1970年代の進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 08:38 UTC 版)
「セイリングストーン」の記事における「1970年代の進展」の解説
1972年5月に、ボブ・シャープ(Bob Sharp)とドワイト・キャリー(Dwight Carey)は、レーストラック石移動モニタリング・プログラムを始めた。最終的に、新しいトラックのある石30がラベルづけられ、杭がその場所を示すために使用された。それぞれの石は名前を与えられ、石の位置の変化は7年間記録された。シャープとキャリーはまた、選ばれた石を囲いに入れることによって氷フロウ仮説を検証した。直径1.7 m (5.5 ft)の囲いが、幅3 in (8 cm)、1 lb (0.45 kg)トラックを作る石の周りに、7つの鉄筋セグメントが25 - 30 in (64 - 76 cm)離れて置かれて、作られた。もし石の周りの氷のシートが、風をとらえる表面積を増やすか、石を氷フロウに沿って引きずることによってそれらを移動させるのを助けるならば、鉄筋は少なくとも移動を遅くし、一方にそらせるであろう。どちらも発生していないように見えるし、その石はあやうく鉄筋をのがれた、それは最初の冬の間、囲いから北西に28 ft (8.5 m)移動した。重い石2つが同時に囲いの中に置かれ、1つは5年後に最初と同じ方向に移動したが、しかしその連れは調査期間中に移動しなかった。これは、もし氷が石移動に役割を演じているならば、石の周りの氷首輪は小さくあらねばならないことを示している。 最初の石30のうち10が最初の冬に移動し、メアリー・アン(石A)は212 ft (65 m)で最長距離を踏破した。次の監視された6冬のうちの2つでもまた、複数の石が移動した。夏に石が移動しなかったことが確認されたし、冬いくつかに石が動かなかったか、ほんの少ししか移動しなかった。最後に、監視された石のうち2つを除くすべてが、7年間の調査中に移動した。直径2.5 in (6.4 cm)で、ナンシー(石H)が監視された最小の石であった。それはまた、最長累積距離860 ft (260 m)と、たった1冬で最大659 ft (201 m)移動した。移動した最大の石は80 lb (36 kg)であった。 カレン(石J)は29インチx19インチx20インチのドロマイトのブロックであり、重さは推定700 lb (320 kg)である。カレンは監視期間中移動しなかった。その石は、濡れているプラヤへの最初の落下から得られたモーメンタムから、570 ft (170 m) の長いまっすぐな古いトラックを作成したかもしれない。しかしながら、カレンは1994年5月もっと前のある時期、おそらく1992年から1993年の異常に濡れた冬の間に、姿を消した。トラックとウインチが引き起こすであろうプラヤに関連する損傷の欠如のために、人工的な手段による除去はありそうにないと考えられている。1994年に、カレンの目撃であるかもしれないものがプラヤから.mw-parser-output .frac{white-space:nowrap}.mw-parser-output .frac .num,.mw-parser-output .frac .den{font-size:80%;line-height:0;vertical-align:super}.mw-parser-output .frac .den{vertical-align:sub}.mw-parser-output .sr-only{border:0;clip:rect(0,0,0,0);height:1px;margin:-1px;overflow:hidden;padding:0;position:absolute;width:1px}1⁄2 mi (800 m)の所であった。1996年にカレンはサンノゼの地質学者ポーラ・メシーナ(Paula Messina)によって再発見された。
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