文藝市場社
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この時期のエログロナンセンスのムーブメントを先導したのが、梅原北明が率いる「文藝市場社」である。文藝市場社の同人による代表的な刊行作品としては、上森健一郎・編『変態資料』(1926年)、梅原北明・編『グロテスク』(1928年-1931年)、酒井潔『エロエロ草紙』(1930年、発禁)などがある。中でも梅原北明は発禁本で捕まって出所してすぐに発禁本を作り始めるなど、発禁が間に合わないほどの膨大な出版点数で知られる。 同社のほとんどの本が会員制のサークルで頒布される頒布会形式をとっていた(地下本)のに対し、『グロテスク』はどうみてもアングラ本なのに書店で堂々と販売されていたことから、雑誌『グロテスク』は当時のムーブメントの代表作とみなされ、戦後には復刊も行われている。また『グロテスク』第3号が発禁になった際には「『グロテスク新年号』死亡御通知」と題した奇抜な新聞広告を出すなどして、そのセンスが当時モボ・モガと呼ばれたおしゃれな若者たちに受け入れられ、とても売れたという(「変態」や「エロ」などとタイトルにあっても、本のデザイン自体は若者受けする割と洒落たものが多かった)。 発禁スレスレの本で売れまくり、やがて連続して発禁を食らったために当局の手入れを受けた梅原北明は、内務省の検閲を受けた発禁本以外にも大量の地下本の発行を行っていたことが当局に発覚し、1930年代初めごろに官憲の逮捕を恐れて満州に逃亡。上海で伏字が一切ないエロ雑誌『カーマシャストラ』などを発行していたが(実際は日本国内で出版されたようだが、地下本であるために詳細はよく解っていない)、1935年頃に出版業からは足を洗う。たび重なる当局の手入れによって、文藝市場社に集っていた人々も散り散りになり、ブームは終息する。
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