスとブリジット・コリンズ、村上龍などの作品37タイトルを返却もしくは破棄することという書簡を各店舗に送った[7]。
過去の事例
日本


戦前および戦中の日本においては、新聞紙発行条目(1873年太政官布告352号)、出版条例(1872年、明治4年)、讒謗律(1875年)、出版条例(1875年)、新聞紙条例(1875年)、出版法、新聞紙法(1909年)、映画法、治安警察法(第16条)、興行場及興行取締規則(警視庁令第15号)などに基づき検閲が行われた。
戦前戦中の検閲で発禁処分を受けたものの中では、思想的に危険視されたもの、性描写に関するものなどがあった。これらは、それぞれ「安寧秩序紊乱」・「風俗壊乱」とに分類された。根拠法は出版法・新聞紙法。
このほか1枚刷り以上の私暦(「類似暦」と称す。冊子状のものは伊勢暦のみ可)、市井の呪術者が発行する守札も印刷物として検閲の対象となった。根拠法は太政官達第307号(1870年)。
「風俗壊乱」による禁止のみは地方長官の手に委ねられたが、「安寧秩序紊乱」等はすべて内務省の内務大臣の名義で行われた。
発売頒布禁止処分が行政処分であるのに対して、発行禁止は司法処分であった。
検閲が進んでくると、出版側が正規の検閲前に所管官庁に原稿の点検を依頼することも行われるようになり、これを受けて、法律上の根拠はないものの、「注意処分」、「次版改訂(次版削除)処分」、「削除処分」、「分割還付」等の法外処分が行われることもあった[8]。
日本における出版法でのレコードでの発禁第1号は、松井須磨子『今度生まれたら』[9](1917年、大正6年)と言われている[10]。これは、歌詞中の「かわい女子(おなご)と寢て暮らそ。」の部分が猥褻とみなされたためである。
1941年(昭和16年)には組織強化が成された内閣情報局が、迷信的出版物(「二十八宿日割鑑」「人生一代身上開拓法」「誰にも判る一代の運勢」など)や風俗壊乱の恐れのある小説を一週間で20冊ほど発禁処分にする[11]など、戦時色が強まる背景の中で厳しい処分を行うようになった。
占領・日本国憲法下での発禁
大東亜戦争(太平洋戦争)敗戦後の被占領期の日本においては、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)はプレスコードなどを発して民間検閲支隊による検閲を実行し、連合国や占領政策に対する批判、連合国軍の犯罪、日本を肯定するものなどに対し発禁処分などにした。
出版差し止めの例
- 織田作之助『青春の逆説』- 風俗壊乱出版として発禁処分になったが戦後解かれ、現在は青空文庫でも読める。
- 福島次郎『三島由紀夫―剣と寒紅』1998年 - 遺族からの訴えにより「相続・所有権者側の承諾なしに手紙を無断で掲載したのは著作権侵害にあたる」とされ、回収された。
- 石に泳ぐ魚
- 北方ジャーナル事件
- 田中真紀子長女記事出版差し止め事件
- チャタレー事件
- 四畳半襖の下張事件
- 「朝野新聞」が、1878年5月15日に大久保利通を殺害した島田一郎らの斬奸状を掲げ、7日間の発行停止を命じられた。初の日刊新聞発行停止である[12]。
- 全国部落調査
脚注
- ^ 浅岡邦雄 2018, pp. 1–2
- ^ “第65回常設展示「発禁本」” (pdf). 国立国会図書館 (1996年1月). 2023年12月16日閲覧。
- ^ 「中国人気映画の上映禁止、その背後を探る」大紀元、2007年8月18日掲載。
- ^ a b 「言論の自由を守る砦」に関する基本認識(案) サイト:総務省
- ^ “Supreme Court - Statutory Publication Bans”. www.bccourts.ca. 2022年5月22日閲覧。
- ^ “ウクライナ議会、ロシアの一部の音楽と出版物を禁止する法案可決”. BBCニュース. 2025年5月30日閲覧。
- ^ “British and US bestsellers hit by purge in Russian bookshops” (英語). www.bbc.com (2025年5月29日). 2025年5月30日閲覧。
- ^ 浅野邦雄 2018, p. 5
- ^ 芸術座『生ける屍』(1917年10月30日初演)の劇中歌。北原白秋作詞。
- ^ 永岡書店刊「おもしろ雑学百科」(ISBN 4-5220-1507-0)。レコードの発禁が出版法の対象とされるまでは治安警察法第16条によって禁止していた。
