1970年代中盤:ライバル達との出世争い
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「ジャンボ鶴田」の記事における「1970年代中盤:ライバル達との出世争い」の解説
1970年代中盤は、復活したUNヘビー級王座決定戦でジャック・ブリスコを破り初めてのシングルタイトルを獲得し、キム・ドクとの抗争や、国際プロレスのラッシャー木村との対抗戦、ディック・スレーターをジャーマン・スープレックスで破ってのチャンピオン・カーニバル初優勝などの実績を上げ、1977年8月25日に行われたミル・マスカラスとの田園コロシアム決戦が評価され、東京スポーツ主催のプロレス大賞において3年連続年間最高試合賞・ベストバウトを受賞した。他の2試合は、1976年3月28日に蔵前国技館で行われたUNヘビー級選手権試合の鶴田vs木村戦と、1978年1月20日に北海道帯広市総合体育館で行われたNWA世界ヘビー級選手権試合のハーリー・レイスvs鶴田戦である。 この時期の鶴田の代名詞は、UNヘビー級王座と背後に星を刻んだレスリングタイツ。必殺技は4種類のスープレックス、特にジャーマン・スープレックスとトップロープからのウルトラCドロップキックを大一番で用いている。
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