登場する文化・風俗等
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「スプートニクの恋人」の記事における「登場する文化・風俗等」の解説
ジャック・ケルアック アメリカの小説家、詩人。最初にミュウに会った頃、すみれは「いつも上着のポケットに『オン・ザ・ロード』か『ロンサム・トラヴェラー』をつっこんで、暇があればページをくっていた」。 ラパッロ条約 1922年にイタリアのラパッロ(Rapallo)においてドイツとソビエト連邦との間で成立した条約。ミュウは「ラッパロ条約」とすみれに向かって言うが、正確には「ラパッロ」もしくは「ラパロ」である。 バナナ・ダイキリ カクテルの種類の一つ。 すみれはバナナ・ダイキリを5杯飲んで酔っぱらい、「わたしには性欲というものがよく理解できないの」と「ぼく」にうちあける。 グレゴリー・ペック アメリカの映画俳優。すみれの父親を「ぼく」は、「非常にハンサムな人で、とくに鼻筋は『白い恐怖』の頃のグレゴリー・ペックを髣髴とさせた」と表現する。『白い恐怖』はアルフレッド・ヒッチコックが監督した1945年公開のアメリカ映画。 パワーブック Appleがかつて製造・販売していたノートパソコン。すみれが使用するPCとして登場する。 「すみれ」 エリーザベト・シュヴァルツコップ歌、ヴァルター・ギーゼキングピアノ伴奏の「すみれ」を、子供時代のすみれは繰り返し聴く。 アストラッド・ジルベルト ブラジル出身のボサノヴァ歌手。すみれと「ぼく」が入るなじみの喫茶店でジルベルトの歌う "(Take Me to) Aruanda" がかかる。 ミッソーニ イタリアのアパレルメーカー。ミッソーニのデザインしたビニールのスポーツ・バッグが、ミュウの持ち物として登場する。 『エヴゲーニイ・オネーギン』 アレクサンドル・プーシキンの韻文小説。「諸国の歴史の出来事の/うずたかい塵の山など/あさる気はなかったけれど」という言葉が引用されている。 ジャン=リュック・ゴダール フランスの映画監督。すみれの声が「ジャン・リュック・ゴダールの古い白黒映画の台詞みたいに」聞こえた、という箇所がある。 「マック・ザ・ナイフ」 ベルトルト・ブレヒトの戯曲『三文オペラ』の劇中歌。1959年にボビー・ダーリンが歌って全米1位を記録した。「君のいないぼくの生活は、『マック・ザ・ナイフ』の入っていない『ベスト・オブ・ボビー・ダーリン』みたいなものだ」と「ぼく」はすみれに言う。 グルーチョ・マルクス アメリカの喜劇役者。グルーチョが言ったという台詞「彼女はわたしに激しく恋をしていて、おかげで前後の見境がつかなくなっている。それが彼女がわたしに恋をした理由だ!」を「ぼく」は会話の中で引用する。 フランツ・リスト「ピアノ協奏曲第1番」 ローマですみれとミュウはコンサートに行く。そこでマルタ・アルゲリッチピアノ、ジュゼッペ・シノーポリ指揮の同曲を鑑賞する。 ジュリアス・カッチェン 米国のピアニスト。ギリシャのコテージでミュウとすみれは、カッチェンの演奏するブラームスの「バラード」を聴く。 『ラ・ボエーム』 ジャコモ・プッチーニ作曲のオペラ。 『007 ロシアより愛をこめて』 1963年公開のイギリス映画。「ぼく」はすみれに向かって「そんなことをしていたら、まるで『ロシアより愛をこめて』に出てきたロッテ・レーニャみたいに見えるよ」と諭す。 『ワイルドバンチ』 1969年公開のアメリカ映画。サム・ペキンパー監督。出演者のアーネスト・ボーグナインがインタビューで答えた言葉をすみれが引用する。
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登場する文化・風俗等
