1970年代までの経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 16:14 UTC 版)
「ジャコモ・カリーリ」の記事における「1970年代までの経歴」の解説
トリノ工科大学(Politecnico di Torino )で空力学を学び、1966年に卒業した。フェラーリで、CanAM向けのスポーツカー開発に加わり、1969年にマウロ・フォルギエリが離脱したのに伴い、ヒルクライム用のスポーツカー、フェラーリ・312シリーズの開発を手がけ、この分野で大きな成功を収めた。 同時期にフェラーリのF1チームであるスクーデリア・フェラーリにも関わったが、特筆すべき成績は残せなかった。 1970年代の中盤にはプロトタイプカーのチーフエンジニアとなり、ルイジ・マルミローリとともに自身のデザイン会社カリーニ・フライ・スタジオ(Caliri's FLY Studio )を設立し、1976年にはフェラーリ・365GTのボディワークのデザインを手がけた。 1978年にエマーソン・フィッティパルディに請われ、F1のフィッティパルディチームの前年のシャシーF5をグランドエフェクトカーに改修し、F5Aとするアップデート作業を行った。 1979年には、これも請われて、F1のATSチームのATS D2シャシーをデザインした。
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