- ^ 著名作家の作品など大量に発禁『東京日日新聞』(昭和16年8月28日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p551 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 塙叡「日本歴史歳時記」『東京工芸大学工学部紀要. 人文・社会編』第21巻第2号、1998年、62-69頁、CRID 1050001202678853760、 ISSN 03876055、 NAID 110001165825。
参考文献
- 浅岡邦雄「出版検閲における便宜的法外処分」『中京大学図書館学紀要』第38巻、2018年3月1日、1-22頁、 CRID 1050282676653397632、 NAID 120006424134。
関連項目
- 言論統制
- 封印作品
- 廃盤
- プランゲ文庫
- 表現の自由
- 上映禁止となった映画の一覧
- 絶版 - 裁判で回収命令も行われる。
- 強姦被害者保護法
- 『Hit Man: A Technical Manual for Independent Contractors』‐ 1983年にアメリカの主婦によって書かれ、Paladin Pressから出版された殺人の手法が書かれた犯罪小説。いくつかの事件の参考にされたという疑いから発禁となった。
- 城市郎 - 発禁本の蒐集家・研究家。
外部リンク
発禁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 00:17 UTC 版)
大日本帝国で出版されるすべての出版物は内務省警保局によって検閲が行われ、エロ・グロ・ナンセンスをテーマとする本は出版法に基づいて、雑誌や新聞は新聞紙法に基づいて、即座に発売禁止処分となった。検閲はとても厳しいうえに、基準がよく解らず、江戸川乱歩のように発禁がわりと見えている作家だけでなく、出版前から「名著」と称えられ戦後には教科書に掲載されることになる萩原朔太郎『月に吠える』ですら、初版は発禁を食らった。 そのため、1920年代には、大手出版社では納本時の検閲に先立って「内閲」と呼ばれる事実上の事前検閲制度が導入されており、検閲官との協議の上、ゲラの段階で検閲で引っかかりそうなところはあらかじめ伏字にしておくことで、発禁を逃れることにしていた。例えば江戸川乱歩や夢野久作を擁する『新青年』や『改造』は、伏字が多かった。しかし、「内閲」を行っているのにもかかわらず『改造』1926年7月号が発禁を食らったため、出版業界は大いに反発する。同年には日本文藝家協会を中心に「検閲制度改正期成同盟」が結成され、浜口雄幸内務大臣に直接面会して圧力をかけるなどした結果、1927年に「内閲制度」が廃止される。 おりしも普通選挙法の施行もあって大正デモクラシーの機運がピークに達していた時代であり、看板雑誌の発禁で経営が悪化した改造社が1926年に円本の刊行を始め、社の経営を建て直すとともに、結果的に出版業界として民衆に安価な本を供給する体制を整えることになるなど、後に中小出版社だけでなく大手出版社からも円本の形態で発禁上等のエロ・グロ・ナンセンス本が乱発される背景として、このような検閲・発禁をものともしない出版業界の自由な気風が醸成されていたことが背景にあった。相変わらず検閲はとても厳しく、自主規制の伏字は多かったが、例えば「伏字表」と呼ばれる紙が付属しており、これを参照することで伏字になっている部分を埋められるなど、単に検閲に屈するだけでなく、検閲に対する何らかの策を弄していた出版社は多かった。 一方、検閲で発禁となった場合は、本当に発売できない。ただし、発売前に当局に押収され、市場に全く流通しなかったはずの「発禁本」が、実際は大量に市場に流通している現実がある。この時期に制作された、エロ・グロ・ナンセンスをテーマとするほとんどの作品は、頒布会の形式を用いて秘密裏に流通する「地下本」の形式を取って流通するか、もしくは検閲が済む前に発売してしまう「ゲリラ発売」の形式を取る。中には、本をあらかた売り切った後で検閲用の本を内務省に納本し、押収される用に残しておいた少数の在庫だけを押収してもらうという人もいた。「地下本」の頒布会として有名な「相対会」が戦後に公開したリストには、第一東京弁護士会会長・豊原清作などの名が記されているなど、「地下本」と言っても相当な規模の発行部数があり、また地下本を裁く法曹関係者ですら地下本の頒布会の会員が少なくなかったことが分かっている。 