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BOOK 1 『渚にて』 - グレゴリー・ペック主演のアメリカ映画。1959年製作。青豆はテレビの深夜放送でこの映画を見る。そして「なるほど、睾丸を思い切り蹴られるというのは、こういう感じの心持ちなのか」とそれなりに納得をする。 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 - アリストテレスが残した草案や講義ノートなどを後に息子のニコマコスが編纂したもの。リライトした『空気さなぎ』を元のものに差し替えたらどうかと提案する天吾に、小松は同書の言葉を引用する。なお文中では「ニーコマス倫理学」と表記されている。 『平家物語』 - ふかえりは天吾の前で「壇浦合戦」の部分を暗誦する。暗誦した箇所(「源氏のつはものども、すでに平家の舟に」から「ちいろの底へぞ入給ふ」まで)はそのまま書き表されている。 『サハリン島』 - 小説家、劇作家のアントン・チェーホフが書いたノンフィクション作品。1895年に刊行された。ふかえりに乞われて、天吾は同書を朗読する。読まれる文章は原卓也が訳したものが元になっている。 『ゲッタウェイ』 - スティーブ・マックイーン、アリ・マッグロー主演のアメリカ映画。1972年製作。あゆみは青豆の発言に対して「『ゲッタウェイ』みたいじゃない。スティーブ・マックイーンの映画。札束とショットガン。そういうの好きだな」と言う。 BOOK 2 アントン・チェーホフ - 拳銃をひとつ用意してほしいと頼む青豆にタマルは次のように言う。 「チェーホフがこう言っている。物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない、と」「物語の中に、必然性のない小道具は持ち出すなということだよ」 村上は『海辺のカフカ』の登場人物(カーネル・サンダーズ)にも同様のことを言わせている。 「ロシアの作家アントン・チェーホフがうまいことを言っている。『もし物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない』ってな。どういうことかわかるか?」「チェーホフが言いたいのはこういうことだ。必然性というのは、自立した概念なんだ」「お前の抱えている石は、チェーホフの言うところの『拳銃』なんだ」。 東條英機自殺未遂事件 - 東條英機は逮捕指令が出た1945年9月11日、拳銃で心臓の近くを撃ち抜くも米軍病院で手術を施され、自殺は未遂に終わった。この東條の事件はタマルの言葉の中で登場する。 村上はエッセイで次のような感想を述べている。「東条さんは自殺をしくじり、占領軍に逮捕され、アメリカ兵の血液を輸血されて一命をとりとめ、そのあと裁判にかけられて絞首刑に処せられた。という話だ。もし本当にそうだとしたら、これは『ちぇ、ったくもう』どころではない」 ウラジミール・ホロヴィッツ - ウクライナ生まれのピアニスト。天吾が小説にとりかかる場面で登場する。「彼は真新しい八十八個の鍵盤を前にしたウラジミール・ホロヴィッツのように、十本の指を静かに空中に波打たせた。それから心を定め、ワードプロセッサーの画面に文字を打ち込み始めた」 ウィンストン・チャーチル - イギリスの政治家、軍人。青豆と「さきがけ」のリーダーとの間で次のような会話が交わされる。 「復讐ほどコストが高く、益を生まないものはほかにない、と誰かが言った」 「ウィンストン・チャーチル。ただしわたしの記憶によれば、彼は大英帝国の予算不足を言い訳するためにそのように発言したんだ。そこには道義的な意味合いはない」 チャーチルのこの言葉の原文は「Nothing is more costly, nothing is more sterile, than vengeance. 」である。発言の時期は1946年。 『華麗なる賭け』 - スティーブ・マックイーン、フェイ・ダナウェイ主演のアメリカ映画。1968年製作。青豆はBOOK2の終盤、マンションを出ることを決意する。そして服装を整える際、鏡の前で「『華麗なる賭け』に出ていたフェイ・ダナウェイみたいに見えないものだろうか」と思う。青豆を乗せたタクシーの運転手は、ミシェル・ルグランが作曲した映画のサウンド・トラックをハミングする。 BOOK 3 『東京日記』 - 内田百閒「百閒随筆Ⅰ」収録のものから引用。天吾が病室で眠る父親の前で朗読する。ここで引用されているのは「その六」の一部。 『アフリカの日々』 - アイザック・ディネーセンが1937年に発表した小説(原題: Out of Africa)。天吾は大村看護婦に乞われて『アフリカの日々』を朗読する。なお朗読される文章は横山貞子の訳文をもとにしている。 『マクベス』 - ウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇の一つ。