発祥期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 00:59 UTC 版)
自動式信号機は、1930年(昭和5年)3月23日に東京市の日比谷交差点に設置された米国製が最初である。灯器は交差点の中央部に設置され、緑・黄・赤3色の意味を知らせるために、あえて信号灯のガラスの上から「ススメ」「チウイ」「トマレ」と文字が書かれていた。これは米国のレイノルズ社製で、同年に国産の信号機も製造開始されている。 交通信号機が警察で仕様化されたのは1933年(昭和8年)。この当時の配列は道路中心から赤、橙黄、緑の順と定められ、表示面の直径も185 mmから230 mmと定められた。 太平洋戦争が開戦すると信号機も灯火管制の対象となり、空襲警報発令時はスイッチを切り換えて減光した。その一方で、1942年(昭和17年)5月から1947年(昭和22年)12月まで、赤色の灯火の点滅(赤点滅)は空襲警報を告げる表示として用いられた。道路標識は金属類回収令による回収の対象となった一方、信号機は空襲警報を知らせる役割があったため回収を免れた。しかし、大半の信号機は空襲による被害を受けた。 なお、これ以前は「信号機」という名称が一般的ではなく、「交通整理器」「自動交通整理信号機」などの名称が用いられていた。
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