エログロナンセンスと梅原北明の時代とは? わかりやすく解説

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エログロナンセンスと梅原北明の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:37 UTC 版)

鬼畜系」の記事における「エログロナンセンスと梅原北明の時代」の解説

詳細は「エログロナンセンス」を参照 世界恐慌起こった1929年昭和4年)から1936年昭和11年)にかけてエログロナンセンス呼ばれる退廃文化日本ブームとなった時代的背景として関東大震災1923年)による帝都壊滅官憲ファシズム台頭プロレタリア文化運動の弾圧恐慌による倒産失業増加凶作による娘の身売りや一心中などで社会不安深刻化しており、出口のない暗い絶望感ニヒリズム世相充満していた。大衆刹那的享楽走り共産主義革命翼賛する反体制的反骨”のプロレタリア文化運動行き詰まり果てに、常識逸脱するエログロナンセンスへと流れていった。このムーブメントまさしく混迷極まる昭和初期わずかな暗い谷間咲いた現実逃避徒花であった。 このブーム中心人物こそ「エログロナンセンス帝王」「地下出版帝王」「猥本出版の王」「発禁王」「罰金王」「猥褻研究王」などと謳われたエログロナンセンスオルガナイザー梅原北明である。北明は『デカメロン』『エプタメロン』の翻訳知られる出版人で、1925年大正14年11月にはプロレタリア文芸誌体裁取った特殊風俗誌『文藝市場』(文藝市場社)を既成文壇へのカウンターとして創刊創刊号では「文壇全部新聞」と題して田山花袋岡本一平辻潤春画売買容疑取調べられている横で、菊池寛邸が全焼し上司小剣惨殺されるという過激な虚構新聞見開き一頁割いて掲載した。それら内容はいずれ冗談諧謔精神満ち溢れており、既成権威に対してイデオロギー持たず 無意味なまでに反抗するような姿勢は、当時同人からも「焼糞の決死的道楽出版」と評された。 1926年大正15年12月北明出版した会員誌変態資料』(文藝資料編輯部)4号では、月岡芳年画『奥州安達がはらひとつ家の図』と共に伊藤晴雨撮影した逆さ吊り妊婦」(1921年)が本人無断掲載された。その上「この寫眞画壇變態性慾者として有名な伊藤晴雨畫伯が、臨月夫人寒中逆様に吊るして虐待してゐる光景」「恐らく本人伊藤畫伯もこれを見たら、寫眞出處に驚くだらう」という事無根解説文を載せ大い物議を醸した。なお、北明晴雨留置場同室した仲であり、互い性格をよく知っていたことから、晴雨写真無断転載について「北明という男は罪のない男で腹も立たない」と述べている。以降も同誌には過激なグラビア掲載され9号27年6月)には反戦写真集戦争対す戦争』(1924年)から負傷兵のえぐれた顔写真無断転載し、チューブ食事する写真に「何と芸術的な食べかただろう!」「手数はかかるが彼の生活は王侯のそれと匹敵している」など本来の文脈から完全に逸脱した不謹慎なキャプション添えたこの他にもミイラ手足ホルマリン漬けなどグロ写真終刊まで無意味に掲載され続けたこの間にも北明出版物は、立て続け発禁摘発押収喰らううになる次第北明目的は、変態雑誌世に送り出すことなのか、それとも「変態」を用いて官憲への抵抗周囲見せびらかすことなのか、いまいち判然としなくなていった。これについて竹内瑞穂は「彼が〈変態〉を用いて行ったのは、“〈普通〉であれ”と高圧的に命じてくる公権力への抵抗であった」と指摘している。しかし「変態」を用いた抵抗むなしく1928年昭和3年)までに『変態資料』および『文藝市場』とその後継誌『カーマシャストラ』は徹底的な発禁処分により廃刊追い込まれ北明本人出版法19条「風俗壊乱」の疑い市ヶ谷刑務所投獄され前科一犯となる。 限界感じた北明は「エロ」から「グロ」に転向し仮出獄後すぐに猟奇雑誌グロテスク』(1928-1931年、グロテスク社→文藝市場社→談奇館書局)を創刊する。さっそく新年号が発禁になると、北明はそれを逆手にとって読売新聞に「急性發禁病の爲め、昭和三年十二月廿八日を以て長兄グロテスク十二月號』の後を追い永眠仕り候」というユニークな死亡広告出し世人注目集めた。また北明度重なる発禁を「金鵄勲章ならぬ禁止勲章授与数十回」と声高らかに喧伝し、警察からは「正気だか気ちがいだか、わけのわからぬ猥本出版狂」と見なされた発禁本研究家斎藤昌三は「軟派出版界君臨した二大異端者擧げるなら、梅原北明宮武外骨老の二人匹敵する者はまずない。その実に於て北明は東の大関である」と評価している。結果北明生涯家宅捜索数十回、刑法適用25回、出版法適用12回、罰金刑十数回、体刑5年以下の筆禍を受けることになった与太雑誌グロテスク自体度重なる発禁罰金で、ほとんど採算無視放漫経営状態にあったが、発行部数だけは伸び続け1929年4月号で部数遂に1万部を突破した。同誌は『変態資料』と違って一般に市販されたこともあってか、文献研究雑誌の趣が強く北明自身も「文献趣味雑誌」と自認していたため、後の視点で見ると決しグロテスクなわけではないが、戦前抑圧社会で「グロ」を主題にした軟派雑誌公刊1万部を売ったという事実は、それだけ驚異的だった。結果的にグロテスク』は出版界グロ旋風巻き起こし数多く亜流本を生みだした後述)。 1931年昭和6年)に北明は、菊判2100頁にも及ぶ古新聞漁り集大成近世社会驚異全史』を刊行する。しかし今度検挙されたら保釈きかない弁護士から宣告され北明当局から逃れるため上海大阪に逃がれ、ほどなく艶本出版から完全に手を引き靖国神社職員となった。また二・二六事件以降国内での検閲発禁激化していき、一連のムーブメント1936年昭和11年)頃を境に終息していった。この年日本三大奇書一つ『ドグラ・マグラ』著した夢野久作急逝する。

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