大手出版社でも、売れるとみると時機を逃さないために「ゲリラ発売」してしまった例がある。例えば、平凡社が江戸川乱歩の大ブームに合わせて刊行した『江戸川乱歩全集』の付録『犯罪図鑑』(1932年)が「風俗壊乱」の罪で発禁となった例がある。ブームの最盛期となる1932年頃には、平凡社や新潮社と言った大出版社までが発禁上等でエログロ本を乱発した。 レコードに関してはこれを専門に取り締まる法律が無かったため容易に取り締まれず、「エロ歌謡」が大流行して公然と一ジャンルをなした。1934(昭和9年)8月に出版法の改正が行われ、改正出版法第三十六条によってレコードも正式に出版法に基づく検閲・発禁の対象となったが、しばらくは検閲が緩かった。 1936年頃から検閲が苛烈になり、治安警察法によるレコードの旧譜の発禁も行われた。発禁第1号として、漫才のレコードが「ふざけすぎている」として発禁となった。さらに当時の大ヒット曲の『忘れちゃいやョ』(1936年)が「安寧秩序ヲ紊シ若ハ風俗ヲ害スル」(治安警察法第十七条)するレベルのエロさと判断され、治安警察法が適用され全レコードが回収された。これをきっかけに、レコード業界でもそれまでの事後検閲に代わってレコード会社と内務省の協議による事実上の事前検閲制度の導入に至る。 エロ・グロ・ナンセンスによって、出版法や新聞紙条例で発禁になっても、最高刑が2年以下の禁固であり、それほどひどい刑罰を受けるわけではなかったので(普通は罰金で済む)、発禁本を専門に出版する人もいた。例えば、明治・大正・昭和にかけて発禁を食らい続け、戦後もGHQによって発禁を食らった宮武外骨のような大物もいる。さすがに梅原北明クラスになると官憲の監視が常時付き、最終的に梅原は国外へ逃亡する。 治安維持法で有罪になると最高刑が死刑であり、裁判を待たずに特高による獄中拷問死などが引き起こされることもあった。ただし治安維持法は、非合法ではあってもエロ・グロ・ナンセンスの地下出版には適用されなかった。また改造社は左翼系の出版物で発禁を食らうことが多かったが(例えば改造社は小林多喜二の『蟹工船・工場細胞』で1933年に発禁を食らっている)、これも単に出版法に基づいてのもので、まして改造社は江戸川乱歩などの本を発禁にもならずに普通に出版していた。このため、この時期のエロ・グロ・ナンセンス文化は、「テロよりエロ」「アカよりピンク」として、左翼が弾圧されることのバーターで内務省に黙認されていたとの説がある。(ただし、出版法第26条で「政体ヲ変壊シ又ハ国憲ヲ紊乱」するものと定義される社会主義の出版物と、出版法第19条で「安寧秩序ヲ妨害シ又ハ風俗ヲ壊乱」するもの定義されるエログロナンセンス本との区別は、実際は必ずしも明確ではなく、エログロナンセンスの研究者である荒俣宏は『プロレタリア文学はものすごい』において、プロレタリア文学は「変態」「エログロ」だと主張している。) 1937年の日中戦争開始からは戦中期となって、検閲がさらに苛烈になり、エロ・グロ・ナンセンスの出版が許されなくなるだけでなく、かつてエロ・グロ・ナンセンスを許容したような出版界の自由な気風も取り締まられるようになる。1930年代に大ブームを起こした江戸川乱歩も、戦時中は『芋虫』が発禁となり、既刊もほとんど絶版になるなどの苦難を受けた。 戦中期に消滅したエロ・グロ・ナンセンスの気風が復活するのは、戦後のアプレゲールの時代を待たねばならない。アプレゲール期のカストリ雑誌にはGHQによる検閲が行われたが、それでも昭和初期のエロ・グロ・ナンセンス期と同様に自由な気風が復活した。 日本国憲法施行後も刑法175条によるエロ・グロ・ナンセンスへの弾圧は続き(例えば、戦前に出版法違反で逮捕された相対会の小倉ミチヨは戦後に活動を再開したが、1957年に刑法175条違反で再び逮捕されている)、エログロナンセンス時代の文物をまともに再評価できるようになるのは弾圧が弱まった1970年代以後となる。1990年代にはついに『犯罪図鑑』が平凡社によって復刻され、2010年代には当時の発禁書物が国立国会図書館デジタルコレクションでネット公開される時代となっている。
※この「発禁」の解説は、「エログロナンセンス」の解説の一部です。
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