発祥地と拡散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 21:01 UTC 版)
ラ・テーヌ文化が最初にどの地域で発展したのかについて結論は出ていないが、中心となっていた地域はハルシュタット文化圏の北西端とするのが一般的で、アルプス山脈の北、西はマルヌとモゼルの間の谷まで、東は現在のバイエルンからオーストリアのあたりである。1994年、フランクフルト・アム・マイン近郊のヘッセン州グラウブルクで紀元前5世紀初頭の有力者の墳墓の発掘が行われた。このあたりは以前はラ・テーヌ文化圏の周辺部と見られていた。 ラ・テーヌ文化は、紀元前4世紀にはヒスパニア、ポー平原、バルカン半島、さらにはアナトリア半島にまで広がりを見せており、実際に大規模な移住が起きたと見られている。紀元前4世紀にはブレンヌス率いるガリア軍がローマにまで達した。紀元前3世紀、ガリア人の一団がギリシアに侵入してデルポイの神殿を脅かしていた一方、別の一団は小アジアのガラティアに入植している。
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