ソ連解体以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 20:59 UTC 版)
「現代音楽/地域別の動向」の記事における「ソ連解体以後」の解説
この時期に顕著になるのが「ロシア人の留学の自由」と「外国人留学生の受け入れの自由」である。ソ連時代には不可能であったこれらの特質はロシアの音楽史を変革させた。 フランスでジルベール・アミに師事したVsevolod Chmoulevitchはロシアを脱出して初めて国際音楽コンクール(Molinari)で優勝した人物である。彼はPolonsky名義で指揮活動を行っており、作曲家でありつつ指揮のコンクールのタイトルも保持する世界的にも極めて珍しい人物でもある。その一方、ボリス・フィラノフスキーはロシアにとどまりながら国際作曲賞を受賞(Irino; IRCAM reading panel)することの出来た最初期の人物である。かれらは「ペレストロイカ以後」の情報解禁の恩恵を受けた最初の世代である。 1970年代以後は、ドミトリー・クルリャンツキーのように、フィラノフスキーなどよりいっそう前衛的とされる作曲家が現れた。1980年代以後も作曲家は多く輩出されており、母国を後にしてアメリカへ永住したヴェラ・イヴァノヴァのような人物もロシアの音楽史へ刺激を与えている。 なお、セバスチャン・エキモフスキ=ヴィンクラーとフェリックス・プロフォスは、ロシアの前衛作曲家に留学という形でモスクワ音楽院のヴラジーミル・タルノポルスキーに師事した人物である。アメリカ合衆国の作曲家マイケル・ハーシュMichael Herschはモスクワ音楽院に留学して学び、一方ロシアの作曲家イリヤ・デミュッチュキー Ilya Demutskyはサンフランシスコ音楽院で学んでジム・ハイスミス作曲賞を受賞しており、ソ連邦時代に実現できなかった教育体制を迎えている。 ジョージ・ドロコフは、グランドピアノの外部や内部をこすり続けるだけの打楽器アンサンブル奏者のための作品を完成させるなど、もっともアナーキーな音楽を作曲していたが、急逝した。ロシア人のための現代音楽の教科書を作ることが念願であったヴァレリア・ツェノヴァも、上梓後に亡くなった。
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