1970年代以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 06:09 UTC 版)
1970年代までに、ボディビルは、アーノルド・シュワルツェネッガーと1977年の映画『鋼鉄の男 ''Pumping Iron''』により大きな市民権を獲得するようになった。このときにはIFBBがボディビル界を統括しており、AAUはその後塵を拝した。また、この時代にはアナボリックステロイドが他のスポーツと同様にボディビルにも浸透していった[要出典]。 1981年、第1回ワールドゲームズ(アメリカ合衆国・サンタクララ、ワールドゲームズ1981)から非オリンピック競技としてボディビルが競技種目として採用され、ワールドゲームズ1985、ワールドゲームズ1989、ワールドゲームズ1993、ワールドゲームズ1997、ワールドゲームズ2001、ワールドゲームズ2005、ワールドゲームズ2009で公式競技種目として開催される。このような状況に対し、国際オリンピック委員会のメンバーに認めてもらうため、IFBBは数種のステロイドホルモン剤と他の禁止薬物に対して厳格なドーピング検査を導入した。2000年代初頭、IFBBはボディビルをオリンピックの競技にしようと試みた[要出典]。 2000年にはIOCの会員となり、(オリンピックの正式種目として採用される可能性のある)公開競技としての開催が試みられたものの、結局は成功にいたらなかった。この背景には、実際のコンテストで運動競技のような「記録」が無いことから、ボディビルはスポーツではないという主張する者が存在していることや、ボディビルではオリンピックの競技で禁止されているアナボリックステロイドの使用が不可避であるとの根強い誤解がある[要出典]。 ワールドゲームズも、日本ボディビル・フィットネス連盟によると、ドーピング違反のためにワールドゲームズ2013ではボディビル競技は実施されず、ワールドゲームズ2017でもボディビル競技の実施予定も無い(2013年8月現在)[要出典]。 2020年5月4日、アメリカ合衆国のフィットネスジムゴールドジムを運営する米GGIホールディングスは米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を申請し経営破綻した。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う営業制限で財政状態が悪化した。自社所有のうち約30店舗を閉鎖して再建を目指す。
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