天吾は大学時代から暗記していた同戯曲の一節(原文、訳文)を引用する。 ホンダ・シビック - 本田技研工業が1972年から販売している乗用車。安達クミと天吾の間で以下のような会話が交わされる。「本名は安達クミ。なかなかぱっとしない名前でしょう」「悪くないよ。コンパクトで余計な飾りがない」「ありがとう。そんな風に言われると、なんかホンダ・シビックになったような気がするね」 スマイリーフェイス - 1963年にアメリカで生まれたキャラクター群。日本では「スマイルマーク」「ニコちゃんマーク」などと呼ばれている。同キャラクターは「天吾」の章で登場する。「(注・安達クミの)シャツには大きなスマイル・マークがプリントしてあった。天吾がスマイル・マークを最後に目にしたのは、一九七〇年代の初めだった。グランド・ファンク・レイルロードのとんでもなく騒々しい曲がジュークボックスを震わせていた頃ことだ」 『罪と罰』 - フョードル・ドストエフスキーの長編小説。牛河が青年時代を述懐する場面で登場する。「俺は言うなればソーニャに会えなかったラスコーリニコフのようなものだ、とよく思ったものだ」と牛河は言う。ソーニャとラスコーリニコフは『罪と罰』の登場人物。 『神々の黄昏』 - リヒャルト・ワーグナーの楽劇。舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』四部作の4作目に当たる。父親の葬儀で天吾は思う。「この男はそのユニフォーム(注・NHKの集金人の制服)に包まれてこの世界に生まれ落ち、それに包まれて焼かれていくのだ。実際に目の前にしてみると、彼が最後に身につける衣服として、それ以外のものは天吾にも思いつけなかった。ヴァーグナーの楽劇に出てくる戦士たちが鎧に包まれたまま火葬に付されるのと同じことだ。」「そこにはおごそかな要素はまったくなかった。『神々の黄昏』の音楽も聞こえてこなかった。」 カール・ユング - スイスの精神科医・心理学者。タマルは突然、牛河に向かって、ユングがチューリッヒ湖畔に築いた建物について語り始める。 「その家はまだ今でもチューリッヒ湖畔に建っている。(中略)話によればそのオリジナルの『塔』の入り口には、ユング自身の手によって文字を刻まれた石が、今でもはめ込まれているということだ。『冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる』、それがその石にユングが自ら刻んだ言葉だ」 建物自体に関する記述はほぼ史実どおりであるが、タマルが引用する言葉は事実と異なる。ラテン語で刻まれた言葉「VOCATVS ATQVE NON VOCATVS DEVS ADERIT」は英語では通常、「Called or not called, the god will be there」と訳され、日本で出版されている『ユング自伝 1・2』(みすず書房)には「呼ばれようと、呼ばれまいと神は存在する」という訳文で紹介されている。BOOK3の英語版の翻訳を担当したフィリップ・ガブリエルは、本書の該当箇所を「Cold or Not, God Is Present」と訳した。 『ヘンリー四世 第2部』 - ウィリアム・シェイクスピア作の歴史劇。タマルはユングに言及したあとにシェイクスピアの言葉を引用する。 「シェイクスピアが書いているように(中略)今日死んでしまえば、明日は死なずにすむ。お互い、なるたけ良い面を見ようじゃないか」 タマルはこの言葉について「『ヘンリー四世』だったか『リチャード三世』だったか、その台詞の出典が思い出せ」ないと述べているが、出典は『ヘンリー四世 第2部』である。ただし元になった言葉の原文は「he that dies this year is quit for the next.」であり、このときもタマルは正確に引用していない。 なお『ヘンリー四世』のこの言葉は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で次のように引用されている。「私は死ぬこと自体はそんなに怖くなかった。ウィリアム・シェイクスピアが言っているように、今年死ねば来年はもう死なないのだ」
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